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高村薫さん、待望の新刊は前作『晴子情歌』に続く大河小説の第2部。『新リア王』というタイトルが示すとおり、老いた政治家が長男に裏切られ、国会会期中に失踪するところから物語が始まる。老政治家、福澤榮が向かった先は、血を分けながらともに暮らしたことがない息子、彰之の元だった。出家した彰之は草庵に暮らしている。二人はそこで、最初で最後の「対話」を始める。時は1987年。政治と宗教、家族についての物語が二人の言葉で語られ始める。高村薫さんに、『新リア王』が書かれた背景をうかがった。

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高村薫さん『新リア王』『新リア王 上』
「晴子情歌」で母と向き合った彰之は禅僧になり10年後、政治家の父・榮を草庵に迎えた…
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高村薫さん『新リア王』『新リア王 下』
政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される
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晴子情歌『晴子情歌(上)』
晴子情歌『晴子情歌(下)』

高村薫さんの本!

マークスの山『マークスの山(上)』
『マークスの山』
『マークスの山(下)』
レディ・ジョーカー
レディ・ジョーカー(上巻)
レディ・ジョーカー
レディ・ジョーカー(中巻)
レディ・ジョーカー
レディ・ジョーカー(下巻)
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プロフィール

高村薫 さん (たかむら・かおる)
1953年、大阪市生まれ。国際基督教大学卒。外資系商社勤務を経て、1990年『黄金を抱いて翔べ』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1993年『リヴィエラを撃て』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞、また同書は山本周五郎賞の候補となる。同年『マークスの山』で直木賞を受賞。他の著作に『神の火』『わが手に拳銃を』『地を這う虫』『照柿』がある。

インタビュー

−−『新リア王』は対話で進んでいく4日間の物語ですが、複雑な内容を語っていながらも、実に読みやすく、スリリングです。文体に気を使われたことと思いますが。
高村さん小説家にとって、どういう文体を選ぶかで、作品の出来の8割くらいは決まってしまいます。物語を書こうと思ったときに、どういう話法で書くかを最初に考えますね。

今回、片方が政治家、片方が僧侶というまったく違う世界に生きている人間なので、三人称で書くと煩雑になる──これは物書きの直感ですね。しかも、長い年月のことを書かなければならないから、時系列で書いていくとかえってややこしくなる。それはまずい。それで、対話にしたという理由もあります。

対話、つまり、一人称にすることで、政治とは何かということが書けたのかもしれない、と思います。
−−二人は、政治家と僧侶という対照的な父と子でありながら、お互いに語らずにはいられない切実さがありますね。
高村さんお互いに、どちらもが、いま現在、うまくいっているとはいいがたい。榮は息子に裏切られてどん底だし、彰之は修行がうまく行かないうえに息子は不良で言うことを聞かない。

