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「ベトナム戦争は『メデューサ』だった」戦場カメラマンが見たベトナム戦争、9・11テロ平敷安常さん『キャパになれなかったカメラマン』

米ABCのテレビカメラマンとしてベトナム戦争に特派された平敷安常さんの自伝的ノンフィクション「キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち」(講談社)が、第40回大宅壮一ノンフィクション賞に輝いた。戦争当時、ともに行動していた放送記者たちとの交友を通して、壮絶な戦場に挑む若いジャーナリストたちの雄姿と苦悩が「従軍記者時代のヘミングウェーを思わせる」(大宅賞選考委員・藤原作弥さんの評)味わいのある文章でつづられている。平敷さんに話を聞いた。


平敷安常さんの本はこちら

1965〜75年、カメラを肩に戦火の10年を駆け抜けた日本人の、ベトナム報道全貌
『キャパになれなかったカメラマン(上)』
『キャパになれなかったカメラマン(上)』
2,520円(税込)

『キャパになれなかったカメラマン(下)』
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2,520円(税込)


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“恋写”カメラマン野村誠一が教える、自分ブランドを確立する方法
『カリスマ・カメラマンになる(野村誠一)』
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1,260円(税込)

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『カメラマン目線(白石光一)』
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1,000円(税込)

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『アリになったカメラマン 昆虫写真家・栗林慧』
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1,575円(税込)

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『徳川慶喜家カメラマン二代目(徳川慶朝)』
『徳川慶喜家カメラマン二代目(徳川慶朝)』
760円(税込)


プロフィール


平敷安常さん (ひらしき・やすつね)
1938年、沖縄県生まれ。大阪府立寝屋川高校卒業。56年、大阪テレビ放送入社。58年、毎日放送に移籍。66年、毎日放送退社。66年から75年まで米ABC放送サイゴン支局付カメラマン。その後、イラン革命、湾岸戦争、9・11ツインタワー爆破事件などを取材する。06年、依願退社。ベトナム人妻と1男1女。米国在住。71歳。

インタビュー


平敷安常さん−−ベトナム戦争終結から30年以上経ちます。今なぜ、このテーマで出版を?

平敷さん テレビニュースは放送されたら何も残りません。だから、危険をおかし、競い合い、助け合ったぼくらの話を誰かに伝えたいと思いました。しかし、戦争が終わった直後は、そういう話はもうたくさんだという風潮もありました。それで延ばし延ばしにしながら、少しずつ資料を整理していました。そうして初稿ができたのが7、8年前です。一緒に働いた放送記者たちに手紙を出したりもしました。「なぜベトナムに行ったのか」「戦争に賛成だったか反対だったか」「ベトナム後遺症のようなものは残っているか」といった内容です。ある記者はイラク戦争と比較して「ベトナムから何も学んでない」という返事をくれました。また当時の日記を送ってくれた人もいました。テッド・コッペル(※注1)です。時間がたって、今だから話せる話もあるし、今だったら抵抗なしに読んでもらえるというのもあるでしょう。ただ、心配だったのは若い人たちに読んでもらえるのかという点でした。登場人物たちは20〜30代の若い人だから、青春群像として理解してもらえるとうれしいです。


−−タイトルに「キャパになれなかった」とあります。どうして「なりたかった」や「なった」ではないのでしょうか?

平敷さん ロバート・キャパは当時の報道カメラマンのあこがれですね。記者にとっては戦争特派員時代のヘミングウェーやアーニー・パイル(※注2)です。当時、ぼくもやっぱりそうなりたかったんですね。いい映像を撮って、認められたかった。ところが仲間たちと戦場で切磋琢磨(せっさたくま)し、やがてキャパに近づいたなと思ったころ、兄とも慕うカメラマンのテレンス・クーをクアン・チという戦場で失ってしまいます。周囲からは私と彼の競争が彼を死に追いやったという批判が出ました。そのとき、いろいろ反省しましたね。キャパにならなくてもいいんだ、と。キャパになりたかったけれど、もうキャパになれなくてもいいんだ、と思いました。


−−多くの若いジャーナリストが志願してベトナムに行きました。平敷さんもその一人です。ベトナム戦争の何がそこまで若者を引きつけたのでしょうか?

平敷さん 仲間同士で言っていたのは、ギリシャ神話の「メデューサ」ではないかと。見てはいけないけれど見てみたい。石になるけど見ずにはいられないという魔力ですね。当時、あるベトナム人が言っていました。「ベトナムに来たメディアの若者たちには三つのタイプがある。一つは名を上げるため、一つは一獲千金、一つはベトナムの魔力にとりつかれたため」と。沢田教一さん(※注3)もきっと3番目なんでしょう。香港に転勤になっても絶えずベトナムに帰ってましたし。「戦争は将軍とジャーナリストを育てる」という言葉がありますが、ある意味では本当だと思いますね。放送記者で言えば、オンエアされることが大事なんですね。日本でもそうでしょうが、新米の記者がすぐにトップの記事を書けるチャンスは少ないでしょう。認められるまでかなりの時間を要します。でも戦場では、ベテランの記者にも新米にも平等にチャンスがありました。そこで競い合って、いい記者は伸びていくんですかね。


