楽天ブックス 著者インタビュー

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夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』がついに完結した。1987年の執筆開始からここまでなんと17年。原稿用紙2600枚の量を費やし、堂々の完結である。物語の舞台は西暦804年の中国。奇しくも今から1200年前だ。その年、唐の都・長安の地を踏んだ遣唐使一行の中に、若き日の空海の姿があったのだ。旅の始めから優れた才を表していた空海は、かの地においてさまざまな怪異に遭遇することになる。その顛末を描く一大伝奇小説が本書なのである。見所は数え切れない。空海の人間的魅力、彼が語る仏法と密教の奥深い世界、そして呪を用いる妖しの者たちの暗躍ぶり。夢枕ファンの中でも『陰陽師』は特に人気の高いシリーズだが、その世界に通じる展開も本書の中には盛り込まれている。一口には語りつくせない作品の魅力の一端を、インタビューによって感じていただこう。

プロフィール

夢枕獏さん (ゆめまくら・ばく)
1951年、神奈川県小田原市生まれ。東海大学文学部日本文学科卒業後、「カエルの死」で作家デビューを果たす。〈キマイラ〉 〈闇狩り師〉 〈サイコダイバー〉 〈餓狼伝〉 〈陰陽師〉など、多くの人気シリーズを持つ、日本における伝奇小説の第一人者である。89年『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞を受賞。98年、『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。現在、進行中の『大江戸恐龍伝』も多く注目を集めている。
●公式HP蓬莱宮アドレス http://www.digiadv.co.jp/baku/

