楽天ブックス 著者インタビュー

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世界的にも有名なアニメ「ドラえもん」。そのドラえもんの声を、2005年3月まで26年間も続けられた大山のぶ代さん。今の日本人なら誰もが、のび太くんと一緒に、大山さんに励まされて育ったようなものでしょう。そんな大山さんが、藤子・F・不二雄こと藤本弘先生との思い出や、ご自身の闘病、ドラえもんの声優卒業まで、たくさんのうちあけ話を書き綴った『ぼく、ドラえもんでした。』を出版。ドラえもんのお話から、NHKの体操のお兄さんだった砂川啓介さんとのご夫婦の暮らし、これからのことなどインタビューに答えてくれました。どうか、ドラえもんの声を思い浮かべて、お読みください!

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『ぼく、ドラえもんでした。』『ぼく、ドラえもんでした。』
ドラえもん声優26年の書き下ろし自伝!。「ドラえもん声優」卒業記念でありかつ「デビュー50周年」記念出版でもあります。
1,575円(税込)
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プロフィール

大山のぶ代さん (おおやま・のぶよ)
1936年東京生まれ。女優。都立三田高校在学中に、劇団俳優座養成所入学。1956年、「この瞳」(NHK)でデビュー。出演作に「名犬ラッシー」「ブーフーウー」「ハリスの旋風」「江戸を斬る」「じゃがいも」「高原へいらっしゃい」「ためしてガッテン」など多数。1979年4月〜2005年3月まで、アニメ「ドラえもん」の声を担当。2004年度に「放送ウーマン賞」受賞。料理研究家、水の研究家としても著書多数。2007年には音響芸術専門学校学校長に就任予定。