父と子の両方が問題を抱えた時期だから、言葉が出てくる。しゃべってどうなるということではないけれど、人間だから言葉を出さずにはいられない。

私の世代は、何かを語ること──書くことも同じですが──は、自分が人間として生きている証なのです。彰之もそういう世代です。だから、あれだけの言葉が出る。

言い換えれば、『新リア王』は80年代半ばだから成立する話です。2005年だったら成立しないですよ。父も語らないし、息子も語らないでしょう。
−−彰之の実の父親である榮は、地方の大物政治家です。しかし、大臣にはなったが、総理を狙う器ではない。しかし、地元では王のように振舞っています。小説に登場する政治家としては珍しい設定だと感じました。
高村さん永田町に行けばいっぱいいますよ(笑)。
−−そうですね(笑)。しかし、小説の登場人物として精緻に描いてみたいと思われたのはなぜでしょう?
高村さんひとつは、『晴子情歌』を書いたときに、福澤の家が政治家の家にしてしまったので選択の余地がなかった。榮は世代的に55年体制の人ですから、自民党の政治家であるということも同様に選択の余地がない。『新リア王』のなかには、みなさんもよくご存知の政治家が実名でたくさん登場しますが、彼らと同じ頃に永田町をうろうろしていた政治家の一人です。
−−榮の長男、優が榮を裏切る理由になったのが、息子は地方自治に未来を感じ、榮は中央あっての地方という考え方に固執したことでした。
高村さん中央あっての地方というよりは、首都圏に集まってくるカネを分配しないと地方はいつまでも貧しいという現実があったわけです。戦後の政治、いわゆる55年体制といわれる政治は、ある時期まで、全国総合開発計画(全総)が国の基本にあった。産業で豊かになれるところは先に豊かになって、そのカネを地方に分配していくという考え方です。電気もないところに電気を引いて、道路のないところに道路を作っていく。戦後の貧しい日本では、そのことに是も非もないんですよ。

榮は下北半島のいちばん貧しいところを見てきた。そこから出てきた政治家ですから、榮の世代から見て、バラ撒き政治というのは是なんですね。ただ、80年代半ばになって、全国津津浦浦に道路が敷き終わって電気が通った。つまり、インフラ設備が整って、さあこれからどうするか。次のステップに歩みだそうとしたのが80年代です。新全総、三全総と続いてきた全総の見直しが起こって、中曽根内閣の四全総(87年)となっていくわけですね。

もちろん、国際情勢の変化もあって、国際化も課題になった。それまでみたいに高度経済成長一辺倒では解決しない問題が出てきた。首都圏への経済、政治の一極集中化にも行き詰まりが出てきた。80年代はまさにその時期です。
−−小説の舞台になっている1987年はまさに時代の転換点だったわけですね。しかし、『晴子情歌』でたまたま政治家の家という設定にしたということは、最初から第2部を構想されて考えられていたわけではないということでしょうか。
高村さん考えてなかったですね。もっとさかのぼれば、『晴子情歌』を書くときに青森を取材したことがきっかけでした。旧家といわれる大きな家は、明治時代から貴族院議員を出して、政治家を出していくのがあたりまえというところだったので、彰之の父親は政治家にしょうと。しかし、『晴子情歌』を書いていたときには、第二作目で政治のことを書かなくてはいけないとは思っていませんでした。

