SMAPコラム「Map of SMAP」

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 世界に一つだけの花
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Clip! Smap! コンプリートシングルス【Blu-ray】
ミュージックビデオを大幅に追加収録。
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 世界に一つだけの花
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Clip! Smap! コンプリートシングルス
収録曲:シングル55作品の両A面曲を含む全63曲の映像を収録予定
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 世界に一つだけの花
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世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2014.7.29更新

わたしたちはSMAPである──『27時間テレビ』を観て(前編)


無謀、無防備、無垢
 わたしたちはSMAPである。
 4人でもSMAPである。ひとりでもSMAPである。牛もSMAPである。餅もSMAPである。
 「SMAP細胞はあります」。
 SMAPには「勝ち」もなければ「負け」もない。SMAPには「成功」もなければ「失敗」もない。SMAPは「未定」である。「予定」よりも「決定」よりも、SMAPという名の「未定」はすばらしい。
 わたしたちはSMAPという名の「未定」を生きている。人生は生放送である。人生は編集できない。人生はこれまでも、これからも、ずっとずっと「未定」なのだ。
 『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』という途方もない番組を見終えたいま、漏れ出すのはそのような脈絡のないことばばかりである。<武器はテレビ。>というSMAPらしからぬ、アグレッシヴで挑発的なメインコピーは、中島哲也ディレクションによる予告編映像ともあいまって、めちゃくちゃカッコよかったが、SMAPの本道は、やはり<非武装>にこそあった。手ぶらで、そこに立ちつづけること。無謀、無防備、無垢の三位一体。スキンヘッドよりも、剥き出しのなにかが、いささかの未練も漂わせずに、目の前に放置されつづけた。
 冒頭の「生前葬」からして、ただならぬ覚悟がみなぎっていた。なにかに挑むということは、素手で闘うことに他ならない。SMAPはけっして男性性を誇示するわけではないが、何も持たない潔さだけは決して手放さない。たとえ土下座することになろうとも、策を弄することはない。SMAPには作戦が似合わない。守らないし、攻めない。オフェンスやらディフェンスやらといったポジショニングが皆無だ。存在そのものが永遠の中立国。だが、傍観しているわけではない。自分たちを、渦中に放り込む。ただなかにあって、ただ「やってみる」を試す。トライはするが、結果は問わない。この姿勢こそが、メンバーそれぞれになにかをもたらす。しかし、SMAPそのものは不動。まったくもって揺らぐことがない。
 「生前葬」で香取慎吾に向けられたSMAP解散についての問いへの返答は、香取のSMAPに対する信頼の証だった。
 「SMAPの解散を考えたことはある」──香取のそのことばは、信仰告白に他ならなかった。

虚と実のはざまで
 それにしても……と、わたしたちはつぶやかずにはいられない。27時間という尋常ではない耐久レースの総合司会を、身体を張って務めるグループが、番組開始早々、本来タブーであるはずのトピック「解散」を抱え、駆け抜けていくことになろうとは。
 「解散」は今年の『27時間テレビ』の左半身と呼んでもいいほど大きなファクターであった。SMAP解散は、SMAP全員ドラマのなかで、「27時間ナショー」のなかで、そして「未定」企画のなかでもふれられた。つまり、フィクションのなかで、松本人志らが仕切る番組のなかで、そして5人だけの空間のなかで、それぞれ違ったかたち、違ったテンションで語られた。「27時間ナショー」での香取の「おい、みんな、どうした?」と、ひとり暴走気味に口走るすがたはたしかに衝撃的だったが、ここでは全員ドラマ「俺たちに明日はある」(脚本:土田英生/演出:澤田鎌作)を振り返ってみたい。
 これは、ドキュメントとドラマの融合=ドキュドラマ、あるいは、現実と虚構の相互乗り合い的作品=メタフィクションと呼びうるものである。つまり、虚のなかに実があり、実のなかに虚があるという真実を、多様な解釈が可能な物語として開陳している。SMAPが解散するかもしれない──わたしたちは、それを単なる噂以上のなにかとして、何度か受けとってきた(たとえば、わたしは2008年のアルバム『super.modern.artistic.performance』収録の「Still U」は、こうした噂に対するアンサーソングと捉えている)からこそ、本作をまったく架空のエンタテインメントとして認識することはできない。そして、5人がここで見せている芝居も、そんなオーディエンスの妄想が生み出すリアルとアンリアルの狭間でこそ効果を発揮するものになっている。
 つまり、単純にSMAPがSMAPを演じるのではなく、広義にせよ狭義にせよ、それぞれのメンバーが抱え持つパブリック・イメージをトレースしたりズラしたりすることで、インナーレヴェルでの増幅と肥大化を押し進め、虚にも実にも同等の価値があることを浮き彫りにする。逆に言えば、わたしたちもSMAPに対して、あるときは虚を求め、あるときは実ばかりを追いかけていることを、思い知らされる。

LIE STOPS HERE
 たとえば、中居正広が「ほんとうのことは言ってませんけど」と、インタビューの最後にわざわざ口にすること。木村拓哉が肝心な話から逃れるように、ワッツの収録場所に飛び込んできたベッキーの声を褒め、結果的にヘッドフォンごしに「拓哉……」と言わせること。稲垣吾郎が、SMAPの解散のことは自分だけが知らされていないのかも、とあくまでも冷静にありえる話として語ること。草剛が香取慎吾の前でギターを弾きながら、スキャンダルへの後悔をにじませること。香取が、つよぽん泣くかも、とイジること。それらはすべて、後の番組への布石となるばかりではなく、わたしたちが中居を、木村を、稲垣を、草を、香取をどのようにイメージしているかのリトマス試験紙として機能している。なぜ、そのようなことが可能なのかと言えば、わたしたちは「解散」問題を前にして揺らいでいるからだ。観客がナイーヴな状態になれば、演者のナイーヴな演技を、ナイーヴな表現としてキャッチする潜在能力を発揮することができる。このドラマは、その可能性を追求していると言ってもいいだろう。
 この映像が描く時間に対し、あるときはリアルに感じ、あるときはアンリアルに感じようとするわがままなわたしたちは、最後の最後、ドキュドラマやメタフィクションからもっとも遠くにあるシークエンスに映ったあるものによって、SMAPがSMAPである理由を発見する。それは一枚のTシャツであった。そこには、次のような英文字が書かれてあった。<LIE STOPS HERE>──ここでは嘘禁止。演じるということは、嘘をつくことではない。逆である。嘘をつかないこと。偽りを放棄すること。
 この剥き出しのスタイルによって、ドラマもバラエティも、SMAPにとっては同質の表現であることが明かされる。嘘禁止の場所に立ちつづけること。<HERE>がSMAPを試し、<HERE>がわたしたちを試している。
 このTシャツを着用していた明石家さんまはこのドラマの締めくくりとして存在していたばかりではなく、後のふたつの重要な番組にも登場し、自らこのTシャツの意図についてもざっくりと述べている。
 だが、さんまのことば以上に、さんまのSMAPに対するお笑い上の「絡み」は、なによりも秀逸なSMAP批評だった。(つづく) 



文:相田☆冬二

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