楽天ブックス 著者インタビュー

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体は「女」だけど心は「男」――元女子フェンシング日本代表であり現在、早稲田大学大学院生の杉山文野さんが、性同一性障害である自身について語った『ダブルハッピネス』</a>。TVドラマ「3年B組金八先生」に取り上げられたことで、広く知られるようになった体と心の不一致=性同一性障害に悩む日々をストレートに、時にユーモアを交えて綴ったこの本が大きな注目を集めています。スカートをはくのが嫌で泣きじゃくった幼稚園時代から、自らの問題に気づき悩んだ思春期、家族や友人へのカミングアウト時のエピソードとともに、この本に込めた想いを語って頂きました。

プロフィール

杉山文野さん (すぎやま・ふみの)
1981年、東京・新宿生まれ。日本女子大学付属の幼、小、中、高を経て早稲田大学教育学部を卒業。現在は同大大学院教育学研究科修士課程に在学中。2004年度の女子フェンシング日本代表。選手引退後はNPO法人ワセダクラブ・ジュニアフェンシングスクールでチーフコーチを務めるほか、自らが生まれ育った歌舞伎町を拠点に、街のそうじに取り組む<グリーンバード歌舞伎町チーム>代表としても活動中。→ http://plaza.rakuten.co.jp/fumino810/