平敷安常さん『キャパになれなかったカメラマン』−−本書には日本人のジャーナリストも数多く登場します。

平敷さん (本書は)主にアメリカのテレビニュースに絞りましたが、実は日本のジャーナリストの話がたくさんあるんです。私自身、もともとは当時できたばかりの毎日放送の出身で、毎日新聞から来た記者の人たちにいろいろ教えてもらいましたし。当時、ベトナムには新聞社の社会部の記者がたくさん来ていましてね。毎日新聞だとベテランの柳原義次さん。沢田さんがピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」という写真に写った家族を、柳原さんが苦労の末に探し出して記事にするんですね。あの戦争には社会部の記者が足で探してストーリーにできる、そんな素材がたくさんあったんですね。


−−ベトナム戦争は「報道に開かれた戦争」と言われ「報道が戦争を終わらせた」という見方もあります。

平敷さん ベトナム戦争は第二次世界大戦や朝鮮戦争に比べても、確かに検閲がほとんどなくて、報道陣の行きたいところにはたいてい行かせてくれました。そういう意味では報道の自由でした。当時のカメラマンたちは、自分の得意な分野を決めて、好みの兵隊さんたちを追いかけることもできました。あるとき、アメリカの国防次官が来て、記者を集めて「おまえたち、おれたちのチームに入ってくれ。チアリーダーになってくれ」と言うんです。戦争をもう少し有利に報道してくれてもいいんじゃないかと。きっとアメリカの報道関係者の中には協力した人もいたでしょう。けれど、ぼくの周囲の記者やカメラマンは、真実を報道する姿勢を崩しませんでした。まずは、ありのままを報道していました。


−−平敷さんは米ABCのカメラマンで国籍は日本人という複雑な立場でした。当時、その立場からベトナム戦争をどのように見ていましたか。

平敷さん やはり日本人の感覚は残っていましてね。例えば、ぼくらは撮影後、撮影報告(ドープ・シート=写真)を書くんですね。するとアメリカ人のカメラマンは「BC(ベトコン=ベトナムの共産主義者)」と書くんですね。でも日本人はベトコンという言葉を避けて「NFL(解放戦線)」と書いたり。それからアメリカ人記者は「enemy(敵)」と言いましたが、ぼくはなるべくそういう言葉は使わないようにしていました。「the other side(あちら側)」と。中立を保つよう気をつけていたんです。もちろんアメリカ人記者の中にも、ハト派やタカ派など、いろいろな人がいましたが。


−−一方で平敷さんはサイゴン陥落後、フィリピンに到着して涙を流しています。

平敷さん 中立だと思っていたものの、南政府側から10年も取材していますから。自分が負けたわけでもないのにベソをかくわけですよ。なんで悔しがったのか分からないけれど、不思議ですね。当時、ぼくの地元に反戦歌を歌っていたフォークシンガーがいたんですが、その彼が会うたびに「おまえはアメリカの会社なのか?」と言うんです。アメリカの会社と言っても政府とは違う、民放だと言っても、なかなか理解してもらえませんでした。


平敷安常さん−−平敷さんはベトナム戦争後、数々の戦地を巡り、9・11テロの際もカメラマンとして報道に携わっています。ベトナム以後の戦争報道はどう変わりましたか?

平敷さん 自由さがなくなりました。例えばイラク戦争の場合、代表取材でAP通信から1人、UPI通信から1人といったチームをつくりましてね。(政府が)コントロールしやすいようになりました。ベトナム戦争のように、事件が起きて、いきなりそこへ駆けつけるということができなくなりました。今はもう(政府が)見てほしいところだけに連れて行くという形です。ブッシュ大統領のときには禁止されていた、戦死した兵士のひつぎが星条旗で覆われている映像や写真の撮影が、オバマ大統領になって許されるようにもなりました。解除が何を意味するか分かりませんが、軍は今そういうところまで気にしている。政治の都合でコントロールされています。


−−戦争報道が難しくなったということでしょうか?

平敷さん ベトナム戦争ではB51爆撃機や枯れ葉剤、ナパーム弾などたくさんの兵器が使われましたが、やっぱりまだ、地上戦など人間と人間との戦いでした。しかし湾岸戦争あたりから、コンピューターを駆使したビデオゲームのような戦争になってしまいました。こうなってくると記者もカメラも入りこむ余地がありません。映像や写真で伝える機会というのが、少なくなっていると思います。例えば、ベトナム戦争では、まれなケースですが、北ベトナムの負傷して捕虜になった士官をアメリカ兵が助けるような場面もありました。余裕があったんですね。戦争はどんな戦争も悪いのですが、今はそういう人間らしいドラマが失われてしまいました。だから取材するのも難しいでしょうね。


−−読者へ一言お願いします。

平敷さん 本には若い放送記者やカメラマンが多く出てきます。彼らがベトナム戦争に対して、ものすごく真摯(しんし)な姿勢だったというのを、ぼくは本の中で表現したつもりです。彼らに少しでも共感を覚えてもらえればうれしいです。ちょっと弁解になりますが、最近、メディアがいろいろな方面からたたかれますよね。でも、こういう時代もあった、こういう人たちもいたと理解してもらえればと思います。



※注1 テッド・コッペル 
ABCの報道番組「ナイトライン」のアンカーマンを05年まで25年つとめた。CBS「イブニング・ニュース」のダン・ラザーやNBC「ナイトリー・ニュース」のトム・ブロコウらとともにアメリカ屈指のジャーナリストとされる。

※注2 アーニー・パイル
第二次世界大戦に従軍記者として同行し、44年ピュリツァー賞を受賞。翌年、従軍先の沖縄県伊江島で狙撃され死亡。

※注3 沢田教一
青森県出身のフォトジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した「安全への逃避」で66年にピュリツァー賞受賞。70年、カンボジアで狙撃され死亡。




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