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没後10年、最愛の父・藤沢周平への想いを語る娘・遠藤展子さんの一番好きな『橋ものがたり』『橋ものがたり』そして『藤沢周平 父の周辺』、『父・ 藤沢周平との暮し』


時代劇に詳しくない人でも、『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』『蝉しぐれ』『武士の一分』(原作:盲目剣谺返し)などの映画のタイトルを聞けば、ああ、あの……と思いあたるのではないでしょうか。原作はどれも藤沢周平さんの名作時代小説。司馬遼太郎、池波正太郎と並ぶ時代小説作家として、たくさんの作品がいまも愛読されています。1997年1月に惜しまれながら亡くなりましたが、没後10年にあたる今年、『橋ものがたり』が新装版で発行されました。江戸の橋を舞台に、市井の人々の情を描いた珠玉の連作短篇集で、藤沢周平さんの長女・遠藤展子さんが書き下ろした特別エッセイも収録されています。遠藤さんに『橋ものがたり』のこと、最愛のお父様のことなどを語っていただきました。



『橋ものがたり 新装版』
『橋ものがたり 新装版』
藤沢周平
実業之日本社
1,700円(税込:1,785円)

藤沢周平
(ふじさわ しゅうへい)

昭和2(1927)年、山形県鶴岡市に生まれる。山形師範学校卒。46年「溟い海」でオール読物新人賞を受賞し、本格的に作家活動に入る。48年「暗殺の年輪」で第69回直木賞、61年『白き瓶』で吉川英治文学賞を受賞する。平成9(1997)年1月死去。


遠藤展子さんの本


『藤沢周平父の周辺』
『藤沢周平父の周辺』
遠藤展子
文藝春秋
1,333円(税込:1,400円)

『父・藤沢周平との暮し』
『父・藤沢周平との暮し』
遠藤展子
新潮社
400円(税込:420円)


藤沢周平さんの本


『隠し剣孤影抄 新装版』
『隠し剣孤影抄 新装版』
藤沢周平
文藝春秋
629円(税込:660円)

『隠し剣秋風抄 新装版』
『隠し剣秋風抄 新装版』
藤沢周平
文藝春秋
629円(税込:660円)

『蝉しぐれ 』
『蝉しぐれ』
藤沢周平
文藝春秋
667円(税込:700円)

『暁のひかり 新装版』
『暁のひかり 新装版』
藤沢周平
文藝春秋
514円(税込:540円)

『海坂藩大全(上)』
『海坂藩大全(上)』
藤沢周平
文藝春秋
1,524円(税込:1,600円)

『海坂藩大全(下)』
『海坂藩大全(下)』
藤沢周平
文藝春秋
1,429円(税込:1,500円)

『義民が駆ける 新装改版』
『義民が駆ける 新装改版』
藤沢周平
中央公論新社
1,800円(税込:1,890円)

『藤沢周平未刊行初期短篇』
『藤沢周平未刊行初期短篇』
藤沢周平
文藝春秋
1,714円(税込:1,800円)

『雪明かり 新装版』
『雪明かり 新装版』
藤沢周平
講談社
714円(税込:750円)

『周平独言 新装改版』
『周平独言 新装改版』
藤沢周平
中央公論新社
1,900円(税込:1,995円)

『夜の橋 新装改版』
『夜の橋 新装改版』
藤沢周平
中央公論新社
1,800円(税込:1,890円)

『たそがれ清兵衛 改版』
『たそがれ清兵衛 改版』
藤沢周平
新潮社
552円(税込:580円)

『決闘の辻 新装版』
『決闘の辻 新装版』
藤沢周平
講談社
619円(税込:650円)

『藤沢周平心の風景』
『藤沢周平心の風景』
藤沢周平
新潮社
1,400円(税込:1,470円)




遠藤展子さん

プロフィール



遠藤展子さん(えんどう のぶこ)

1963年東京生まれ。作家・藤沢周平氏の長女。山形県鶴岡市に建設予定の「藤沢周平記念館」(仮称)開設に向けての準備など、藤沢周平に関わる仕事に携わっている。著書に『藤沢周平 父の周辺』『父・藤沢周平との暮し』がある。

インタビュー


−−この作品は、「約束」「小ぬか雨」「思い違い」など、江戸の橋を舞台にした10の物語を収録しています。そして、遠藤さんのエッセイは巻末に掲載された『父と娘の「橋ものがたり」』。『橋ものがたり』に因んで、お父様との思い出が書かれているのですね。