インタビュー

杉山文野さん

−−この『ダブルハッピネス』の表紙の杉山さんの写真がとても素敵なのですが、カバーを外すと刺激的なショット(上半身裸!)があってビックリしました。
杉山さん「抱かれたいハーフNo.1」を目指して撮りました(笑)。
−−『ダブルハッピネス』というタイトルをつけた理由とは?
杉山さん性同一性障害で「辛さや苦しさも2倍だけど、楽しさも2倍だよ」という意味でつけました。この本を書いたのは、『五体不満足』の作者である乙武洋匡さんと出会ったことがきっかなので、最初は『女体不満足』にしてもいいんじゃない!?なんて案も出てたんですが(笑)。
−−それは……かなりインパクトがあるタイトルですね(笑)。
杉山さん でも「女体」という響きからアダルト関連とか、妙な誤解をされても困るのでやめました(笑)。タイトルについては、より多くの人に手にとってもらうために、性同一性障害をイメージさせたり、性別云々にこだわったものでないほうがいいという気持ちがあったんです。
−−内容も、性同一性障害のことがわかりやすく書かれていると同時に、フェンシングに夢中だった日々や恋愛など、笑ったり、悩んだりの青春時代を綴ったエッセイとしての面白さがありますね。
杉山さんそうですね。これまでにも性同一性障害の本がありましたが、「辛い、悲しい時代を乗り越えて新宿2丁目で頑張ってます!」といったものや、それとは対照的に法律学的、医学的に捉えた難しい内容の本が多かった。でも、自分は今までずいぶんバカなこともしてきたし、大学院で“セクシュアル・マイノリティ”について学んでいることもあって、いわゆる夜の世界とも、学問的なカタイ内容とも違う本にしたかったんです。
−− 本を書くにあたり、乙武さんの勧めがあったそうですが、どんな出会いだったのですか?
杉山さん 乙武さんとは街で偶然会って、その時、失礼なのを承知で「手術とかなさらないんですか?」といきなり質問しました。自分は元の姿(男)に戻るために性別適合手術を受けたいと思っているけれど、乙武さんの場合は、手術で手足を取り戻したいと考えているのだろうか……という疑問があったからです。そんな話をしているうちに、「お前、面白いなあ。本でも書いてみたら?」と乙武さんに言われて。その1週間後には編集者に会い、本を書くことになりました。
−−自分が性同一性障害だと気づいたのはいつ頃ですか?
杉山さん幼稚園の時からスカートをはくことにはすごく抵抗がありました。女の子として扱われることにずっと違和感があって、女の子といても「女同士」に思えないし、思春期になると、「僕」として当たり前に女の子を好きになってしまう。「自分は女体の着ぐるみを身につけている」と感じ、何かいけない存在なのだと思い悩む日々でした。1998年、埼玉医科大学で性転換手術を承認するというニュースで「性同一性障害」という言葉を初めて知り、自分がどういうカテゴリーに属する人間なのかがわかってから、ようやく自分自身を肯定できる気がしました。。
−−それ以前は、性同一性障害が同性愛などと混同されることも多かったようですね。<
杉山さんそうですね。性同一性障害という言葉が世間一般に広まったのは、やはり「3年B組金八先生」で取り上げられた影響が大きいと思います。でも、この問題は傍目からはわからないので、理解されにくいのは仕方がないんです。ただ、知らないということを理由に存在を否定して欲しくない。だからこそ、性同一性障害について、知識を持ってもらえるようにしようというのは、本を書く上で大事にしたことです。
−−本の最初に七五三の時の家族写真も掲載されていますが、5歳の時は男の子の衣裳、7歳の時には晴れ着姿ですね。
杉山さんこの間、姉と写っている子供時代の写真が出てきて、それを見た母が「今思えばあなたが女の子だった時って1度もなかったわね、スカートはいてても、着物着てても…」と呟いたのが印象的でした。
−−実に明るくて、温かなご家族の様子も描かれていますが、この本に対するご家族の感想は?
杉山さん 本が出る前は「たまたま乙武さんに会って、本を書くことになった」と言っても、ただ「へえー」という感じでみんな信じてなかった(笑)。本が出ると、母はすぐに読んでくれました。父は最近ようやく読んだみたいで、「遂に読んでしまった」と書いた携帯メールがきました。
−−高校時代に性同一性障害だとカミングアウトした際、すぐに理解を示してくれたお父さんが、実は何もわかっていなかった、というエピソードからは、性同一性障害を理解してもらうことの難しさを感じたのですが……。
杉山さん そんなことがあったせいか、本を読んだ後に父から、「あの時は本当に悪かった」というメールをもらいました。母曰くこの本をきっかけに、父自身にも「息子ができた」という意識が芽生えたらしいんです。「今になって跡取りができた」と知り合いに話していると聞いて、とてもうれしかったですね。家族の中で唯一、おばあちゃんにはどうしても言えなかったのですが、本が出たらいつかは耳に入るだろうと思って告白しました。そうしたら「あなたなら何があっても大丈夫」と言ってくれて。しかも何を勘違いしたのか、「有名人になったのに、お財布にお金が入ってなかったら困るだろう」と、お小遣いまでくれるようになりました(笑)。
−−学校に馴染めなかったり、制服に耐えられなくて、学校に行かなくなる性同一性障害の人が多いそうですが、社会からドロップアウトせずに過ごすことができた理由は何だと思いますか?
杉山さん世間体かもしれない(笑)。友達に本当のことを言う前は、仲良くしていてもどこか壁を作っていたので、カミングアウトしたら本当に楽になりましたね。
−−友達にカミングアウトした時、「文野は文野でいいじゃん」と言われたり、この本を読むと、周りの人たちの理解がすごく大切だと感じます。
杉山さん家族にも友達にもこれだけ恵まれているのだから、裏切れない、何かやらなければという思いは確かに強かったですね。こうした本を書くのは自分だけの問題ではないので、友達に名前を出して良いか聞いたら、みんな「隠す理由がない」という答えでした。高校時代の彼女のことが一番気になったのですが、その彼女にも「どうして?別にいいじゃない」と言われ、こっちのほうが拍子抜けしちゃいましたよ(笑)。嫌なことばかり考えてしまう日々の中で、フェンシングにも助けられたと思います。外見と中身の食い違いに悩み続けていた思春期の頃は、とことん練習して、家に戻ったら疲れ果てて眠るぐらいでないと正直、自分を保てなかったので。
−−ご実家は歌舞伎町でとんかつ屋さんを経営されているそうですが、国籍、職業とさまざまな人を受け入れる、歌舞伎町という街のエネルギーに救われた部分はありますか?
杉山さん歌舞伎町で育ったからなのかはわかりませんが、歌舞伎町というのはさまざまなマイノリティが集まる場所だと思います。自分の居場所を見つけられなかった人が集まってくる、誰でも受け入れてくれる、そんな懐の深さはとても好きですね。
−−この夏、歌舞伎町の街の清掃に取り組む“グリーンバード”を立ち上げるなど、街づくりの活動もされているそうですね。
杉山さんグリーンバード自体は、3年ほど前に表参道でスタートしたプロジェクトですが、歌舞伎町でいろんな人がゴミ拾いを一緒にしたら面白いんじゃないかと感じて始めました。街づくりについて、行政レベルで何かをやろうとすると、夜の世界の人たちと付き合うのが難しいんですね。僕は曾祖父が戦後、歌舞伎町を復興したメンバーの1人ということもあるし、昼は大学院生、夜は「どこのおなべちゃん?」などと言われて親しまれるので、昼と夜の両方の世界からこうした活動をしていければと考えています。
−−最後に、この本をどんな人に読んでもらいたいですか?
杉山さん性同一性障害に悩んでいる、関心があるという方はもちろんですが、そうでない方にこそ、ぜひ読んでもらいたい。全ての人に「理解してくれ!」というつもりはありませんが、こうした事実もあるということを一人でも多くの方に知ってもらえればうれしいですね。
性別以外でも、何かのカテゴリーにはめないと物事を理解できなかったり、人の意見に左右されたりすることは多いのですが、自分で何も考えずにいると、いざ問題が起きた時に辛くなるはずです。僕はたまたまこんな風だったので、早い時期から「自分は何者なのか?」と考えることができたのは良かったと感じています。もちろん、いまだにトイレに入る時に、どっちに入ろうかと悩むわけですが。好きなことができるのも、環境に恵まれているからだと思うので、自分がやれることをしっかり見つけていきたいですね。

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