楽天ブックス 著者インタビュー

  • バックナンバー
  • 最新号

「人の心を打つ」感動的な演奏をする不遇なビオラ奏者と、そのドキュメンタリーを制作しようとするテレビ制作会社。番組が放映され、人々は感動したが、なにかがひずみはじめる……。どこまでがヤラセ? 経歴詐称? 感動の正体とは? など、今、だれもが感じている今日的なテーマに鋭い視線を向けた篠田節子さんの社会派小説『讃歌』。みずからもチェロを演奏される篠田さんに、お話を伺いました。

今週の本はこちら

『讃歌』『讃歌』
みずからもチェロを演奏される篠田さんならではのリアルな描写が迫ります
735円(税込)
ご購入はコチラ

篠田節子さんの本!

『マエストロ』『マエストロ』
篠田節子さんの本をもっと探す!

プロフィール

篠田節子さん (しのだ・せつこ)
1955年東京都生まれ。東京学芸大学卒。東京都八王子市役所勤務を経て、90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。主な著作に、『女たちのジハード』(第117回直木賞)、『ゴサインタン』(第10回山本周五郎賞)など多数。

インタビュー

−−最近、多くの人々が気になっている、テレビのヤラセやメディアの力、芸術の本質などを問いかけるテーマで、ぐいぐい引き込まれて読んでしまいました。今回、音楽とテレビ業界をテーマに選ばれたきっかけを教えてください。
篠田さんたくさんのきっかけが結びついたものではあるのですが……。ひとつは、20代の頃だったか、中国の音楽院の様子を写した報道番組を見たんです。そこの学生がバイオリンで、たぶんベートーヴェンかシューベルトか……、ドイツのロマン派の曲を、ものすごく泣かせる弾き方で演奏してたんですね。胡弓みたいなフレージングで、ビブラートをタップリきかせて、とにかく泣かせますって感じで弾いちゃうわけ……
−−本の中でも、柳原園子の演奏がそんなふうに描写されてますね
篠田さんそうですね。ホロッとくるような感じはあって、不覚にも感動してしまったけれど、いい演奏ではないというのだけはわかる。それに感動したのは、けっこう恥ずかしいかも、みたいな……。良い演奏というのとは、まったく別ものなんですが、ストレートに人の情緒に入ってくるんですね。  ただ、2回、3回と聞き込んだ時に、飽きるのも早いだろうなぁって予想もつくんです。底が浅いということなんでしょうね。この体験の「これはなんだろう」という感覚を、なんとか小説にしてみたいと思っていました。  もうひとつ。これは、クラシック音楽に限らないんですが、テレビに出ることで、いきなり世に出て、売れてしまうケースは多いですよね。  たとえば本。ある番組にとりあげられてベストセラーになったりとか。  クラシック音楽では、ピアノのフジ子・ヘミングさんの例をみなさん思い浮かべるでしょうけれど、実際には、ヘミングさん以前にもそういう例がたくさんあるんですよ。天満敦子さんの弾かれた「望郷のバラード」も、「徹子の部屋」などいくつかの番組で取り上げられることによって、広く人々に知られていきましたし。小説で書くと、たった今、このときにマスコミで話題になっている人や事例を引き合いに出して、「あの人がモデル」「あの事件がモデル」と言われがちですが。  今回の本のビオラ奏者も、ドキュメンタリーでとりあげられて有名になるわけですが、クラシック音楽みたいな商売になりにくいものが、テレビと結びつくのがおもしろいなって以前から思っていたんです。
−−テレビ番組の制作のところでは、善意ではじまった取材と制作に、次第にいろいろな人がまとわりついて身動きとれてくなっていく様子がリアルですね。かなり細かく取材されたんですか