遠藤さん 『橋ものがたり』は、父の作品の中で、私が一番好きなものです。今回、そこにエッセイを書くお話をいただいて、親と一緒に1冊の本に載せていただき、すごくうれしいことだと思っています。
 装画も、父の本の表紙をずっと描いてくださっている蓬田やすひろさんが新しく書き起こしてくださったもので、父の作品のイメージがよく現れているなぁと、とても良い本にしていただきました。
 今回エッセイのお話をいただいた当初から、私は作品についての解説を書くことはできないと思っていました。父の作品は読者の方それぞれがイメージを持っていらっしゃるでしょう。私が何か言って、そのイメージが固定されてしまっては……と思いました。それより、父と私の思い出で何か書けることがあるのでは……と思い、かつて父と住んでいた所を、もう一度、地図で確認してみたのです。すると、必ず川がありました。川があるということは橋もあって。ちっとも知らないうちに、父と私の生活の中には、父の作品のように、橋にまつわる物語があったのだということに、気がついたのでした。
 その時は生活の中にあっても、意外に気がつかないままになっているものごとは多いものです。本当に、橋ひとつとっても、気づかないでいつも通っていたものでしたが、改めてこういう形で、「ああ、お父さんとこういう風に通っていたんだったな」と再認識させていただきました。


−−『橋ものがたり』は、どの物語にも、江戸の人々の細やかな描写があり、切ない思いやしみじみするやりとりがあって、また読み直してみたいと思いますね。遠藤さんがこの作品を一番最初に読まれたのは、19歳の頃だと書かれていましたね……。


遠藤さん 父の本は、読む年齢によって、感じ方がちがうんですよ。この本も例外ではなく、19歳の頃は、お話としておもしろいという感覚で読みましたが、今読むと、もうちょっと深く読めるかなと思います。登場人物の心理や、人々の思い、そういうものに惹かれますね。
 たとえば現代では、携帯電話がありますから、待ち合わせにしても、気軽に「すいません、遅れます」みたいな連絡ができてしまいます。しかしこの時代は、何年にもわたってひとつの約束を覚えていて……さらにまた、会いにいくかどうか迷う……、こんなことがあるわけですね。切ないですね。最近は、そういう感覚って、あまりなくなってしまったのではないでしょうか。
 今の人が何年後に会おうと言っても、その約束を心の糧にして生きていくなどということは、なかなかできないのではないかと。新しい出会いがあれば、ついそちらにいってしまうし……。そういう、自分にはできなさそうな部分に惹かれしまうのかもしれません。自分の親の作品ですけど(笑)。


−−そういう女性の心理を書くことも、たいへん上手な方でしたね。


遠藤さん 「どうして、ウチの父は、こんなに女心がわかるのか」と、母と話しをしたことがありますね。最初は母に、「お母さん、小説の中に出てくるような言葉をかけられたことある?」と聞いたら、「あるわけないじゃない」っていう返事だったんですね(笑)。それで、そのあと父に、同じ質問をしてみました。「お母さんは、そういうふうにしてもらった覚えはないって言っていたよ」と伝えたら、「家でサービスしてどうするんだ」って(笑)。
 この作品に限らず、なのですけれども、娘の立場からすると、作中に書かれているようなことは、「体験したことがベースになっているのかな」と思って、やはり聞いたことがあるのです。そうしたら、父は「小説家というのは、想像するのが仕事だから、それを全部体験していたら、身が持たないよ」と言っていました。
 だから、想像力の産物なのですが、それでは、その想像はどこからきているのだろうかと、今度はそういう疑問になりますね。……うちの父はすごく本が好きで、とくに推理小説が好きで、洋モノの推理小説をよく読んでいたんですね。洋画もよく見ていたんですよね。そうすると、その中に、ヒントになるような魅力的な女性、女優さんがたくさんいるわけですね。
 こんなやりとりをしていて、おもしろいなと思ったのは、父はなんでも「はい、はい」と聞くような女の人にはあんまり興味がないというのです。どちらかというと、悪女的な人が、時折、なにかフッと見せる優しさとか、悪女の深情けではないですが、そういう風情に惹かれるというんですね。「へぇ」なんて思いましたね。
 だって、うちの母は「はい、はい」ということをよく聞く人だったんですから。
 実生活で面倒をみてもらうには「はい、はい」という人が、いいのでしょう。母みたいなタイプがいれば、仕事に没頭できますから。非常にありがたいわけです。でも、ものを書く作家的な部分にとっては、そういうところは別なのだなぁと今にして思うのですね。
 家が仕事場だったので、1階にいる時は普通のお父さんでしたが、2階の仕事場にあがると、母のほうでも「ご出勤」というふうに考えていたようです。だから、1階にいる時は母みたいなタイプが良くて、2階に行くと、悪女が良いってなるのかもしれませんね(笑)。


−−おもしろいお話ですねぇ。やはり創作活動には、気持ちの切り換えが必要ということなのでしょうか。お仕事をされている様子はいかがでしたか?

