SMAPコラム「Map of SMAP」

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TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.3.16更新

木村拓哉は「、」である――『宮本武蔵』第1夜を観て


宮本武蔵は「楷書」である。
 冒頭、道場破りの啖呵をきる木村拓哉に、「楷書」の芝居を見た。
 木村拓哉は、「手書き文字」を意識させる演じ手で、基本的には「草書」(最もくずした書体)の、ときには「行書」(ややくずした書体)の表現でわたしたちを吸引してきた。もちろん、俳優たちのあらゆる演技は「手書き文字」に他ならないが、木村は「自分の字」を書くということにきわめて自覚的であり、既にある「お手本」をトレースするような振る舞いが一切ない。役というものを「己の字」で書き、鼓動を宿らせる。そうして、役と自分自身の生命を一体化するのだ。
 彼の「手書き文字」には、彼独自の呼吸法があり、そこから導き出される濃淡は役によって変幻している。観客は大きく言えば、二つに大別される。彼独自の呼吸だけを見つめる者と、彼が織り成す濃淡を嗅ぎ分ける者と。いずれにせよ、彼の「手書き文字」に魅了されていることに違いはない。
 これが彼にとって久方ぶりの時代劇だからだろうか。それとも、道場破りの啖呵という定型のせいだろうか。木村拓哉は、いきなり一切、「くずし」を入れない「楷書文字」で、ことばを置いていく。一言一句、というよりは、一文字一文字を丁寧に「書いていく」。「画数」も、「とめ、はね、はらい」さえも認識できるような端正な発声は、言うまでもなく「草書」や「行書」にはないものである。そもそも「草書」や「行書」は、「画数」や「とめ、はね、はらい」から自由に飛翔していく「書き方」だからである。
 大掴みなことを言えば、これまでの木村拓哉の演技が「グルーヴ」を重視していたとすれば、『宮本武蔵』におけるそれは「ビート」と言えるかもしれない。


宮本武蔵は「、」である。
 『宮本武蔵』は、永きにわたる物語である。宮本武蔵の人生には、幽閉されていた「沈黙」の歳月もある。だから当初、わたしは木村拓哉が、その変遷を「字」であらわしていくのではないかと考えた。「楷書」から「行書」に、そして「草書」へ――そもそも文字というものは「草書」から出発し、「行書」を経て「楷書」に辿り着いているのだが、その文字の歴史を逆走するように、武蔵の軌跡が体現されていくのではないかと。しかし、そうではなかった。木村はいまのところ、あえて「楷書」をくずさずに、武蔵として存在している。おそらく、今回「楷書」が選択されたのは、それが時代劇というジャンルや、ある種の決まり事によってもたらされたものではなく、木村拓哉が宮本武蔵そのひとのフォルムを「楷書」として捉えたからではないだろうか。
 さて、本作の大きな見どころのひとつは、殺陣である。木村がここで披露している殺陣は、言ってみれば、「、」(読点)であると思われる。それは殺陣師がそのように設計しているというよりも、木村が武蔵の動きをそのように規定していると感じられる。なぜなら、ここで彼が見せている宮本武蔵の身体が「、」として存在しているからだ。
 「、」とは何か。それは、さまざまに解釈することが可能だが、まずひとつ挙げられるのは「不断への希求」であろう。言ってみれば、それは「ピリオドへの拒否」であり、絶えることなくつづいていく「己」のための息つぎではないだろうか。武蔵と出逢う多くの者たちが、彼から「殺気」を受けとるのはそのせいである。強力な、あまりに強力な「希求」が、自身も制御できないほどの「殺気」へと達していることに無自覚な武蔵のありようを、木村拓哉はあくまでも「楷書」のたたずまいで体現している。そこが、決定的に新しい。


宮本武蔵は「。」を迎える。
 実際に剣を交わすことなく、イメージのなかで相手に「倒される」幻視が頻繁に登場する。木村が武蔵の身体を「、」としてあらわしているのは、おそらくこの幻視こそが本作の肝だと直感したからではないだろうか。剣を抜かずして、たとえば、相手の目の一撃だけで「倒される」ことこそ、「、」に他ならない。木村拓哉は役になきりるのではなく、役を「批評している」のかもしれない。
 武蔵のたたずまいが、武蔵の精神を表象する。それが「、」としての表現であり、そこには魂の「筆圧」も付与される。
 対して、佐々木小次郎に扮した沢村一樹は一貫して「。」(句点)としてそこにいる。小次郎は、あたりに殺気をまき散らす武蔵とは対照的に、ときに相手になめられることもあるほど、まるい。彼のバックグラウンドは、本作ではほとんど描かれてはいないが、思うに、それは内なる「不断への希求」を抹消しているからであり、いつ終わってもいい、というある種の「完結」のなかで、生をまっとうしているからではないだろうか。逆に言えば、彼はその都度その都度、自分の人生を「終わらせている」。海を飛ぶ虫を真っ二つにしたときも、そして、偽佐々木小次郎と対峙したときも。
 だからこそ、巌流島の決闘は、必然の帰結なのだろう。一瞬一瞬において「終わるまい」とする武蔵が、瞬間瞬間を「終わらせていく」小次郎と相見えるとき、いったい何が起きるのか。「、」として存在する木村拓哉は、「。」として存在する沢村一樹を前にして、変わるのか、変わらないのか。そのとき、彼がなぜ「楷書」の表現を選び取ったのか、その答えがもたらされるだろう。



文:相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
※【お知らせ】次回のMap of Smapは、3月18日(火)更新予定です!
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宮本武蔵
宮本武蔵

剣豪・武蔵の"真"の姿に木村拓哉が挑む!3月15日(土),16日(日)21時 テレビ朝日系列にて2夜連続放送。

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