楽天ブックス 著者インタビュー

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連れ去られたのは虐待されている子供。連れ去ったのは、親から虐待されていた女子高生。わが子を血まなこになって探す父親は刑事。『不夜城』で独自の「馳ノワール」を打ち立てた馳星周さんの新刊『楽園の眠り』は、現代風俗を作中に巧みに取り込みつつ、手に汗握るノンストップサスペンスだ。馳さんに、『楽園の眠り』が書かれた背景をうかがった。

プロフィール

馳星周さん (はせ・せいしゅう)
1965年北海道生まれ。編集者、書評家を経て、96年に『不夜城』でデビュー。『不夜城』はベストセラーになり、映画化されたことでも話題に。同作で吉川英治文学新人賞を受賞した。『鎮魂歌』で日本推理作家協会賞、『漂流街』で大藪春彦賞を受賞。そのほかの主な著書に『M』『マンゴー・レイン』『古惑仔』『生誕祭』ほかがある。

インタビュー

−−『楽園の眠り』で、虐待というテーマを取り上げたきかっけを教えてください。
馳さんこの2、3年、幼児虐待のニュースが多いですよね。たまたま、テレビのニュースを見ていたら、最後にコメンテーターが「どうして自分の子供にこんなひどいことができるんでしょうね」と言っていた。それで終わり。

 それじゃあダメだろう、人ごとみたいに考えてたら。コメンテーターだけじゃなく、たいての人は人ごとだと思っているんですよ。でも、そうじゃない。あなたのまわりにいる普通の人がこういう犯罪を犯しているんじゃないか。最初のとっかかりはそれでしたね。
−−馳さんといえば、『不夜城』をはじめとして、裏社会の人間が登場するノワールもののイメージが強いんですが、『楽園の眠り』はその路線とは違いますね。死体の山が築かれたりはしない。書くうえで違いは意識されていますか?
馳さん意識はしていないですね。この小説はこういう内容だから、文体はどうしようか、とは考えますけどね。自分の中では人がたくさん死ぬ作品とそうじゃない作品がそれほど違うとは思っていない。たまたま、『楽園の眠り』は普通の人たちしか出てこないけど、人が死ぬか死なないかは物語次第だよな、と。
−−『楽園の眠り』の文体はどんなふうに、とお考えでしたか。
馳さん主人公たちの独白の部分が多くなりそうだったので、あまりセンテンスが短い、ぶったぎったような文体はやめようと。それでも、ぼくの文体は、ほかの人に比べたらセンテンスは短いほうだと思いますが。
−−たしかに、リズム感がありながらも、読者も考えさせられる「余白」がある文体ですね。
馳さん登場人物についてうかがいたいんですが、子供を連れて逃げるヒロインが女子高生ですね。
妙子は現実の女子高生のステロタイプではないですね。
−−もっとしっかりしてますね。
馳さんいまの典型的な女子高生を主人公に持ってきてしまうと、すぐに捕まっておしまいか、子供を放り出して逃げてしまうと思う(笑)。それじゃ話が進まない。いまの若い子たちの浅はかな部分や短絡的な部分と、刑事から逃げるための賢さとが矛盾しないようにするのには苦労しましたね。
−−妙子が最初に登場したときにはちょっとバカっぽい。でも、危機的な状況におちいってから、意外なしたたかさを発揮していく。成長していくとも読み取れました。
馳さん妙子は連れて逃げている子供の母親になろうとしているわけだから、強くなろうとする。母は強い。男よりは、女性のほうが強いんだよね。
−−物語が進んでいくと、登場人物の意外な面が出てきます。馳作品に共通することだと思うんですが、登場人物たちの造形が一筋縄ではいかない。いいやつかなと思わせておいて、そうじゃない部分も見せるとか。
馳さん小説を書くという作業は、物語を構築することと登場人物を造形することがセットになっている。

 作家によって違うのかもしれないけど、ぼくは、登場人物に対しては一歩引いていないダメだと思う。ある人物を出すときには、この人がどういう人物であるかを客観的に見る。読者がその登場人物をどうとらえようとかまわないけど、作家が客観的でいないといいものは生まれないと思いますね。

