SMAPコラム「Map of SMAP」

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 世界に一つだけの花
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Clip! Smap! コンプリートシングルス
収録曲:シングル55作品の両A面曲を含む全63曲の映像を収録予定
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 世界に一つだけの花
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世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.1.21更新

いまこそ映画『中学生円山』に出逢わなければいけない


日常は一大事の連続である。
 『中学生円山』に再会した。すばらしい。初めて観たとき以上に、そのすばらしさが心身に沁みてくる。
 この映画のすばらしさは主に次の三点に集約することができると思う。
 一、日常は一大事の連続である。二、妄想だけがぼくたちを目覚めさせる。三、草剛はあたまのなかだけに存在する。
 では、順を追って、この三点についてメモしておくことにしよう。
 一、日常は一大事の連続である。
 いま、起きるべきか。この睡眠をむさぼるべきか。トイレに行くべきか。我慢して、もう少し眠るべきか。
 トイレに行ったら行ったで、そのまま着替えるべきか。いや、もう少し寝床のあたたかさを堪能するべきか。もう一度ふとんにもぐりこんだら、たとえようもない快楽が待っているのではないか。そして、それは、今日このときの、この一瞬にしか訪れない奇跡なのではないか。
 もう大変なのである。一大事に次ぐ一大事。ぼくたちは、常に選択を迫られている。世界平和の到来のために、禁断のスイッチを押すべきか。それとも、終わらない戦争を、黙って見過ごすべきか。それと同じくらい苦渋のチョイスが、秒単位で襲来している。これでは身体がもたない。精神が崩壊する。そんなわけで、ぼくたちは、それをやり過ごす術だけおぼえて、なんとなくその場をしのぐ回路だけを発達させていく。それは進化なのか? 違うだろう。退化だ。こんなことを繰り返していては駄目だ。駄目な大人になってしまう。みんながしているから、自分もそうする。みんながそう言ってるから、自分もそう思う。自分ひとりではなにも考えられない。考えた末に自分ひとりになるのがこわい。そんな駄目な大人になってしまう。ひとりになるのは嫌だ。だが、そもそも考えるということはひとりになるということなのだ。駄目な大人になんかなりたくない。

妄想だけがぼくたちを目覚めさせる。
 二、妄想だけがぼくたちを目覚めさせる。
 主人公の中学生は妄想を実現しようとする。だが、それは妄想を現実に忍び込ませることじゃない。それじゃあ犯罪だ。妄想を妄想として自分の血肉にしながら、それを原動力に生きていく。「自主トレ」とはつまり、そのためのトレーニングなのだ。トレーニングとはなんだ。人生のレッスンだ。いや、レッスンじゃぬるいな。プラクティスだ。違う。ドリルだ。ぎゅいーん。ドリル、ドリル、ドリル。練習問題じゃないぞ。これは特訓だ。自分を自分で鍛える特訓なのだ。
 妄想は逃避だとかなんだとか、そんなのは駄目な大人の言い訳だ。妄想は強力だ。妄想は強大だ。妄想は気付け薬だ。
 雪山で遭難すると、セントバーナード犬が救助にやってくるんだよ。首輪に小さな樽をぶらさげてるんだよ。樽のなかにはウイスキーとかブランデーとかが入っているんだよ。それをくいっとあおれば、きゅーっと目が覚める。覚醒する。これだよ。これ。そのために妄想がある。だから、ぼくたちは妄想を鍛えておかなくちゃいけない。妄想が強ければ強いほど、ぼくたちは苦難に立たされたとき、目覚めることができるんだ。
 この映画は真剣だ。どこまでも真剣だ。だから、ものすごく丁寧に、妄想という真実がどこにあるかを伝えようとする。真実はどこにあるか? 決まってる。あたまのなかにある。あたまのなかにしかない。あたまのなかにあるから真実なんだ。
 世間とか、常識とか、そういうものが、真実を追いやっていく。世間とか、常識とか、そういうものに飼いならされたとき、真実を見失う。ひとの数だけ真実はあるが、真実はひとりにひとつだけ。その真実をめがけて、この映画は投げ込まれている。まるで火炎瓶のように。燃やせ。そして考えろ。自分の力で考えろ。
 だから、この映画はすごく丁寧なのに、説明的ではない。これは、自分でひとりで考えるためのドリルなんだ。

草剛はあたまのなかだけに存在する。
 三、草剛はあたまのなかだけに存在する。
 いや、草剛は現実に存在する。ぼくたちはそれを知っている。だけど、じゃあ、草剛はぼくたちのあたまのなかには存在していないか? 存在しているだろう。その存在している草剛が「現実のもの」である可能性はどこにあるんだ? ぼくたちが見ている草剛は、ぼくたちのあたまが生み出した草剛じゃないだなんて、言い切れるのか?
 ぼくたちは、なにかを信じる。それは、ぼくたちが、自分のあたまのなかで生み出したものを信じるということだ。
 別にそれは危険なことじゃない。むしろ、健全だ。
 世間とか、常識とか、そういうものに支配されて、自分が信じるものさえも、自分の力で生み出せなくなってしまったら、そっちのほうがよっぽど不健全だ。そのことのほうが、はるかに危険だ。
 この映画のなかの草剛は、そんな確信をぼくに与えてくれる。予感じゃない。確信なんだ。まぎれもない真実。ここに存在する草剛は信じられる。ここで草剛が言ってることは信じられる。それが真実ってことだ。それが真実じゃなかったら、なにが真実だというんだ。
 中学生のあたまのなかに存在する草剛も、中学生のあたまの外にいる草剛も、ぼくをどきどきさせる。どきどきするのはなぜだ。どきどきするのは、それがぼくの知らない「だれか」だからだ。自分じゃない「だれか」。つまり「他者」だ。
 ひとは「他者」と出逢うために生きている。自分じゃない「だれか」は、自分とは違う「なにか」を考えている。違う価値観を有している。「だれか」の「なにか」に出逢うこと。それが、いかにすばらしいかってことを、この映画の草剛は演じている。やさしさと激しさがともにある。具象と抽象がともにある。YESとNOがともにある。拒絶と受容がともにある。「おれはおまえじゃない。だけど、ここにいる」。そんな啓示を、草剛は体現している。だから感情移入なんかさせない。「だれか」を、自分の論理で「わかった」気にさせない。このひとが何者かだなんて、わからない。わからないけど、出逢うってことはすばらしい。そう思わせてくれるのが、『中学生円山』の草剛だ。
 ぼくの草剛は、ぼくのあたまのなかだけに存在している。それのなにが悪い? 



文:中学生★相田冬二

※『中学生円山』宮藤官九郎監督インタビューはこちら
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
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