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TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.6.17更新

稲垣吾郎はワイングラスである──舞台『恋と音楽供戮魎僂董


時間の経過を、声で伝えること
 舞台『恋と音楽 〜僕と彼女はマネージャー〜』を観て、前作『恋と音楽』以上に、舞台俳優としての稲垣吾郎の力量に唸った。では、いったい、なにが優れているのか。
 本作に幕間はないが、大きく時間は推移するから、三部構成と言っていいだろう。新しい「章」がはじまるとき、稲垣吾郎は最初の一声で、時間経過を感じさせる。ひとりの人物の「体内時間」がかつてとは違うことを、たった一言で伝えることができる。人格が変わったわけではない。基本的なパーソナリティは一緒である。ただ、そのひとのなかで「時間」は過ぎている。この、ある意味、否応無く訪れる変化を、決して深刻ぶらずに、カジュアルに声にすることができる。そして、その「音」は確実に伝わる。
 これは、「役になりきる」というのとはまったく別な技術である。あるいは「感情を構築する」のとは次元が違う能力である。数年後。その設定が用意されているとき、演じる者はなにをしなければいけないか。そのパースペクティヴ(見通し)が完全に立っている。もう一度繰り返す。これは「キャラクターの気持ち」だけを追いかけていては絶対に立ち上がってこない客観性である。
 あえて不毛な問いかけをしよう。あなたは、5年前の自分を演じることができるか? 自分のことは誰よりもわかっているとあなたは考えているだろう。自分の人生に何が起きて、そのときどのようなことを感じたかは、すべて認識していると強弁するかもしれない。だが、たとえわかっていても、自分以外のだれかに、そのことが伝わるように「再現」できるか? 去年の自分と今年の自分、あるいは、昨日の自分と今日の自分、その違いを明確に「声」にすることができるか? これができなければ、演技は成立しない。つまり、役の内面を理解していればそれでいいわけではない。役の外面(単に外見に留まらず、全体的な外観も含めて)を作り上げることが必須なのである。
 誤解のないように言い添えておくが、役の外面とは、髪型やメイク、衣裳の変更でどうにかなるものではない。映像作品であれば、「小道具」の効用は認められるが、舞台の場合は、そうした小手先はほぼ通用しない。たとえば、稲垣吾郎のように、発語ひとつで、時間経過を体現することができなければいけない。

ひとの内面が、外面を上回ること
 5人だけのミュージカルだから、そこで関係性が重視されているのは言うまでもない。そもそも、それぞれの「気持ち」が歌になってしまうという特異なスタイル=ミュージカルを成立させるためには、ある「割り切り」が必要になるし、それなりにそれぞれのテンションを「整える」必要もある。言ってみれば、世界観を共有しなければいけない。「5人のなかのひとりになる」ことができなければいけない。この、基本中の基本をクリアした上で、稲垣吾郎は、役の内面と外面を、見事に溶け合わせている。
 稲垣の非凡な演技は、歌の介在しない、純粋な芝居場ではっきりかたちになっている。それは、だれかと対話しているとき──とりわけ、ヒロインとの対話において顕著だ。稲垣扮する人物は、ヒロインへの想いを永らく秘めたままにしている。しかし、それを悟られまいと、時間の経過、すなわち経年による外面の変化を優先したコミュニケーションを「こなしている」。このようなシチュエーションにおいて、普通の俳優であれば、外面のなかに内面が存在している演技になる。つまり「ほんとうは好きだけど、それは見せないよ」というツンデレ表現になる。だが、稲垣は、外面と内面を限りなく接近させ、内面がほのかに外面を上回っているように演じるのだ。「表面張力」と呼んでもいいかもしれないが、外面の上に内面がのっかっていて、ぎりぎりであふれない、こぼれない、そのような状態。内面52%、外面48%という「己をコントロールできずにいる」様こそを、この人物の個性として体現できている。この微細にして、決定的な差異を目撃することこそ、本作の醍醐味と言って過言ではない。

心を注ぐための、器でいること
 そして、もうひとつ特筆すべきは、たったひとりで感情吐露するくだりでは、むしろ、外面が内面を上回っている演技を見せ、それがこのキャラクターの品性を感じさせたことである。
 つまり、稲垣が演じた人物は、意中の相手と一緒にいるときのほうが、たったひとりでいるときよりも、「少し正直でいられる」──だからこそ、この物語で描かれる恋には、意味があるのだ。
 だれかと一緒にいるときと、たったひとりでいるときの違いこそが、そのひとの個性であること。この「自分と自分との距離感」にこそ、人間のパーソナリティが宿ることを、おそらく稲垣吾郎は知っているのだろう。そうでなければ、あのように高度でありながら、明瞭かつ明快な表現には成りえない。
 演じ手としては極めて冷静でありながら、演技そのものは終始ウォーミーである彼の不思議を見つめ、最終盤で自分なりに感じたのは、稲垣吾郎は、自分自身を「器」として捉え、それを最大限活用する術を熟知しているということだった。
 おそらく稲垣吾郎は知っている。ワイングラスがなければワインを飲むことはできないのだということを。ワインはラッパ飲みするものではない。ただ、体内に取り込めばいいというものではないのだ。そして彼は、しかるべきワインが、しかるべきワイングラスに「注がれる」愉悦を知っている。
 フィクションにおける人物の感情や気持ちも、ただトレースすればいいというものではない。「心」もまた、それにふさわしい「器」に「注がれて」初めて、表現へと昇華する。
 稲垣吾郎はワイングラスである。そして、ワインとは飲むだけのものではない。ときに香りを愉しむものであるし、ときに目を悦ばせるものでもある。彼が表現者として優雅だとすれば、そのような可能性を知っているからに他ならない。



文:相田★冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
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