遠藤さん 私からすると、いったい父はいつ仕事をしているのだろうという感じでした。
 生活はたいへん規則正しくて、午前中、朝食をとったあとは、肝臓が悪かったので、食後30分横になって休憩し、その後、新聞を読んで、10時ぐらいになるとお目当ての喫茶店にいきがてら、健康のために散歩をするんですよ。11時ぐらいに帰宅して、仕事をするのですが、12時には、きっちりお昼を食べます。それからまた30分休んで、CDを聞いたり映画を見たりして過ごして、何時ごろだか仕事をはじめて、夕方6時になると、夕ごはん。ほんとにきっちり、1日のスケジュールが時間で決まっていたんですよね。
 夜の9時には仕事は終わりにして、テレビの「金曜ロードショー」のようなものを2時間見て、11時には就寝という生活でした。
 ところが、残している作品数はとても多いのです。ですから娘としては、ほんとうにいつの間に?という感じでたいへん不思議でしたね。
 そのかわり、普通の人のように、夏休みやお正月休みはまったくない。お正月は三ケ日休む程度でしたし、夏だからといってどこかに旅行に行くということもなく、ずっと仕事をしていました。
 だからたぶん、1日の仕事量はそうでもなくても、トータルするとかなりみっちりやっていたんだと思いますね。囲碁が好きだったので、今はもうなくなった大泉の碁会所に、時々、通っていたり。昔はパチンコに行くこともあって、私と父が遭遇しちゃったり(笑)というようなことはありました。そういったことは、『藤沢周平 父の周辺』『父・藤沢周平との暮し』などに書きました。


−−こちらは、遠藤さんが書かれた藤沢周平さんについての本なんですね。2冊は、内容的にはどのようなちがいがあるのでしょうか。


遠藤さん どちらも我が家のノホホンとした普通の日常です。『藤沢周平 父の周辺』は父のことを書いてくださいといわれて書きはじめたものでしたが、父と母はいつも一緒にいたものですから、だんだん母のことを書いているみたいになってきちゃって。なにしろ、母の趣味はなに?と聞くと、「お父さん」という具合でしたから。藤沢周平の本なのですが、母のことがよくわかる……みたいな(笑)そういう本ですね。母は父の仕事もよく手伝っていたのですが、そういうことはあまり知られていませんでした。編集者の方は、作家の原稿は編集者が一番に読めるものだと思っていらしたようですが、実は母が先に読んでいたんですね(笑)。そういうことも書かれています。
 『父・藤沢周平との暮し』は、どちらかというと父と私の暮らしです。こちらには、父の年間の仕事のスケジュールをまるまる載せたりもしました。連載小説を1ケ月のうちに何本かけもちしていたか、なんていうのもでてきます。両方とも父のことを書いているのですが、母や、私のことがよくわかると言われました。
 書いていて気がついたのは、当時のできごとが、その時の色だったり、景色だったり、情景がおもい浮かんでくるんです。それを文章にしたという感じですね。


−−お父様を中心に、ご家族のつながりがあればこその本なのですね。こうやってお話をうかがっても、お父様とのおもしろいエピソードがたくさんありますが、娘さんの目からみて、どのようなお父様だったのですか。


遠藤さん そうですね。子供に理解がある親でした。とはいっても、今流行りの友達親子のような、甘やかしな関係ではなく、なんでも話をしていて、私の話はよく聞いてくれるけれども、やはり、父親としての一線がきちんとある……。


−−ちゃんとした「大人」の視線で子供と対してくれるというような?


