SMAPコラム「Map of SMAP」

楽天ブックスが、SMAPやSMAPメンバーの旬な情報を、コラム形式でお届け!
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
Clip! Smap! コンプリートシングルス【Blu-ray】
ミュージックビデオを大幅に追加収録。
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
Clip! Smap! コンプリートシングルス
収録曲:シングル55作品の両A面曲を含む全63曲の映像を収録予定
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.3.25更新

今夜!『福家警部補の挨拶』、最後の最後に稲垣吾郎が見せるのは?


石松警部は、物語を破る。
 やはり『福家警部補の挨拶』はおかしなドラマです。不可解な、と言ったほうがよいかもしれません。
 最初は犯人の設定に、あるルールが存在していました。脚本家、漫画家、フィギュア造形家、日本酒の造り手、漫才師、女優。第6話までは、もの作りをしているひとたち、つまりクリエイターが犯人でした。ところが7話で急展開が訪れます。しかも、前後編。さらに、9話はスピンアウトと呼んでいいほどの番外編的な密室劇。10話にいたっては、ヤクザがヤクザを殺すという、前半での事件の傾向を大きく裏切るシチュエーション。とても大胆ですね。
 日本の伝統芸能には「序破急」という展開=構成があります。これはいわゆる「起承転結」とは異なる作劇で、一言では表現できないのですが、欧米に古代ギリシア時代から伝わる「三幕構成」とも通じ合う考え方です。正確に言えば「序破急」と「三幕構成」は同じではないのですが、「三幕構成」は主に「設定」「対立」「解決」によって成り立っています。
 『福家警部補の挨拶』では、7話からいきなり「対立」の幕が開きました。そして、その幕はまだ閉じられてはいないように思います。はたして、本日放映される11話=最終回で、「対立」の幕は閉じられるのか、「解決」の幕は開くのか、気になるところです。
 さて、前置きが長くなりました。7話の石松警部、すごかったですね。このドラマでの稲垣吾郎さんの存在こそが「序破急」をかたちづくっていたのではないかと、わたしなどは初めて気づきました。文字通り、あれはキャラクターが物語の枠を「破る」瞬間だったように思います。

石松警部は、パンドラの匣を開く。
 あれは激怒、というより、激昂でしたね。溜まりに溜まっていたものがついに爆発……という単純なものではありませんでした。稲垣さんならではの非常に精度の高い感情表現だったと思います。
 稲垣さんは芝居を「投げっぱなし」にしない。迫真の強度で、その場が活性化すればそれでいい、というタイプの演じ手ではないんです。もちろん、演技には、「事故」のような驚きをもたらすものもあって、そういう衝撃はたしかにすごいんですが、ただ、ある意味、そのあとのことをあんまり考えていないというか、いわゆるひとつの「悪目立ち」だったりもするわけです。
 当たり前のことですが、芝居っていうのはアクシデントじゃないし、アクシデントじゃ駄目なんですね。しかし、感情というものはあるとき「事故」のようにあふれる。泣くとか、笑うとかいうことは、もちろん、じわじわくる……つまり、それまでに「準備」されていることもあるわけですが、そうでない場合のほうが、鮮やかになる。特に映像作品では「映える」ことになります。ああ、やっぱり、泣いてしまった、笑ってしまった、というよりは、つい、涙が流れてしまった、思わず、吹き出してしまった、というほうが、観ているわたしたちの胸に「届く」んです。
 怒る、という表現の難しさは、ここにあるんですね。いきなり泣くひとや、いきなり笑うひとっていうのは物語のなかでは容認されているんです。それは場合によっては「可愛気」にさえなる。しかし、いきなり怒るひとは、現実世界でもそうであるように、とても危険なものと見なされます。扱いに困るんですね、たとえ、フィクションのなかとはいえ。異常人物であってはいけないのです。
 石松警部のなかに怒りが溜まっていたことは、このドラマを観ていたひとなら、ある程度理解していたと思います。しかし、「なに」が、「どのように」溜まってたかは、だれにも想像できていなかった、ということを「パンドラの匣」を開けるように見せてしまっているのが、あのときの稲垣さんの表現です。

石松警部には、固有の怒りがある。
 ひとは、あるとき、怒る。周囲のひとにとっては突然のようであっても、本人にとっては必然なんです。ここが、泣くとか、笑うとは異なる点です。泣くとか、笑うっていうのは、偶発による部分が非常に大きい。だから、先ほどお話したように、ヴィヴィッドな芝居にもなる。
 怒りっていうのは違うんです。ある意味、怒るべくして怒っている。つまり、起こるべきして起こる現象なんですね。起こるべくして起きる現象は、大抵の場合、ああ、やっぱり……という感想しかもたらしません。怒ってるね、このひと。怒ってると、コワいね。という、ごくごく平凡なつぶやきしか生まれない。つまり、怒りという表現は、かなり平板化しています。決まりきったパターンが非常に多い。そのキャラクターならではの怒りというものには滅多に遭遇できません。
 しかしながら、石松警部の怒りには、彼ならではのグラデーションがありました。彼ならではのうねりがありました。ああ、このひとは、こんなふうに怒るのだ、という発見がありました。そして、繰り返しますが、彼が、あのようなかたちで怒ることは予知できませんでした。怒るべくして怒っているひとの怒りが、なぜか、新鮮な驚きを観るひとに与える。稲垣さんは、そのように表現をコントロールしていたと思います。ものすごい「制球力」だと思いますね。
 同時に、怒りの推移や、怒りのなかに冷静さがあること、自己嫌悪と背中あわせにあるプライドなど、それまで表面化していなかった石松警部のパーソナリティを激昂のなかに織り込み、滲ませていた点も素晴らしかったと思います。
 稲垣さんの演技を見ていて痛感するのは、人間の主観というものを、演じ手は客観的に捉えていて、溶け合わせることによって、主観でも客観でもない、あるいは、そのどちらでもあるようなものとして「実在」させている、ということです。
 10話は石松警部のモノローグで始まりました。最終話では、稲垣吾郎さんは、あの怒りの先の「なに」を見せてくれるのでしょう。答えは12時間後に出ています。



文:相田★冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
前週のコラムを読む
翌週のコラムを読む
福家警部補の挨拶
福家警部補の挨拶

最終話は『女神の微笑』。福家警部補過去最大の捜査が始まる!25日(火)21時より放送。

「Map of Smap」バックナンバー

2017.1.5更新
2016.12.21更新
「Map of SMAP」TOPにもどる

オススメのキャンペーン&特集

もっと見る