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SMAPコラム「Map of SMAP」

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TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.1.28更新

『福家警部補の挨拶』の稲垣吾郎、微細かつ多層的な演技について


演技は、スポーツではない。俳優は、アスリートではない。
  ドラマ『福家警部補の挨拶』の稲垣吾郎さん、素晴らしい演技ですね。
 ただ、この素晴らしさはなかなか気づいてもらえない素晴らしさかもしれません。この素晴らしさを伝えるのは、かなり難しいことなんですが、少し自分なりにお話してみようと思います。
 これは批評家と自称しているひとびとも含めて、ほとんどのお客さんがそうなんですが――それはたとえば、映画賞などの結果を見ても明らかなことです――、みなさん「熱演」がお好きなんですよね。より正確に言えば、ひとが一生懸命やっている姿が好き。おそらく、それは一生懸命やっているひとを評価することによって、自分がいいひとになった気がする――そのような錯覚をもたらす「習慣」に従っているにすぎなくて、演技の優劣を見極める意志をほとんど放棄していると言ってもいいかもしれません。
 「熱演」好きはなんといっても、わかりやすいものが好きです。激しいキャラクターを絶叫演技で体現している俳優や、深刻な情況にいる人物を陰鬱な芝居であらわしている役者を評価する傾向があります。自分の「想定」通りだとうれしいわけですね。「思った通り」に演じてくれた演じ手を評価するわけです。つまり、想像力を働かせずに、楽に眺められるものが「巧い」演技だと信じているひとが、どうやらたくさんいる。これは、役者側の技量の問題ではなく、観客側のまなざしの問題だと思います。彼ら彼女らは、その技術を有しているにもかかわらず、客に求められていないから、発揮できずにいるのです。
 あの男優が役のためにこんなに痩せたとか、あの女優が作品のために脱いだとか、そんなことはどうでもいいことで演技の本質とは何の関係もないことなのですが、そうした芸能ネタと同じように演技が扱われているような気がしてなりません。
 そして、どうも、演技を見つめるまなざしが、スポーツなどを見つめるまなざしと同一化しているような気がしてなりません。一生懸命やっているから素晴らしい――わけではないのが、演技の世界です。なのに「私、頑張ってます」というアピールに長けた表現がもてはやされることが、とても多いと感じます。
 稲垣さんはご存知のように「熱演」とは一線を画した俳優です。涼しげ、ポーカーフェイス、そういう呼称がしっくりくる表現者です。ただ、それが彼の芸風というわけでないことは、たとえば映画『十三人の刺客』を観ればわかるわけですが、逆に言えば、あそこまで「わかりやすい」役を演じなければ、正当に評価されない「微細」なものを積み重ねているのが稲垣吾郎でもあるわけです。

反復によって明るみになる、パーソナリティとアイデンティティ。
 熟練の繊細さ――妙な言い方かもしれませんが、「鍛え上げられたナイーヴさ」といったものが、『福家警部補の挨拶』の稲垣さんからは感じられます。石松警部というキャラクターは「刑事」とか「係長」と呼ばれることを嫌がって、その都度「警部です」と言い直すのですが、このコントやギャグといってもいいような決まり事を稲垣さんがどのように伝えているかを、まず思い出してほしいと思います。
 「笑い」として用意されているに違いないくだりが、実に見事に石松警部という人格の表明になっているんですね。しかも稲垣さんはその都度、このニュアンスをズラし、増幅させている。だれかが笑っているあいだに、着実に人物を造形しているんですね。
 怒ってるわけではない。諦めているわけでもない。日本語には「習い、性(せい)となる」という表現があります。これはある習慣が、そのひとの生まれつきの性質になる、という意味なのですが、石松警部は「警部です」と言い続けることによって、彼自身のパーソナリティを確立した、しかもそれは現在も進行形で、刻一刻と変化している、もはやそれこそが石松警部のアイデンティティに他ならない……というふうに観る側の想像力を拡張する芝居がここにはあります。
 それを――これは何度も繰り返しお話していることですが――稲垣さんは、「噛んで言い含める」ような稚拙な表現には決してしないわけです。実にさらっと言ってのけている。ここで立ち止まらなくても結構、と言わんばかりに。ただ、わたしたちは立ち止まるべきでしょう。録画機器を所有し、この番組を録画している方であれば、なおさら。微妙にして、決定的な差異を、石松警部=稲垣吾郎が生きているということを、一時停止、巻き戻し、再生することで体感するべきかなと思います。そうすればわかるのではないでしょうか。俳優がすべきことが、必ずしも情感たっぷりに台詞を話すことばかりではないことに。稲垣さんの芝居には「気づき」がたくさん含まれています。それを見逃すことはもったいないですね。

「オフ」の芝居が、石松警部の謎を増幅し、妄想へと誘う。
 ただ、稲垣さんのすごいところは、実はフェティッシュに細部に耽溺していては掴まえきれない部分だったりもします。今度はもっと大掴みな話をしましょう。
 非常に大雑把な言い方になりますが、稲垣さんはこのドラマのなかで、ひとりだけ違う演技をしています。檀れいさんも、柄本時生さんも、犯人役の反町隆史さんも、富田靖子さんも、みなさん「オン」の芝居をしています。つまり、そのキャラクターがどういうキャラクターなのか、すぐわかるように「表」だけで演じているんですね。たとえば第2話のラストの、富田さんと檀さんのぶつかり合う芝居はその顕著な例です。大変大雑把な言い方になりますが――私は見えている通りの人間です――という演じ方が、「オン」の芝居。すなわち「裏」のない人物造形ですね。このドラマはミステリーですから、キャラクターは明瞭なほうがいいから、そういう構造になっているんです。捜査するひと(檀さん)も、捜査に協力するひと(柄本さん)も、犯人だと疑われるひと(反町さん、富田さん)も、見た通りである必要があるんです。人物造形が複雑になると、ややこしくなって、警部補が犯人を落とす本題がわかりにくくなりますからね。
 ところが稲垣さんは「オフ」の芝居をしている。いや、正確に言えば、「オン」なのか「オフ」なのか、よくわからない芝居ですね。非常に簡単な言い方になりますが、石松警部が何者かよくわからない――そういう感覚に陥るような演技なんです。たしかに、石松警部は福家警部補の妨害をする。そして、はっきり対峙さえする。が、彼の言動を、そっくりそのまま受けとってもいいのだろうか? そう躊躇させるような表現なんですね、稲垣さんがしていることは。つまり、この人物には「表」には見せていない「裏」があるのではないか。そういう妄想にかき立てるんです。そして、こうも考えさせます。この人物には「裏」はない。これが「表」なのだ。このひとは「こういうひと」なのだ。そんなふうに納得させもする。先ほどお話したように、稲垣さんは客を立ち止まらせるような芝居はしないひとです。「裏」でも「表」でもどうでもいいんじゃない? そんなふうに感じさせもする。この多様なありようこそが、稲垣さんの素晴らしさです。石松警部、なんかあやしくない……? なんて、思われてしまったら、それはいわゆる「熱演」にすぎないわけです。
 実際のところ、石松警部に「謎」があろうと、あるまいとそれはどうでもよくて、わたしたちが石松警部という人物に興味を抱くかどうかが大切なわけです。わたしには、稲垣さんの演技はそのような作用をもたらします。そして、このドラマにおいては、そのことが作品の奥行き、厚みにもなっていると思います。



文:相田★冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
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福家警部補の挨拶
福家警部補の挨拶

稲垣吾郎が、檀れい演じる福家警部補と共に事件捜査をする堅物の石松警部に。フジテレビ系 毎週水曜21時放送。

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