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SMAPコラム「Map of SMAP」

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2014.9.23更新

純粋であること──『HERO』で木村拓哉は何を表現したか。


久利生公平は「鏡」である
 純粋であること。
 『HERO』第2シーズンで木村拓哉が表現していたのは、ただそれだけのことだったと思う。
 これは、久利生公平が純粋なキャラクターであるとか、木村拓哉が表現者として純粋であるとか、そういうことを意味するわけではない。木村は、久利生や自分自身にタグをつけるためにそうしていたわけではない。
 木村さんは純粋なひと。ファンであれば、そう信じ、そう願うのが当たり前のことかもしれないが、わたしの興味は、そこにはない。極論すれば、木村拓哉そのひとが純粋であろうがなかろうが、そんなことはどうでもよい。
 純粋であること。それを木村拓哉がいかに表現していたか。そのことにしか、わたしたちが向き合うべき真実はないと考える。
 『HERO』第2シーズンで彼が表現したことは、それほどまでに価値がある。そして、純粋であることを表現するということは、これほどまでに途方もないことだったのか、そう思い知らされる。
 第1シーズンを細かく検証したわけではないし、また今後もそのようなことをするつもりはないので、あくまでも印象のレベルで述べるが、第1シーズンに較べて久利生公平は、具体的にあまり活躍していなかったように感じる。もはや行動で、キャラクターを証明する必要がないからだと思う。もともと、どこか「媒介」的な人物であり、通販以外のプライベートがほぼ見えてこない(また、吐露もしない。が、なにか訊かれれば答えはする。つまり、意固地でも頑なでもない)ことからも、掘り下げるべき対象ではない、というのがその理由のひとつかもしれない。
 「お出かけ」はする。だが、それは久利生のアクティヴィティ(活動)を追いかけるというよりは、「久利生のいない城西支部」を描くためだったのではないか。言ってみれば、わたしたちが「久利生の不在」を見つめるために、久利生は「お出かけ」していたように思えてならない。
 久利生の行動(アクション)によって、周囲が感化される。それはこれまでも綴られてきたことだし、今回もふんだんにそのようなエピソードが盛り込まれてはあるのだが、第2シーズンで特筆すべきことは、「久利生のいない城西支部」から久利生公平の存在が感じられることだった。つまり、久利生は「そこにいないこと」で、「そこにいた」。これは既に、感化という次元ではない。久利生は、「鏡」として、周囲のひとびとの純粋さを映し出していた。

久利生公平は「環境」をつくり出す
 久利生以外のレギュラーメンバーたちもまたHEROである、というのは第1シーズンからの基本テーゼであり、それは今回も変わらなかった。全員が各エピソードにおいて主役を務めたわけではないが、全員が主人公だったと言える構成は、第1シーズン以上だったのではあるまいか。もちろん、作劇上の洗練も、演出としてのトライも大きい。何よりも、キャストの兼ね合わせは見事だった。しかし、それ以上に、久利生のポジショニングが、彼女ら彼らを際立たせていたと思う。
 誤解をおそれずに断言するが、今回の久利生はある意味「なにもしていない」と言ってもいい。見せ場はある。台詞も効く。だが、ほんとうに魅力的だったのは、そして、ほんとうに大きな働きをしたのは、城西支部のなかで、他の面々の「相手をしている」ときの、聞き上手と呼んでいいほどの「なにもしてなさ」である。言うまでもなく、聞き上手なひとが「なにもしていない」はずはない。だれかの「相手をする」というのは非常に高度な技量を要する。そして、真の聞き上手は、決して相手に聞き上手とは感じさせない。本物の完璧主義者が、誰にもそのことを悟られないように。
 久利生は別に、はい、はい、と相手の話に頷いているわけではない。自ら語り出すし、けしかけもする。なのに、饒舌さはほとんど感じられず、「なにもしていない」ニュアンスだけが残る。つまり、それだけ自然だし、なめらかなのだ。「なにもしていない」わけではないのに、「なにもしていない」感じを与えるというのはどういうことか。
 それは「環境をつくる」ということに他ならない。では、どのような「環境」か。ひとが、純粋であるための「環境」である。
 周囲のひとびとは、久利生に感化されたのではなく、久利生がつくり出す「環境」に身を置くことで、無意識のうちに自身に内在していた純粋さに出逢っていた。そのような感慨を、第2シーズンは抱かせる。
 この現象は、木村拓哉が単に久利生公平を演じた、という段階に留まるものではない。木村は久利生という「環境」をつくり出している。だから、「久利生のいない城西支部」にも、(残り香とは違う)久利生の存在が漂い、その快適さによって、このドラマは生命を得ていたのである。

久利生公平は「成長」しない
 『HERO』第2シーズンで木村拓哉がおこなったことを、技術論や演技論で語るのは不毛である。もっと、大きな視野に立つ必要がある。だが、観る者をフェティッシュに語らせる、決定的な細部も本作は数多く有している。
 たとえば、第9話にゲスト出演した片桐はいりとのごく短いシークエンスはどうだろう。あそこでの久利生の「なにもしていなさ」はほとんど感動的である。果実がジュースになったかのようなミラクルを感じる。いや、牛乳がチーズになったかのようなマジックと形容すべきか。
 あるいは、第10話での、自分だって嫌われないようにとか、仲良くしようとか、そういうこと考えますよ、と久利生のパブリックイメージを逆手にとって「告白」めいた導入を用いながら、「正義」について語る様。あの、モノクロームだった画面がどんどん色づいていくような、それでいながらグラデーションは、ことさらドラマティックな色彩を獲得せず、気がつけば日陰から日向に顔を出していたようなありよう。
 そして、鍋島の墓の前で、「続けてきてよかった?」と訊かれ、「よかったよ。ブレないでいられるから」というようなことを口にしながら、ふっと笑うくだり。あれは、カッコいいこと言っちまったぜ的な照れ笑いなどではなく、「ブレないでいる」ことの真剣さが、どこかで生きることそのもの微笑みと、地続きであるかのようなフォルムを奏でて、それが練りに練られたというよりは、ふっと、野鳥がさえずったとか、あ、この空、なんだか綺麗、というようなことと同じように伝わってきて、ことばも、意味も、乗り越えてしまう。もちろん、そんな姿こそが、純粋であること、と仮定してもよいかもしれない。
 さて、そろそろ結論に入ろう。脚本家の福田靖は「久利生は成長しない」と語っている。「久利生は最初から久利生なのだ」と。おそらく、成長するのは周囲のひとびとであって、久利生自身は成長しない。もし、久利生が第1シーズンより、成長していると感じられるとすれば、それはアングルや相手が変わったからにすぎない。久利生は久利生のままだ。
 今回、久利生は「鏡」として存在していたと書いた。「鏡」が映し出すのは、周囲のひとびとの純粋さであり、観ているわたしたちの純粋さである。
 わたしたちは、こわがらずに、こう言えばいい。わたしたちは、純粋である、と。恥ずかしがらなくていい。わたしたちは、純粋である。
 おそらく、純粋であることは、成長しない。ずっと、そのままだ。精神や肉体は、否応なく老成していくが、純粋であることは、ときに見失っても、ときに忘れていても、成長しないまま、ただそこにある。
 木村拓哉の表現は、わたしに、ある詩人の次のようなことばを思い出させた。「私の言葉なんて、知らなくていいから、あなたの言葉が、あなたのなかにあることを、知ってほしい」。



文:相田“Mr.M”冬二

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