インタビュー

−−夢枕さんの空海は、超絶的な天才でありながら、俗で親しみやすいところがある という、奥深い人物に描かれていますね。すべてを許容する度量の広さが実に魅力的です。
獏さん彼の基本的なスタンスは、たとえ敵でも、相手を打倒するよりは理解する、同じ感情を共有するようにするということなんです。『陰陽師』の安倍晴明と似た部分を持っているかもしれません。
−−高校生の頃から空海がお好きで、ずっと関心を持ち続けてこられたということでしたが、どういう部分に魅了されたのでしょうか。
獏さん空海を好きになった最初の理由は、彼が唐まで言って密教を持ってきた、旅をした人だったということでした。初めはただ好きなだけだったけど、資料を読んだり、高野山に行ったりしている間に、次第に彼の大きさ、深さに気付いていったのです。空海のもっている広さの一つには、人間の持っているものを丸ごと肯定するという姿勢があると、僕は理解しています。それに気づいたのは二十代半ばから後半にかけてですが、それから僕の頭の中で空海像が結ばれていきました。
−−空海の愛すべき相棒として、同じ留学生の橘逸勢が登場します。彼との対話を通して、空海の考える仏教観が次第に明らかにされていく点が、前半部の読み所の一つですね。この感じ、『陰陽師』における晴明と源博雅の対話にも似ていると思うのです。
獏さん仏教の根底には、宇宙をどう認識するかという問題があるんです。ベースになっているのは古代インドにおけるその時代なりの科学的な思考で、その世界認識は今日における物理と基本的に矛盾するものではない。すべてのものは動いていく、形あるものは滅する、そうした認識をさせるのが出発点です。キリスト教の場合、神が7日間でこの宇宙を創造したということを信じるか信じないかという選択が最初に来るでしょう。目と知恵で確認できないところを感覚で飛び越えて受け入れることが信仰の本質だとすれば、仏教は信仰という部分が限りなく奥にあるんです。信仰に直面するぎりぎり手前のところまでは、科学や物理に対するように理解していけば自然と理解できます。そのへんがキリスト教と仏教の大きな違いでしょう。
−−空海の口から早々と「仏法は無力である」なんてテーゼが飛び出してきてびっくりさせられましたが、あれはそういう信仰の形についての発言だったんですね。
獏さんこの小説を書き始めたころ、いちばん興味があったのは〈数式以外のもので宇宙を説明する〉ということでした。それをいろいろな作品で手を替え品を替えてやっています。たとえば『上弦の月を喰べる獅子』では、言葉で宇宙論を展開してみたいという欲求がありました。『陰陽師』も、もちろんそうした小説ですね。『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』の前半では、空海の影響を受けた宇宙観を持っている作者の僕が、自分自身の宇宙観を空海に代弁させながら、新たに空海の宇宙観を作っていくという模索の過程がありました。その途中で『上弦の月を喰べる獅子』や『涅槃の王』といった作品を書いたことにより、そうした部分が純化されて言葉を費やす必要がなくなり、物語を前面に出せるようになったのです。だから後半は、物語として純度の高いものになったという感じがします。
−−前半部でばら撒かれていた伏線がすべて、かちりかちりと収まるのに物凄い快感を覚えました。すべての因縁が閉じて終わる結末は、これぞ伝奇小説という大団円ですね。
獏さん前半の伏線は、明確な意図があって書いたものではないんです。だから後半で物語を畳むのは大変といえば大変ですが、前に振っておいた材料の、どれを使って物語を落とそうかと、考えるのは楽しいことでもあります。
−−物語中盤で時代が一気に数十年遡って玄宗皇帝と楊貴妃が登場したり、予想もしなかった人物が登場したりといった具合に、展開が実にダイナミックなのですが、それらは当初から予定していたものではないのでしょうか。
獏さん本当にうまく収まりましたが、月に五百枚から七百枚を書くというとんでもなく忙しい時期に始めた連載だったので、ほとんど何も考えないで始めたんです。最初は玄宗皇帝のところまで遡るつもりはありませんでした。しかし、最初に間違った手さえ打っていなければ大丈夫なんです。長い物語であればあるほど、既に書き上げた分の圧力というのがありますから、その圧力に自然に従っていくことですね。
−−では、物語の初めから変わらずにあったというものは……。
獏さん最初に題名を思いつきました。後はそれに流されて書いたようなもので、空海が癒しとして鬼と宴を催す、それだけが最初からあったことです。したがって、宴の部分はきちんと書かないといけない。中国の文人がどのように宴の席で詩の交換をしていたのか、本当のところはよくわかないのですが、そんなに外してはいないだろうと思います。本当は登場人物をもう少し活躍させた上で宴の部分に持っていきたかったのですが、それだとさらに山あり谷ありの展開になって、もう十年は終わらなくなっちゃいますから。(笑)
−−最後に、これから本を読まれる方へのメッセージをいただけますか。
獏さん僕は、小説を書くときに流行を追って書いたことは一度もありません。今の流行をリサーチして書いても、十年経ったら意味がなくなっちゃうんですよ。この小説は古代を題材にしているのに作品中には現代がある、などという書評がよくありますが、そういうことも関係なく、これはおもしろいからおもしろい小説です。物語が持っている王道一直線がここにあるから、いつ世に出てもおもしろいはずです。たとえば百年後の人が読んだとしても絶対おもしろい。それだけは自信を持って言っておきたいですね」
−−本日はありがとうございました。
夢枕獏の描く空海の物語は、実はこれで完結したわけではない。 入唐以前の空海を書くという目的がまだ果たされていないからだ。役小角に始まり、空海、安倍晴明、果心居士へと続く人々の系譜を書くという構想が夢枕にはある(『陰陽師』もその構想の一環なのだ)。空海については、そもそも入唐以前の時代の方が書きたかった題材なのだそうだ。ただし、 現時点でそれがいつ書かれることになるかは未定である。十七年間夢枕の書斎を占拠し続けてきた空海についての資料もいったん片付けられ、『大江戸恐龍伝』執筆のための江戸資料が同じ場所を占領しているという。本書を読 んで、どうしても書かれざる時代の空海について知りたくなった気の早い読者は、『新・魔獣狩り』第八巻を手にとってみられることをお薦めする。本書巻ノ四で空海の口から出た、ある言葉につながる重要な場面が描かれているからだ。 天才児の生涯を巡る壮大な物語は、まだまだ行程の途上にある。
【インタビュー 杉江松恋】

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