篠田さんしました。取材していくと、私がテレビ制作に対して抱いていたイメージがボロボロ壊れていくんですよね。私も、NHKが多いんですが、出演したことがありまして、なんとなく現場の雰囲気はわかってはいたんです。が、あらためてテレビ制作会社やテレビ局の方にお話をうかがうと、ヤラセ問題等、いろいろな報道がされていますが、現場では、最初からヤラセをしようとか、これで一儲けしようとか、思っていないんです。作る方は、視聴率を上げろという圧力を受けながら、限られた予算と時間の中で、とにかく一生懸命やっている。けれども、なにかの拍子に意図しない結果がもたらされることがある。世間的にも批難をあびるし、マスコミでも叩かれる。一生懸命、訴えたいという熱い気持ちで作ったにもかかわらず、ピントのずれたものができてしまう。  できちゃったら最後、たくさんの人が見るし、影響力が大きいから、今度はそれを利用したい人も群がってくる。やがて他のメディアも加わって……。  そういう意味では、テレビって魔物だなぁって思いましたね。怪物ですよ。だれもコントロールできないまま、予想もできない事態を引き起こす
−−篠田さんの作品では、魔物的な、人外の異様な力が人生にかかわってくる、みたいなことが描かれますが、今回、それが「メディア」なんですね
篠田さん以前『夏の災厄』という、伝染病が広まっていく作品を書いたときのことなんですが、著者インタビューにこられた新聞記者の方が、 「篠田さん、ひとつ、大きい要素を忘れてますよ」っておっしゃって。「第3の権力マスコミです。こういう場面では、もっとも大きい影響を与えますから」。それから新聞、テレビ、雑誌、それから最近ではインターネットによる報道の仕方を注意して見てきたというのはありましたね
−−それぞれの人がその場その場で、良かれと思ってやっていることが……。
篠田さんそう、意図しない方向に走っていく。やっぱり私、最初から人を陥れようと罠をしかける根っからの悪人とか、みんなのために健気にがんばる少女とか、そういう登場人物は好きじゃないですね。 心根は正しいが、バランス感覚に問題のある迷惑野郎とか、惚れた女のために人倫の道を踏み外す男とか、立体感のある人物が描ければ、とは思っています。
そういった人間模様にひっぱられるように、とくに後半、たたみかけるように、一気に読んでしまいましたが、全編の流れに対する構想は、新聞連載の最初からお持ちだったのですか?
篠田さん全体の構想はできていました。第1稿はディテール部分が、かなりはぶかれていましたが。2稿でいろいろな方に取材をし、詳しく書き込んで現実感を出していきました。  翻訳もののサスペンスにあるパターンなんですよ。最初きっちり設定を作っていき、後半ジェットコースターで飛ばしていくって。とっつきは悪いけれど、途中から引き込まれて、読後に場面ごとの情景が鮮やかに残って、テーマがどすん、と心に響いてくる。そういうものを 書けたらいいなと思っているんです。
−−最近、ベストセラーや流行歌などでも感じるのですが、大衆の求める感動と、芸術家(この本の中では演奏者ですが)の資質と才能のズレというようなことがあるように思います。
篠田さん昔は、そう思ってなかったんですけどね。資質と才能というよりは、努力と戦略によって、いろんなものを表現していくことができると信じていたんです。でも今は、作り手の才能と資質に負うところは、かなり大きいなっていう気はしますね。音楽でも小説でも。  音楽の場合は、習得的なものについても、ごく若いうちに、どんな物に触れるかによって異なってくるようですね。今回、日本人の演奏家の方々に取材して考えさせられたのは、文化的なハンディを乗り越えるのがいかに厳しいか、ということでした。テクニック的な面では、むしろ日本人の方が上だったりする。それなのに、わざわざ海外に留学するのは、その国が育んできた空気を自分のものにして、西洋音楽の文化的、歴史的背景を知り、内面的な理解を深めていくのが目的だとおっしゃっていた方もいました。ただ、そうして磨き上げられた音楽感性が、普通の日本人にどれほど受け入れられるかは、私にはちょっとわかりません。
−−なるほど……。