インタビュー

−−大山のぶ代さんといえば、やはり「ドラえもん」ですが、この本を読んで「ハリスの旋風」や「ブーフーウー」の声もやっていらしたことを思いだしました! 今の日本のほとんどの人が、ずっと大山さんの声を聞きながら、育ってきたんですね。
大山さんどれを御存知か聞くと、だいたい育った年代がわかるんです。「ブーフーウー」なら50代、「ハリスの旋風」なら40代、「ドラえもん」なら30代でしょう? ブーフーウーはNHKの人形劇で、3匹の子ブタの兄弟のお兄さん役。黒柳徹子さんたちと人形の声を担当していたの。ミュージカル仕立てで、毎回歌があって、楽しいけれどたいへんだったわ。その当時はテレビのドラマも生放送ばかりで、まだビデオもない時代でしょう。そのうち、フィルムで撮影するようになったけれども、今みたいに簡単に編集できるわけではないから、誰かが失敗するとまた最初から撮り直しになってしまったり。今では、ママたちもビデオカメラを持って簡単に撮影できる時代になって。ほんとに、ドラえもんじゃないけれども、ITの進歩はすごいですね
−−そうですね、当時から考えると、ビックリするような時代になりましたね
大山さん最近だと、二足歩行するドラえもんロボットまで作ってくれて。5歳児ぐらいの大きさで「なぁに?」って会話をしてくれるの。すごいのができたって思ったけれど、だけど、子供たちはもっとすごいのね。スネ夫くん(肝付兼太さん)のお孫ちゃまが小学校の1〜2年生の頃、ジイジの家にきては、そのロボットと遊んでね、いろいろインプットしちゃうのよ。なにをどうしたのかわからないけれど、夜中に突然「ねぇ遊ぼうよ」ないて言い出して。ジイジのほうはわからなくても、最近の小学生はそれができてしまうのね。だけどね、これ以上、子供のおもちゃの値段を高くしてはいけないって、販売をやめてしまったんだけど。  うちにはそんな風な、あの子(ドラえもん)のいろいろなグッズもたくさんあるの。小型だけど会話するものとか、目覚まし時計とか。セットしておくと、誕生日の朝や結婚記念日に「パンパカパーン」ってお祝してくれたり。ジーンとしちゃうわね。ただこれ、センサーの感度が良すぎて、近くにハンドバックを置いたりしただけで「え? 何か言った?」なんて、ものすごくおしゃべり。私が地方に出張している時には、まだ帰ってきていないはずなのに、部屋で話し声がするんですって。「いつ帰ってきたのかな?」と主人が見たら、目覚まし時計が「8時ですよ」って、その横でおしゃべり時計がその声に反応して「なに? 何なの?」って会話していたって。おもしろいでしょう? そのうち時間に余裕ができたら、家中にあるあの子を、全部しゃべらせたら楽しいだろうなって思うわね
−−ご主人は、NHKの「おかあさんといっしょ」の初代体操のおにいさんだった砂川啓介さんなんですね
大山さんハイ、そうです。当時は、体操のおにいさんとブーフーウーのおねえさんが結婚しちゃったって話題になりました。赤坂プリンスホテルで結婚式を挙げたんですけど、当時は旧館しかなくて、そこで結婚式を挙げた人たちの卒業同窓パーティーとでもいうのか、毎年パーティーを開いてくれてね。ホテルの方は「こういうことをやっていたら、ぜったい皆さん離婚しません」と言ってくださったけれど、そのおかげかどうか、43年も離婚しないで仲良くやってこれましたね
−−ご結婚されてもお仕事を続けられたんですね
大山さん結婚した時は、仕事をやめろと言われると思ったんだけど、「もともと仕事をしている人と結婚するのだから、仕事は続けてもいい。ただし、夫婦になって、お互い一人ではないのだから、迷惑をかけないようにしよう」と言われたのね。それはね、よく考えてみたら「タイヘン」なことだったの。仕事をしながら、私生活でも責任がでてくるでしょう。うちの中をキレイにお掃除して、お料理もして、仕事もするわけだから。  最近の女の人で第一線で働いている方は、時々「私もお嫁さんが欲しいわ」って言うけれど、私は「たいへんだ」とは思ったけれども、お嫁さんがほしいとは思わなかったわね。ただ、その当時は、専業主婦の友人に会うと「みんな優雅だなぁ」と思ったわね
−−それでも、大山さんはお仕事を続けながら、活躍されたんですね。ドラマ出演や声優以外にも、お料理の本をだされたり。最近はご夫婦でお料理上手としても有名ですね集
大山さん40歳を超えてから、もっと年をとった時、人様に迷惑をかけないようにって、二人でいろんなことを決めてやってきたの。その第一条は「おしゃれをしましょう」っていうの。厚化粧をすることはないけれど、そういう心がけをしていこうって。第二条は「代名詞禁止令」。これだけ長く夫婦でいると、「あれ」とか「これ」で相手の言うことがわかるのよ。だけど、ほかの人には通じないじゃない。だから、普段から代名詞を言ったら100円の罰金。ドラえもんの貯金箱に入れるんだけど、それが「まいどありー」って、憎たらしいったらないの。この口惜しさをバネにして、代名詞を言わないようにしてね。ちゃんと固有名詞を調べることにして、貯金箱のそばには事典を置いて、漢字も書くのよ。電子辞書とかパソコンに頼っていると、ちょっとした文字も忘れてしまう。でもこうやって、お互い相手を刺激して、若い時には感じなかったことも、日々尽くして、せめて少しは老いに抵抗していこうって言っているの。  