 『楽園の眠り』でもそうなんですが、たとえば、いい人だと思えるような登場人物でも別の一面が後で出てくることもある。でも、それは唐突にそうしているんじゃなくて、ちゃんと伏線は張ってあるんですよ。
−−読んでいるうちに、どんどん本性が見えてくる。登場人物を追うだけでスリルを感じます。また、馳さんの小説は「裏切り」がひとつの大きな特徴だと思います。
馳さん物語に劇的な効果をもたらすには「裏切り」が効果的だということももちろんありますが、基本的に、人間が一番大事なのは自分だよ、と思っているところはありますね。自分と他人をてんびんにかければ、たいていの人間は自分に天秤が傾く。それが人間だろう。何の問題もなく生きていれば、ふつうに友達と仲良くやっていればいいけれど、岐路に立ったときにどうするか。そのとき、裏切るほうがリアルだと思う。
−−『楽園の眠り』はケータイが小道具として大きな役割を果たしています。ケータイを使った駆け引きの面白さがある一方で、ケータイによるコミュニケーションの軽さに空恐ろしさも描かれています。馳さんご自身はケータイはよく使われるんですか?
馳さんケータイメールはほとんど使いませんね。ぼくはもともとパソコン通信から始めているから、入力端末が小さすぎてケータイは使う気にならない。それに、ケータイメールは文字数も少ないし、その文字数では伝えたいことが伝わらないと思っているから。

 パソコンのほうでは、メールも仕事の一部だから使ってるけど、ちょっとした言葉の行き違いで問題になることもある。やっぱり、いちばんのコミュニケーションは、フェース・トゥ・フェースでしゃべることですよ。メールは、そうできないときの二義的な手段にすぎない。

 ところが、いま、若い子も大人も、電車に乗ったら、みんなケータイをいじっていて、気持ち悪いですね。女子高生なんかが、出会い系で知り合って、メールを何回かやりとりしたら、「あの人、メル友でさあ」って。友達なんてそんなに簡単にできるか! って(笑)。

 大人になればわかるけど、友達なんて片手で数えるくらいいれば十分なんですよ。若い頃には寂しかったり不安だったりして、仲間が欲しいと思うんだろうけど、いらないよ、そんなに。

 あくまでメールは簡易的なコミュニケーション・ツール。あれに寄りかかっちゃだめでしょ、と思っているところはありますね。
−−馳さんの小説には「依存」というモティーフもしばしば登場します。『楽園の眠り』では、その依存の対象が虐待だったり、ケータイだったりする。裏切り合い、だまし合いを描いた小説であると同時に、依存する人間たちを描いた小説だと思います。
馳さん人間は誰だって何かに依存している。いちばんの問題は、自分が何かに依存していることを自覚していないこと。たいていの日本人は、自分が依存していることにも気づかないで、ただただ流されているだけ。
−−主人公の友定を始めとして、『楽園の眠り』に登場する人物はみな危機的な状況に陥っていく。しかも、それは自分で撒いた種なんですよね。
馳さん自分の欲望を抑えられないからそうなってしまう。でも、苦しいのは、つらいのはお前だけじゃないんだよ、っていう話なんだよね。今の風潮で、「自分探し」っていうのがあるけど、あれって、「自分は本当はこうじゃない」って思っているってことでしょう。満たされていない。でも、みんなそうだよ、昔からそうだったんだよって。全員が満たされたら天国でしょう。天国なんてないんだから。
『楽園の眠り』を読んでいると、ぼくらが生きているこの時代、この街がとんでもないことになっていると痛感させられる。毎日のニュースでわかっているつもりになっていたことでも、こうして小説の中で展開されると、その異常さが鮮やかに浮かび上がってくるのだ。小説家の想像力が、ニュースからは見えてこない、もう一つの現実を暴き出す。お話をうかがった馳さんの言葉からは、「いま」を撃つ小説家の力強さが伝わってきた。【インタビュー:タカザワケンジ】

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