 それが、第二作目では政治家を描かなくてはならないということになって、これは困ったなあ……と。必ずしも先々の計算をして書いているわけではなくて、思いつきで書いて、あとで苦労するということはありますね。
−−では、『新リア王』ではまさに未知の世界に取り組まれた。
高村さん政治家も知らないし、お坊さんも知らない。知らない世界のことを二つ書いた。そういう感じですね。
−−知らないことを書くことが面白い、と以前インタビューでおっしゃられていましたね。
高村さん逆に言えば、知っていることはほとんどない。たいていのことは知らないことばかりです。『新リア王』を書き始めるときには、まず国会見学ツアーから始めたんですよ。この年になって生まれて初めて国会議事堂に入りました。
−−小説を読み終えた後でも、榮の事務所がある砂防会館のコンクリートに響く靴音が耳に残っているような気がします。『新リア王』に限らず、高村さんの小説ではその「場」の匂いや音までもが生き生きと描写されています。取材されるときにはどんなことを意識されますか?
高村さんその現場に行って、空気とか音とか匂いとかを感じることですね。国会議事堂に行かれたことありません? 面白いですよ。議員会館って臭いんですよ。今まで何十年も男性ばかりがいた、その匂いがこもっている。イスが布張りで、匂いがしみついている。壁から天井から、そこら中から政治家の匂いがするんです。
−−彰之が僧侶になるというのも『晴子情歌』からの流れですね。
高村さんもとはといえば、青森で取材に行った先のお宅の隣が常光寺だったんです。そういうわけで曹洞宗になってしまった。
−−では、偶然が引き寄せてしまった?
高村さん阪神淡路大震災を経験した後に、漠然と次は仏教だとは思ってしましたが、とくに宗派は考えていませんでした。
−−震災のときに仏教だ、と思われたのはなぜですか。
高村さんこれは経験しないとわからないことですが、突然、世界がひっくり返るんですよ。足元が抜けるみたいに、今まで立っていた地上がなくなってしまう。それくらい、地震というのは怖い。そういう揺れを経験すると、それまで何十年と信じてきたものや価値観が一切合財なくなります。はっと我に返って聞こえてきたのは救急車のサイレンの音でしたからね。死体を運ぶ音ですよ。それが何日間も続く。神戸市内だけでは受け入れきれないですから、淀川を渡って大阪に来る。24時間、救急車のサイレンが鳴っている。6,000人以上の方が亡くなっているわけですから、それは、今まで信じていたものがなくなりますよ。
−−『新リア王』では戦後政治について、仏教について描かれています。正直、書かれてあることすべてが理解できたとは思えませんが、ぐいぐいと引き込まれました。『照柿』の工場の描写、『神の火』の原子力発電所など、これまでも高村さんの小説では読者がまったく予備知識を持たないであろう世界について、細部に渡る緻密な描写を書かれています。文章が持つ力なのか、魅せられてみたように読みふけってしまいます。
高村さん私の文章にどれほどの力があるかはわかりませんが、もしも読者が延々と続く描写を読めるとしたら、その工場なら工場、政治なら政治が、そこに登場している人物にとってなくてはならないものだからでしょうね。それを省いてしまったら、その人物が成り立たなくなる。工場を書かなかったら工場労働者は描けない。永田町や、そのときどきの政治課題の細かいことを書かなかったら政治家は描けない。

政治家というのは、さまざまな懸案を抱えて分刻みで走り回っている人種ですから。政治家が、どんなことを抱えて頭をいっぱいにしているのか。その中身を書かずに「彼は頭が一杯です」では政治家にならない。
−−なるほど。『新リア王』の榮や彰之の存在にリアリティを支えているのが、政治、宗教についての緻密な描写なのですね。
高村さん政治家も僧侶も社会的生き物です。社会に生きている一人の人間であることに変わりはない。小説は、最終的にその人を裸にしなくてはいけないと思います。裸にする前には、着物をたくさん着せなくてはいけない。その着物は、たとえば職業です。とくに男性は人生の8割は仕事。仕事という着物を着せておいて、それを1枚ずつはいでいって、初めて人間が現れてくる。
−−──『新リア王』に続く、第3部の構想はすでに練られているのでしょうか? 『新リア王』にはチラッと『マークスの山』『レディ・ジョーカー』などでおなじみの合田刑事が登場しますが。
高村さん合田は登場するでしょうね。第3作の舞台は現代になります。

3作目がどうなるかはまったくわかりません。『新リア王』の年代、つまり80年代くらいまでは私の世代の言葉で書けますが、その次の時代となると2000年代です。考えてみると、私は2000年を超えた現代を書いたことがないんですよ。『レディ・ジョーカー』だって90年代ですからね。今の世の中を書くような小説の言葉が、自分に見つかるかどうか。私の世代はネットに溢れている言葉で世界を語れるとは思えない。

『新リア王』に書かれている言葉は20世紀の言葉です。次の第3作は21世紀の言葉を見つけることから始めなければいけない。合田も45歳くらいになっています。おそらく、彼も「困った、困った」と首を傾げながら登場すると思いますよ。
『晴子情歌』『新リア王』には、さまざまな世代の人物が登場する。自分と同じ世代の登場人物を見つける人もいれば、自分の父母、祖父母の世代を見つける人もいるだろう。高村さんの大河小説は、私たちが生きてきた国と文化、時代のありようを生々しく描き出す。あえて言い切る。いまの日本を生きる人間にとって、老若男女を問わない必読書である。(【インタビュー:タカザワケンジ】

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