それで今から18年前かしら、50歳を越した時、もしも私が風邪でもひいたらたいへんだと思って、砂川さんにもお料理を覚えてもらおうと思ったんですよ。今の男の子は学校でも一通りやるんでしょうけど、砂川さんの子供の頃は、男の子は家庭科なんてなかったから。それで、まずお湯を沸かしてね、溶いた卵をトロっといれて、ほら、固まるでしょうってやってみせたの。そしたら、「ぼくだってフライパンぐらい使えるよ」って。もう、それからは、褒めて褒めて。子供と同じで、褒めているとだんだん上手になって、ある程度できるようになると、男の人のほうが上手いのよね。気がついたら、あっちがうちの板長さんで、私は台所のすみっこで糠味噌をいじったりサラダを作ったり。私は砂川さんに「あなたは料理の鉄瓶ね」って言っているんだけど、彼は「料理の鉄人」だって聞いてるみたい(笑)。 考えてみるとね、女性のほうが、長生きして痴呆症にもなりにくいっていう理由のひとつに、お料理をすることがあるかもしれないわね。女の人は、自分で食べるものをなんとかするでしょう? まず、素材を冷たい水で洗うでしょう。包丁で切ったり、さばいたりもするわね。刃物を扱うから、気持ちもしっかり引き締まって、それから、もっとコワイ火を使って煮たり焼いたり。これを1日に3回は繰り返しているわけでしょう。それに、毎日お買い物に行くわけじゃないから、冷蔵庫の中をのぞいて、「何があるかな、何が作れるかな」って、材料の組み合わせにも頭を使って……。料理するのは、そういう具合に大切なことだと思うわ
−−大山さんのお話は、まるでのび太くんを導くドラえもんのようですね
大山さんほんと、料理を覚えてもらったおかげで、出張の時や、この本にも書いたけど、私が病気になって入院した時にも、なんとか切りぬけてもらえたんだと思いましたね。とはいえ、入院の時には、向こうのほうがゲソゲソになっちゃってね。男の人って弱いんだなぁって実感したわね。ガンで死ぬかもしれないこっちのほうが、相手の心配をしてしてしまうくらい。その時は「ああ、あたしが見送られちゃったら、この人はダメになってしまう」って心底思いました。今ごろになって砂川さんも、お友達とかに、入院した時のことを「こいつは丈夫だから」なんて言えるようになったけれど
−−お元気になったから言えることですね…。
大山さん砂川さんはその時のことを『カミさんはドラえもん』て本に書いていますけど、入院していたことをみんなにナイショにしていたから、まわりの人もいろいろ心配したんでしょうね
−−ご著書にはドラえもんのお話を中心に、たくさんの裏話を書いていらっしゃいますね
大山さん43年間、夫婦でいっしょに暮らしてきて、あの子(ドラえもん)が家族の一員になってから27年。ほんとに長い間いっしょにいたから……。  もう私のドラえもんは終わってしまいましたけど、おしゃべりなあの子は、それでもいつも私のこのあたり(と言って肩のあたりを指さして)にいるんですよ。それで、「大山さん、それはちがうでしょ」なんて、パッと言うの。病気の時も悩んでいたら、あの子が「切れば」なんて簡単にいうから。ああ、医学も科学も進歩している未来のロボットだから、私よりよくわかっているんだって、私も決心できて手術してもらったのね。そういう話をすると、みんな、でもそれは結局大山さんでしょって笑うのよ。たしかに、全部、私。自問自答ならぬ、「自問自ドラ」なのよね。でも、あの子は今もいるのよ。けっこう正しいことを言ってくれるの。本を書いている時にも、「これは書いてもいいかしら」と迷うと「ぼくはこう思う」って言ってくれて。いつも私のそばにいて、私をリードしてくれているのね
−−大山さんとドラえもんは今も一心同体なんですね
大山さん夫婦ゲンカをしていても、砂川さんに「おい、今、ドラえもんになっているよ」なんて言われる。そうすると、なんにも言えなくなっちゃう。私の声って、子供の頃からこういう声で、作ってしゃべっているわけじゃないでしょう。最近のアニメの声優さんは、無理に声を作っていたりするけれど、私はしゃべればドラえもんだから、楽でしたね。持って生まれた声だから、無理して喉を傷めて休むなんてこともなかったし
−−それでも、26年間、ほんとうにさまざまなご苦労があったと思います。中でも、ドラえもんたちが話す言葉使いには、たいへんこだわっていらしたようですが
大山さんにも書きましたが、ドラえもんが始まる時に、考えたのね。出来が悪くて、バーゲンで売られていたとしても、そそっかしくてタイムマシンの出口を机の引き出しにしてしまうようなロボットだとしても、子守ロボットなんだから、ちゃんとした正しい言葉をしゃべるだろうって。だから、はじめて登場した時も「やぁ、おまえが、のび太か」って書いてあったんだけど、そうは決して言わないで、きっと「こんにちは、ぼくドラえもんです」ってしゃべるだろうって。 ドラえもんの最後の録音が終わったあとは、お仕事を10日近くお休みして、しずかちゃん(野村道子さん)と女2人で旅行に出かけました。ハンガリーのブタペストには日本人学校がまだなくて、子供たちに日本語をちゃんとしゃべって欲しくても、男の子なのにお母さんたちの言葉を覚えて「そうなのよ〜」って女言葉になっていたりするの。そこで、お母さんたちが相談して、日本にいるおばあちゃんに「ドラえもん」を録画して送ってもらって、みんなで見ていたんですって。それで「ドラえもんで、言葉を忘れずにすみました」って、お茶会を開いてくれたのね。そこでは、子供たちが一人一人「こんにちわ、ぼく○○です。8歳です」って、ちゃんと挨拶できるの。なんてきちんとしてるんだろうって感心したんだけど、「こんにちわ、ぼくドラえもんです」って言ってたのを、ちゃんと聞いてて覚えていてくれたのね。26年間、正しい言葉使いだったのは、まちがっていなかったんだなって思いました。
