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著者インタビュー 五木寛之さん 宗教者を描きながら、手に汗握る面白さ!!と話題騒然 五木寛之さんが人間・親鸞の半生をドラマティックに描いた『親鸞 激動篇』 ©戸澤裕司

累計100万部突破の前作『親鸞』で、平安末期から鎌倉期を生きた親鸞の幼少期から青年期までを描いた五木寛之さんが、その続編となる『親鸞 激動篇』を上梓。比叡山延暦寺での壮絶な修行ののち、山を下りて在野の聖となり、妻・恵信を得て、師・法然に認められた親鸞。今作では、その親鸞が政治的弾圧により流刑にされた越後、そして関東で活躍する様が、魅力的な登場人物たちの生き様とともに描かれていきます。全国44紙での新聞連載を経て単行本化された『親鸞 激動篇』。思想的葛藤はもちろん、冒険、陰謀、友情、さらに夫婦の愛と宗教小説の概念を鮮やかにくつがえす、一大エンターテイメントともいえる本作への思いを五木さんに伺いました。

プロフィール

五木寛之(いつき・ひろゆき)さん
1932年福岡県生まれ。戦後朝鮮半島より引き揚げたのち、早稲田大学文学部ロシア文学科中退。1966年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、1967年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、1976年『青春の門』で吉川英治文学賞を受賞。代表作は『朱鷺の墓』『戒厳令の夜』『風の王国』『蓮如』『百寺巡礼』『大河の一滴』など。ニューヨークで発売された『TARIKI』は、2001年度『BOOK OF THE YEAR』(スピリチュアル部門)に選ばれた。また2002年度第50回菊池寛賞、2009年NHK放送文化賞、2010年には長編小説『親鸞』で第64回毎日出版文化賞特別賞を受賞。近著に『下山の思想』。 小説『親鸞 激動篇』のオフィシャルサイト:http://shin-ran.jp/

インタビュー

■日本で初めて妻をパートナーとして位置づけた親鸞



−−前作の『親鸞』に続き、今回の『親鸞 激動篇』でも、宗教家を主人公にしながら冒険活劇のような面白さと感動に満ちた展開に、いったん読み始めたらページをめくる手を止めることができませんでした。
五木さんそう言っていただけるととてもうれしいです。タイトルの字面がいかついものですから、特に女性の読者には、何かやっかいな本ではないか、というイメージがあるらしいんですね。
−−確かに“親鸞”という言葉の響きだけで、正直、どこか難しい印象を抱いていました。ところが実際には堅苦しさはまったくなくて。特に今作では妻との暮らしを大切にし、子を持ち、人間として成長していく親鸞や周囲の人々の生き様に深く共感し、勇気づけられることもたびたびでした。
五木さん親鸞はいかなる罪を犯しても救われるという、法然の「悪人正機説」を伝えた人として広く知られていますが、日本で初めて女性をパートナーとして位置づけた人でもあるんです。明治の頃、僧侶の妻帯が正式に法律で許可されるまでは、僧侶の奥さんはずっと非公然の存在だったんですね。そうした状況にあって唯一、公式に妻帯できた宗派が、親鸞の開いた浄土真宗でした。それで当時、一大スキャンダルとなったわけですが。
 浄土真宗の寺では「寺を守る」という意味で、奥さんのことを“坊守”(ぼうもり)さんと呼びます。その役割は、内助の功というよりも、坊守さんたちの集会もありますし、夫である僧侶たちの重要なパートナーとして、お寺を守っているんですね。
−−おっしゃるとおり『激動篇』の中で印象的だったのが、親鸞と妻・恵信(えしん)との対等な夫婦関係です。今から700年も前に、「こんな新しい夫婦がいたなんて!」と驚かされました。
五木さんただ親鸞の私生活に関しては、記録がほとんどないんですね。当時は戸籍がありませんから、結婚した時期もわからない。子どもが何人もいますが、長男は恵信の子ではないとも言われています。そこで今回は、それこそ坊守さんの先駆者である、恵信についてかなり突っ込んで、思いきって膨らませて書きました。そういう意味で、多くの女性の方に読んでいただけるとうれしいなと思っています。

