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 世界に一つだけの花
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世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.7.1更新

精神には「かたち」がある──草剛主演『神様のベレー帽』を観て。


世界で、たったひとりの観客のために
 スペシャルドラマ『神様のベレー帽〜手塚治虫のブラックジャック創作秘話〜』が、ブルーレイ&DVDソフト化されました。わたしは放映時に観ていません。今回が初の視聴となります。
 このソフトには特典映像が収録されています。わたしはメイキング映像の類にはまったくと言っていいほど興味がありません。しかし、ここには注目すべき映像がありました。作品の舞台裏のようなことに触れながら作品批評するのは、きわめて不遜だし、失礼千万だとは思いますが、とても大きな刺激を受けましたので、これから書かれるものが、あくまでも「邪道」であることをあらかじめお断りした上で、進めさせていただければ、と思います。
 わたしは、ドラマのあとに観ましたが、場合によっては、先に観てもいいかもしれません。特典映像のトップにおさめられている「草剛㊙ドッキリ企画」と題されている数分の映像。わたしたちは、そこで草剛と呼ばれる演技者の「創作秘話」を目撃することになります。正直、たったいま観たばかりなので、まだ衝撃に打ち震えている最中で、はたして、あの真実にふさわしいことばに辿り着くことができるか、はなはだ不安なのですが、おそらくわたしが「そこ」に到達することなく、屍として朽ち果てたとしても、この文章を読んだあなたが、必ずや、あとを引き継いで、「あの不思議」を解明するであろうことを信じています。
 ざっくばらんに申し上げましょう。この映像はタイトルが示している通り、ドッキリです。共演の浅利陽介さんの誕生日をドッキリでお祝いするために、撮影本番中に、台詞をアレンジして、彼にそれを「伝える」ということを、草剛さんはしています。
 草さんは手塚治虫に扮した状態で、手塚プロのバイトのアシスタントに扮した浅利さんに、語りかけます。
 本番中にビックリさせるというのは、決してめずらしい企画ではありません。しかし、わたしはここでとんでもないものを「見てしまった」気がします。
 草さんは手塚さんを演じながら、ドッキリをおこないます。より正確に言えば「手塚さんを演じている草さん」を、そのとき草さんは演じているわけです。本番中に、俳優が俳優を驚かせるとは、つまりそのような「入れ子構造の迷宮」を作り出すことに他なりません。俳優は虚構を生きねばなりません。さらに言えば虚構を「成立」させなければいけない。役を生きるだけでは不十分で、場を「成立」させなければ、職業俳優とは言えないわけです。
 浅利さんは、アシスタントを演じながら、「手塚さんを演じている草さん」と一緒に、その場を「成立」させようとしています。しかし、「手塚さんを演じている草さん」を演じながら、草さんは、別な場を「成立」させようと目論んでいます。浅利さん以外の全員が、そのことを知っています。
 これがどういうことかを端的に述べましょう。
 俳優同士が作り上げていたはずの虚構を破壊し、新たな虚構を出現させること。そして、そのとき、観客はたったひとりーー浅利さんしかいないということです。つまり、草さんと、浅利さん以外の共演者、そしてスタッフたちは、浅利陽介さんという世界でただひとりの観客のためだけに、生まれたての虚構を見せた、ということになります。
 では、わたしは、何に驚いたのか。

演技とは、真似でもなければ擬態でもない
 結論から、言いましょう。わたしが見るかぎり、草さんにとって、それは「冗談ではなかった」。この、演じるということは決して「冗談にはなりえない」という事実を、草さんが「体現してしまっている」ことにショックを受けました。行為としては、浅利さんを騙しているにもかかわらず、まったくそうは見えなかったのです。
 この台詞はウソだよ、ということをやんわりと告げるように、草さんは浅利さんに微笑みかけ、浅利さんも事態の真意を知ることになるわけですが、その微笑みは、草さんのものではなかった。これは観てもらえばわかることなので、はっきり書きます。それは「手塚治虫さんの微笑み」でした。「手塚さんを演じている草さんの微笑み」でも、虚構の場から降りた「素顔の草さんの微笑み」でもありませんでした。オフになっていない、オンのままの微笑み。生まれたての虚構が終わっても、「手塚さん」はそこにいた。やがて、草さんはメガネをはずします。無理矢理、草剛に戻ろうとするかのように。しかし、メガネをはずしても、しばらくは「手塚さん」のままでいたように思います。
 わたしは別に、草さんが「成りきり」型の俳優で、ドッキリの場においてもそれは変わらない、というようなことを言いたいわけではありません。
 虚構と現実の境界線は、わたしたちには「見えない」。そして、演じるということは、なにかの真似でもなければ、擬態でもない。とにかく「冗談にはなりえない」何かなのだということ。わたしは、ひょっとすると、生まれて初めて、そのことを肌で知ったと言っていいかもしれません。
 さて、ドラマについて。メガネを身につけ、黒いベレー帽をかぶり、お腹に巻物をして、話し方や歩き方にも特徴を持たせているにもかかわらず、草さんの演技は、一瞬たりとも、「手塚治虫さんのコスプレ」になる瞬間がありませんでした。私見ですが、さまざまな扮装をすべて取り外しても、草さんは「手塚さん」として、存在していたと思います。
 草さんは特典映像のなかで、自分が演じているのではなく、「手塚さんが演じていた」と語っていますが、わたしなりに表現すれば、草さんは、自分の肉体を「手塚さん」に与え、「手塚さん」が演じやすい状態にしていた、ということだと思います。なにやらイタコのように聞こえるかもしれませんが、「手塚さん」の霊を呼び寄せるとか、そういう話ではなく、「手塚さんの精神」に「かたち」を与えるために、草さんはすべての扮装やすべての動きをコントロールしていたと思います。
 この物語に登場する、手塚さん以外のキャラクターたちは、「天才」や「努力」といったことばで、手塚さんを讃えようとします。しかし、草さんは、まったく「天才」などを演じてはいなかったし、彼が「努力」している姿も体現してはいなかった。そのことに感動させられます。
 草さんは、ただひたすら、手塚治虫というひとの精神に「かたち」を与えつづけた。言ってみれば、ひとりの人間には、固有の精神があり、それは何かの真似でもなければ擬態でもない。この世で、たったひとつの、だれのものでもない精神がある。それは、ひとりひとりが持っているものであり、全部違っている。この精神という、ほんとうは目には見えないものに、草さんは「かたち」を与えたのです。
 精神がしゃべる。精神が歩く。草さんは「手塚さん」に、その身体を差し出しながら、決して身体では演じていない。
 注目すべきは、「手塚さん」が、自分の漫画は面白いか? と、ひとりひとりに向かって質問する場面です。「手塚さん」は、これ以外のあらゆるシーンにおいても、たったひとりの「相手」しか見ていないように感じられました。
 このことが、わたしのなかでは、「たったひとりの観客」浅利陽介さんにドッキリ企画を仕掛けた草さんの、決して「冗談にはなりえない」ありように重なるのです。
 「手塚さん」が、見ていた、たったひとりの「相手」とはーーおそらく「神様」だと思います。手塚治虫は、神様ではなかった。彼は、「たったひとりの読者」にこそ、「神様」を見ていた。草剛さんが体現した、精神の「かたち」は、わたしにそのような気づきを授けてくれました。



文:相田★冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
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