篠田さん大衆の求めるものと、作り手のズレということでは、今回の「讃歌」の話とはちがいますが、最近は売れるものが、ますます聞きやすい・読みやすいものになってきているという感じはしますね。教養主義はとうに消えたし、見栄もはらなくなってきているから。最初にお話した中国の学生の演奏を聞いて感動した……というのも、抵抗無くブログに書けるわけです。「すっごい泣けた!! ぜーたいおススメで〜す」みたいに(笑)。 でもね、「泣かせの演奏」自体は、レベルの高い演奏にもあるんですよ。以前、ロストロポーヴィチの演奏会に行ってやはりアルペジオーネソナタを聞いて、チェロ仲間が休憩時間に集まってお茶を飲みながら、一斉に「冒頭の和音のところで、涙、ボロってこなかった?」「うんうん」て。
−−それって、よくわかります。
篠田さん感動するために、トレーニングと洗練が必要なものっていうのも、あるんですよ。音楽を聞くにしても、本を読むにしても、書き手や演奏者にとっては当たり前のことですが、受け手の側にもね。いまはそういうことは軽視されていたり、場合によっては批判の対象になっていることもあります。もっと素直に、感じたままでいいんだ、いいものは理屈抜きで、だれにでもわかる。自分が共感できるものが、すなわちいいものだというような、ある種、批評精神を退けるようなところもありますし。  いろいろなメディアから、さまざまな分野の膨大な情報が発信されていて、みんな忙しいのではないかしら。集中して音楽を聞くとか、1冊の小説をじっくり読むということがむずかしくなってつまみ食いしてるみたいなところもあるし。それにハードな仕事の合間にささっと読 めて、ぼろぼろ泣けて、「あー、スッキリした」っていうほうが精神衛生上、いいし。
−−重たい・シンドイは現実だけで十分だと……。
篠田さん入り口としてはそんなことでいいんです。でも、それだけでは、入口から中には、なかなか入れない。扉の奥深く入っていくと、またちがったおもしろさもあるんですけどね。  ただ、聞き手、読み手にそんなことを要求する作品は、わかりにくいし、大衆的な支持は集めにくいですよね。そこで次はありません……となってしまうのは、苦しいかなぁ。  ただ、一時、わっともてはやされ、終わりということも多いですからね。本であれば読み返しがきかない、音楽であれば流行が去った後は、だれも聞かない。作り手本人がそれに満足しているなら何の問題もないけれど、高みが見えていて、自分はそれに到達できない、と思い知らされた瞬間から、本当の悲劇が待っているのではないかしら。
−−崇高なる高みへの嫉妬と葛藤ですね。
篠田さんそう。私自身の小説のテーマとして、ずっとあるものなんです。世間的には成功しても、本人はもっとはるかに高い頂を見ている。……にもかかわらず、力が及ばない。ピーター・シェーファーの戯曲、『アマデウス』なんかも、そんなテーマでしたけれど。
−−先生も、お芝居や音楽で感動されたり、泣いたりするのですか?
篠田さんそうですねー。音楽では、バッハの『マタイ受難曲』なんか、露骨に泣いてくれ〜って音楽ですし……。最近ではテレビで見た『アレキサンダー』とかも、感動モノでした。一般的には若き王の偉業とされているものを、戦いと征服の果てに何があったのか、そもそもなぜ無益な戦いに駆り立てられていったのか、といった疑問を持って描かれる。ああいう人間の根元的な悲劇が描かれるものは好きですね。
−−最後に、読者の方に、メッセージをお願いします。
篠田さんメ、メッセージですか? 感動してください……でもないし、……泣いてください……でもないし……(笑)。この本は、そういったことについて、考えてくださいってことでしょうか。話自体は一種の謎解きですが、その謎が解けた後に、人の心の底知れなさや、人生の不可思議さが、決して解けない謎として、澱のように残ってくれればと思います。
−−今日は、本当にありがとうございました。

いつもながらぐいぐい読ませる篠田節子先生の新刊。新聞連載小説ですが、インタビューにもあったように、ジェットコースターに乗っているような読み心地で、「人の心を打つ」「感動する」ことの裏側にあるものをつきつける作品です。巷では、ある意味、簡単に泣ける小説が流行っていますが、なぜ、みんな泣いているんだ……と、素直に泣けない人、必読です。
【インタビュー 波多野絵理】



このページの先頭へ