■晩年に500以上の歌を書いた親鸞



−−五木さんが親鸞に惹かれたのは、日本で最初に公然と妻帯した僧侶、という点が大きかったのでしょうか。
五木さんそれもありますが、一番は親鸞が日本の歴史の中では、非常に特異な思想の持ち主だったということです。その一つが人間の「悪の自覚」を強調したことで、この世の善悪は簡単に決めることができないとか、その思想は常識をひっくり返すような過激さを含んでいます。
 また7、80代で大きな仕事をした、ということもあります。親鸞は90歳まで生きましたが、当時の栄養や医療の事情を考えると、それはもう超ウルトラ級の長寿ですね。しかも一方で親鸞は、子どもからお年寄りまでが好んで歌える、500余もの和讃(わさん)という歌を残した作詞家でもあります。和讃とは平安時代に大流行した今様(いまよう)という歌のスタイルを真似た、七五調の流行歌です。今様が流行った時代に少年時代を過ごした親鸞は、教養を持たない社会の底辺の人たちに、仏の道を伝える方法として和讃のスタイルを取った。七五調というのは、日本人の情感に非常に訴えるんですね。「あなた変わりはないですか」という風に(笑)。それはまさしく親鸞の時代から、昭和の歌謡曲まで続く言葉のリズムです。そういう意味でも、革命的でとても面白い人だと思います。
−−その時代の人々の心に訴える歌を数多く書いたという意味では、作詞家として数々のヒット曲を生んでいらっしゃる、五木さんご自身にも重なる気がします。
五木さんそれはどうかわかりませんが(笑)。ただ僕は常々、庶民のコミュニケーション、つまりオーラルな表現というものが、日本では軽視されてきたと思っているんです。落語にしても活字で読んだところで、本当の面白さはわからないでしょう。名人の声やしぐさ、客席の雰囲気などが全部一体になってこそ、“芸”というものが生まれる。万葉集も、親鸞が残した和讃にしてもそれは同じで、活字というのは言ってみれば骨でしかないんですね。本来の魅力を味わうには、声に出して、節にのせないと。何より和讃は老若男女、貧しい人も裕福な人も一緒になって声を合わせて歌うことを前提に書かれていますから。人間の肉声によって歌われて初めて、字面だけではわからなかった言葉が、情緒豊かに伝わってくるんです。
−−五木さんが書かれた親鸞の物語は、そうした歌に彩られ、その場面は映画のワンシーンのように美しく、当時の人々の声が聞こえてくるような気がしてワクワクさせられました。
五木さん肉声で思想を伝えるという意味では、親鸞は仏教の原点に立ち返った人でもあります。ブッタという人は直感的に悟りを得た後、生涯の大半はそれを問答形式で、行脚して伝える生活を送りました。肉声でのみ思想を伝え、一行の文字も残さなかった。のちに弟子達がブッタの言葉を思い出し、暗記した言葉をつけあわせて、韻を踏んだ歌の形で残したわけです。「じゅげむ……」のように、節をつけると誰もが覚えやすいでしょう。 親鸞が晩年に和讃をたくさん書いたのは、決して老いのよすがではなく、自らの思想を伝えるために大事な仕事をした、ということなのだと思いますね。

■自分ができることは、物事のほんの一部に過ぎない



−−前作『親鸞』は全国27紙で、この『激動篇』は明治以来最大の全国44紙で連載されました。そもそも今、なぜ親鸞を主人公に新聞小説を書こうと思われたのでしょう。
五木さん僕は職業作家ですから、自分の内面的なモチベーションだけを探って書くわけではなく、いくつもの要素がかみ合って、初めて一つの作品を書くまでにいたるんですね。『親鸞』にしても、まず以前に『蓮如』を書いた過程があり、それ以前に京都の龍谷大学で勉強したことが深く関わっています。さらにさかのぼれば、子どもの頃に両親が浄土真宗のお経を唱えていて、それを覚えて踊っていた記憶があるわけです。ということは、うちは親鸞に続く系譜だったんだな、とか。だから自分が決めたというより、すべては運ばれてきた、という感覚なんですね。
 第一、新聞業界が大変な時に、ましてや宗教家を主人公にした小説なんて普通は載せてはくれませんよ(笑)。それを載せたいと言ってくれるメディアがあり、連載の後には出版社が単行本を出したいと言ってくれた。それをたくさんの人が買ってくれるという。
 僕はよく「他力」と言っているんですが、自分がやっていることなんて、本当に少ないんですよ。この物語を書いていいという時代の風が吹かないと仕事はできないし、自分がいくら頑張ってもダメな時はダメなんですね。
−−全国44紙の総発行部数はなんと1500万部以上だそうで、しかも北海道から沖縄までの読者に向けて毎日小説を書き続ける中で、プレッシャーはありましたか。
五木さんもちろんそれは大きなプレッシャーです。連載中の1年間、病気もせず、交通事故にも遭わなかったことに感謝するばかりです。ただ大きな災害は、『激動篇』の連載中に3.11の大震災がありましたから。茨城新聞や岩手日報など、連載していたいくつかの新聞は大変でした。それでもなんとか最後まで書き終えることができた。そう考えると、自分の力ができることは物事のほんの一部なのかなと、あらためて感じますよね。
−−その続編の行方が、読者にとっては一番気になるのですが。書かれるご予定は?
五木さんそんなわけで、それは逆にこちらがそれを聞きたくなるぐらいなんですけれど。『親鸞』では幼少期から35歳までを、『激動篇』では61歳までの親鸞を書きましたが、果たしてその後、老年にさしかかった親鸞の話を読みたい人がどれだけいるのか。また時代がそれを求めているのか。それは誰にもわからないし、僕一人で決められことではないわけです。『激動篇』を書き終えて、少しは休みたいという気持ちもありつつ(笑)、でも仕事というのは大変なものですからね。いずれにしても、僕は風を巻き起こすとか、逆らうことをせずにやってきたので。これからも大きな風に吹かれて、という形で書いていくことになるでしょう。
−−続編を読みたくてうずうずしている読者がたくさんいるに違いありません。新たな小説で、晩年の親鸞に出会えることを心待ちにしています。本日はありがとうございました。
取材・文/宇田夏苗

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