遠藤さん なんでも自由にやりたいことをやらせてくれるのですが、失敗した時には、スッと手をさしのべてくれるというのが、娘としてはありがたいことでした。最初から先回りして、やめなさいと言うのではなく、とりあえずやらせて、まちがった時には助けてくれる。私も、息子に対してそうなりたいと思うのですが、この「ジッと待つ」というのは、けっこうたいへんなことです やっていることをジッと見守るのは、たいへんむずかしいことなんです。息子には、前もってつい言ってしまって、「いかん、いかん」と思うことがありますが、父のような接し方は、自由で良いように思いますが、やりたいことそのものは、自分で探さないといけないので大変な部分もありました。
 レールを敷いてはくれないので。あの時、こうすればよかったと思うことはありますが、あっちこっちぶつかりながら、今に至っていると思います。そういう意味では、楽はさせてくれない親でしたね。ただ、すべて自分で選んでいるので、納得はできますよね。


−−失敗の末に……とか、親子の絆とか……、そういうお話ひとつひとつがまた、藤沢さんの作品とも重なりますね。

遠藤さん 本を読んでいて、失敗してもいいんだよ、と父が書いていてくれるような気がするのが、救いになることもあります。父自身も、最初から小説家というわけではなく、いろいろな経験を経て、最終的にたどりついたのが、小説を書くということでしたので……。
 そのほかにも、日々の会話の中で、たくさんのことを教えてくれていましたね。うちの父は、いろいろと嫌いな言葉語録みたいなものがあって……。
 一番「ああ」と納得したのは、偉い人についてのことです。自分で偉いと威張る人がいますが、「偉い人というのはその人がそう振る舞うのではなくて、まわりの人が自然に認めるものなんだよ」……という話をしてくれたことがありましたね。生活のちょっとした会話の中で人をみる目を教えてくれているのです。ほかにも、自慢はするな、派手にするな、などと言っていましたね。普通に生活することを大切にしていたのだと思います。江戸町人の普通の暮らしを丁寧に描いたのも、そういうことがあるのだと思います。
 普通に生活するというのは、簡単なことのように思えますよね。よく「平凡はつまらない」と言う人もいますが、みんなが健康で、平穏無事に過ごせることのほうが、実は少なかったりするんですよね。波瀾万丈にあこがれるという状況は、逆に言うと、ほんとは幸せなことです。今が平穏無事だからこそ言えると思うのです。だからできれば、「普通の生活」の大切さに、気がついて欲しいと思いますね。
 この間、シニア向けの雑誌の取材を受けたのですが、定年したお父さんが家でゴロゴロしているのがうっとうしいと家族に言われるという意見があって……。年齢を重ねて、定年まで、毎日勤めあげたというのは、実はたいへんなことですよね。勤めあげるということは子供も育てあげているわけです。そういうお父さんが病気もせずに、家でのんびりできることは、ご褒美みたいなものだと思うんですよ。だからそれは家族で喜ぶべきことだと思うのです。毎朝、同じように仕事に行くのは、たいへんなことですからね。
 うちの父は、ほんとうは、将来は出版社からの仕事ではなく、自分の好きなものを好きなように書きたいと言っていたんですね。仕事としてやっている限りは、締め切りもあるし、枚数の制限もある。その中で、おもしろい部分も書かなくてはいけないし、ホロリとさせる部分も作らなくてはならない。そういうことに捉われないで、書きたいものを書きたいと言っていたのですが、そういう機会はなく、生涯現役で終わってしまいました……。
 そういうことを考えると、ゴロゴロするお父さんもいいんじゃないかなと思ってしまうんです。


−−ほんとうに、最愛のお父様だったんですね。


遠藤さん 父のことが大好きで、たぶん父も私のことを大好きだと思ってくれていたと思います。


−−エッセイの中には、『橋ものがたり』の中の「小ぬか雨」がはじめてテレビドラマ化された時のエピソードも書かれていましたね。放映される夜8時には3人そろってテレビの前に座って……という情景ですが、いまはもうそういう風景はみられません。……すごくいいなぁと思いました。


遠藤展子さん遠藤さん そうなんですよ。当時は和室にテレビがあってね、みんな同じ方向を向いて、正座して待っているわけです。今考えると、レトロな風景ですが、まだビデオもDVDもない時代ですから、時間にあわせないと見られなかったんですね。一緒に視ているから、自然に感想もでてくるし、「あの俳優さんはカッコイイ(笑)」なんて話をしたり、家族の絆が深まる……じゃないけど……いい時代でしたね。