−−いいお話しですね。
大山さんただね、10年前ぐらい前には、あるお母さんから「うちの子は6年間、●●のくせにと、いじめられました」と言われたことがあったのね。ジャイアン(たてかべ和也さん)は「バッキャロー」っていわないように、苦心の末に「のび太のくせに〜」っていうセリフを作り出したんだけど、子供たちもそれを理解してて、侮蔑する言葉として使っちゃうのね。きっとそのお母さんもつらかったんでしょうけど、そういう風に考えないで「あなたは、あなたなんだから」って、ゆるやかに受け止めてあげて欲しかったなぁと思いました。言葉は難しいなぁって、改めて思ったけれど、日本人は昔から「四角い豆腐も切りようで丸く」みたいに、たとえ話やおもしろい言い方で、人生をうまく渡っていく知恵をみんな持っていたと思うのね。うらみつらみばかりじゃなくて、ユーモアを発揮して、明るく楽しく、人生、洒落のめして生きて欲しいなぁって。
−−たしかに、本の中にも、小さい子供たちにきれいな言葉や、やさしい心を伝えていくパイプになりたいと書かれていますね。言葉は人と人をつなぐパイプのようなものですね。
大山さんそうそう。最近、「コトヨロ」「アケオメ」とか「リスケ」とか、なんでも短く言う風潮があるけれど、そういうのってとってもイヤなのね。「素足」のことを「ナマアシ」って言ったりするんでしょう? 素足を「スアシ」と知っていて、「ナマアシ」をジョークとしていうならまだわかるけど、「ナマアシ」しか知らない人たちばっかりになったら、情緒もなにもないじゃない。日本語の育んできた、文化まで失くしてしまうようでもったいないわ。人生の先輩がちゃんと伝えていかないとね。  ドラえもんをやっていてよかったと思うことは、みんな、ドラえもんのおばちゃんの言うことはちゃんと聞いてくれることです。  26年もやっていると、大きくなった子たちの中にはいろんな子がいるわね。すごい恰好して、バイクにまたがったり、地面にベタッと座りこんでたり。ところが、革ジャンにジャラジャラしたのをいっぱいつけたコワイ顔の子も、私に近寄ってきて「こんにちわ、ぼくドラえもん」ですって。それでちょっと強気になって「アンタだめよ、人の迷惑にならないようにしなさいよ」って注意したら、「はい」って。ドラえもんのおばさんで良かったって。ほんとは、どんな子でもそういう素直なところを持っているのよね
−−来年は、声優やアナウンサーの学校の校長先生をなさるとか……。
大山さん私たちの頃の声優といえばね、役者をしている人たちが舞台のない時に、映画の吹き替えをしたり、アニメの声をあてたりする、ちょっとテレくさい仕事だったの。それが今では、中・高校生のなりたい職業のトップになってしまったのね。だけどそれも、スチュワーデスにはなれないけれど、声優ならなれそう……なんて、思っている子がたくさんいるんじゃないのかしら。声優養成所もたくさんあるけれど、演技も発声も勉強して、たくさんの知識がないとできない、簡単になれる職業ではないんです。 私が校長をする音響芸術専門学校という学校は、これまで、録音やオーディオ関係の専門学校として35年間やってきた伝統ある学校です。そのリニューアルにあわせて、アナウンサー、レポーター、声優の部門を作って、録音や撮影などの技術の人たちと、お互いに勉強できるようにしようということで、お声をかけていただいたんだけど、最初はお断りしていたの。だけどね、私が若い頃学んだ俳優座の養成所を思いだしてみると、ダンスや音楽、シェイクスピアから心理学まで、たくさんのことを、いい学校で完全培養してもらったのが財産になったんだなって。それで、たくさんの注文をだして、話し言葉の伝統を伝えていくことができて、総合大学として学べる学校にできるならと、お引き受けすることにしたの。それで、その学校の校長先生をやることになりました。きっと、おっかない先生になると思います(笑)。
−−最後に読者の方に、一言いただけますか?
大山さんみなさん、ずっと、ドラえもんを見てくれて、ありがとう。ドラえもんを見て育った人に、悪い人はいません。みんなこれからも、自分の国の美しい言葉を愛して、いい仕事をして、いい人でいてくださいね
−−ほんとうに、ありがとうございました。

 この本、文体も大山さんの口調そのまま。どうしても、ドラえもんがしゃべっているようにしか思えません。インタビューでも、大山さんが口を開くと、ドラえもんのアニメが目の前に浮かんできて……。ほんとうに、自分も子供も、ドラえもんのアニメに、泣き、笑いして育てられてきたのだということを実感した瞬間でした。ほんわかした口調で「今でも、あの子はここにいるのよ」とお話される大山さん。子供たちのことを考え、正しい言葉と、正しい生き方を伝えていこうと、お仲間の声優さんたちとがんばっていらしたことが伝わってきます。アニメの裏側には、こんな思いが詰まっていたんですね。つい、ホロリとしてしまうこの本を、あなたもぜひ。
【波多野絵理】



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