−−最後の家族団欒があった時代かもしれませんね。


遠藤さん 父は勉強に関しても「勉強は学校で習ってくればいい、だから塾は行かなくて良い」と言っていました。子供は遊ぶのが仕事だから、学校から帰ってきたら、とりあえず遊んでいる姿を見ていれば安心という人だったんですよ。でも、今考えると、学校の勉強だけで成績を保つというのはけっこうむずかしいことで……。父の言うことは、子供にとっては理想的なんだけれど、ある意味、高度な要求といえるのかもしれません。
 うちの息子も部活に一生懸命で塾に行っていないのですけど、塾に行かずに勉強をするというのはたいへんなことですよね。とは言っても、父も私ももともと、成績は中ぐらいで、普通なら良いという考えなのですが……。


−−自分で決めて、自分でやらないといけませんからね。でも、時間にきっちりと、自分で決めて行動される息子さんは、お父様の生活にも通じるところがあるような感じがしますね。

遠藤さん そうですね、似ているかもしれません。夫のことも、結婚する時に、うちのお父さんに似てるなんて、思って結婚したんですけどね。息子は、中学に入って剣道を始めて、部活以外に地域の道場にも通っていて、一週間の内6日間お稽古をしているのですが、自分で決めてやり始めたことなので、寒稽古も、文句いわずに通っていました。足の裏の皮がむけるほど練習したり。一人っ子なので、将来はひとりでちゃんと生きていけるようになってほしいと思っているんですが。でもつい、母に私が言われていたようなことを先回りして息子に言ってしまうことがあるんですよね。
 親ってむずかしいですね。子供を守ろうとして、逆に守りすぎてダメにしてしまうこともあるんじゃないでしょうか。だから、多少つきはなしたところで、自分で考えて、自分で行動してもらえるようになってもらいたいと……。いろいろ、試行錯誤しながらやってますね。


−−最後に記念館のことを教えていただけませんか?


遠藤さん 藤沢周平記念館(仮称)は、父の出身の山形県鶴岡に、平成21年の開館予定で、今準備をすすめています。父が住んでいた大泉学園の家は、今はもうないのですが、解体して鶴岡に持っていってあるので、仕事部屋の再現の部分にいかせたらいいなと思っています。あと、庭の樹も、鶴岡のほうに植えていただきました。寒いから上手く根付くかなと思ったのですが、植木屋さんが上手にしてくださったようで、大丈夫でしたね。


−−仕事場から見ていらした風景が再現されるわけですね。


遠藤さん そうなんですよ。そろそろ遺品も、寄贈するものと寄託するものを選らばないといけないのですが、なかなかふんぎりがつかなくって……みんな思い出があるものですから。
 うちの父は、派手なことも目立つことも嫌いだったので、こぢんまりとやっていただければ……ということで、お話をさせて頂いています。以前、世田谷文学館で特別展を開催して頂いた時にいらしてくださった方々が、みなさん、原稿の一字一句をじっくり読んでいかれていたんですね。そういう方たちが満足していただけるような、のんびりした記念館ができるといいなと思っているんです。
 鶴岡というところは、景色もいいし、食べ物も美味しい。父の作品にでてくる「海坂藩(うなさかはん)」は庄内藩をモチーフにしたと言われていますが、実際は父の想像の架空の藩なんですね。鶴岡という土地が先にあって、父・小菅留治(藤沢周平さんの本名)が生まれ、育ち、そして、藤沢周平となって海坂藩が書かれたわけですから、その順番をまちがわないで、藤沢周平のいる鶴岡……ではなく、父が好きだった、父が育った鶴岡を大切にしていけるような記念館になればいいなと思います。
 父の命日に、夫と二人でお参りにいった時のことなんですけど、お墓に小さな花束をお供えしてくださる女性の方とお会いしたんです。近くに住んでいらして、ファンなので、これまでも時々、ここに来て先生とお話させていただいていたんですよ、とおっしゃってくださった。たまたまお会いできたので、そういうお話を聞くことができました。人知れず、静かに父の作品を今も愛してくださっているたくさんの読者の方がいらっしゃるということが、つくづく、ありがたかったですね。


−−まるで、藤沢周平先生の作品のようなお話ですね……。今日は、ほんとうにありがとうございました。






時代小説を読んだことのない人も、藤沢周平さんの『橋ものがたり』は、一度は手にとってもらいたい本です。短編集なので、読みやすいということもありますが、なにより、普通の人々のドラマが心に染みます。細やかに描かれた男女、親子、人と人とのやりとりは、江戸の人々の暮らしなのに時代を越え、ふと自分の気持ちに重なります。遠藤展子さんのエッセイも、昭和の時代を父と過ごした思い出にあふれ、彩りを添えています。
【インタビュー 波多野絵理】



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