SMAPコラム「Map of SMAP」

楽天ブックスが、SMAPやSMAPメンバーの旬な情報を、コラム形式でお届け!
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
Clip! Smap! コンプリートシングルス【Blu-ray】
ミュージックビデオを大幅に追加収録。
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
Clip! Smap! コンプリートシングルス
収録曲:シングル55作品の両A面曲を含む全63曲の映像を収録予定
Infomation
 世界に一つだけの花
MUSIC
世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2015.1.13更新

本能は後からついてくる──草剛『銭の戦争』をめぐって。


多面体のスイッチ
 『銭の戦争』初回2時間スペシャルはある意味、「この1回限りで終わっちゃってもかまわないんじゃないか」と思うくらい充実していました。それはわたしが、物語を追いかけることにほとんど興味がなく、また、一個のキャラクターを長く愛玩したいという欲望とも無縁でいる観客だからかもしれませんが、一編の映画を享受しているような満足感があったからなんですね。
 ひとりの俳優の、瞬間的なスパークには、物語やキャラクターといった、主に映像の作り手たちが構築にかかわっているものを軽々と超越してしまう力があるのですが、わたしは、そのような何かを、ドラマにしろ映画にしろ求めています。それが、この初回にはあったし、「見えた」。さがす必要もなく、実にドラマティックなかたちで、とてもアクロバティックな達成感とともに、だれの目にも映り込む状態で「出現」していました。
 もはや、それらは、問答無用の領域にあるもので、わざわざことばに置き換えて伝えるべきものではないのですが、ちょっと、やってみますね。
 ふたつのシーンについてのみ述べますが、これ以外にもたくさん、そのようなシーンがあります。
 まず。主人公が、神社で暴れる場面がありましたね。暴れると言っても、身体で暴れるんじゃなく、言語で暴れるということがここではおこなわれています。言語で暴れるとはどういうことか。それは大きな声で激情を叩き付ける、というようなことではないんですね。凡庸な演じ手の多くは怒りをそのように表現してしまいます。そのほうが「わかりやすい」と思い込んでいるからです。しかし、怒りというものは、決してわかりやすいものではないし、必ずしも感情が熱くなっているとは限らないんですね。
 俗に言う「キレる」というのは、どういう状態でしょうか。たとえば、スイッチが入る、というような比喩は当てはまるかもしれません。しかしながら、オセロの駒のように、白だったものが黒に反転するわけではないんですね。別人になるわけではないんです。人間の二面性ということがよく言われますが、それはあくまでも受けとる側の主観の話です。単に「気づいた」というだけにすぎません。逆に言えば、そもそも多面体であるはずの他者を前にしたとき、できるだけ混乱しないように、ある一面だけを見つめ認識して「このひとは、このようなひとだ」と己を納得させているだけのことなんですね。ただの「決めつけ」です。あるとき、そのひとは一面で決めつけられるものではない、と気づいたとき、もうひとつの面が見えてくる。で、ひとによっては「裏切られた」なんてことを言い出すんですね。違うんです。ひとはみんな、自分が見たいものだけを見ているだけにすぎません。


要約を拒む普遍
 たとえスイッチが入っても、そのひとであること。怒りの表現というのは、観ているひとをびっくりさせたり、恐怖を与えたりすることじゃないんですね。演技はお化け屋敷ではありません。大げさに言えば、人間は多面体の生きものである、しかしながら、複数の面はそれぞれどこかでつながっている、その「つながり」を見せることこそ、演技なわけです。
 ここで、彼は数字を連呼します。この主人公は数字に強いという設定が冒頭で明かされているのですが、その基本設定を忘れさせるような発声を彼はします。つまり、こちらに、そうしたことを考える余地を与えない。つまり、「このひとは数字に強いから、数字をまくしたてて、相手を圧倒しているのだ」とは要約させない。重要なのはこの点です。決して、びっくりさせたり、恐怖を与えたりせずに、けれども、人間を要約させない。つまり、ある「現象」を目の前に「出現」させる。
 彼がここで語っていることは極めて論理的なことなんですね。論理が疾走している。そのスピードが、わたしたちが想定しているよりもはるかに速いというだけで、決して暴走になっているわけではない。乱れはない。むしろ、研ぎすまされています。ひとは「キレた」とき、それまでの自分以上に冷静になったりもする。いても立ってもいられなくなり、何かが高速で回転する。そのような原初的な状態が、ここには放置されています。
 先ほどお話したように、それは必ずしもキャラクター描写に従属するものではないんですね。つまり、彼がここでおこなっているのは「人物紹介」や「キャラクター説明」ではない。
 人間というものの普遍を、提示しているのです。


行動がすべてを規定する
 元婚約者に面と向かって別れを突きつけるとき、彼自身がそのことを示唆する台詞を口にしますが、自分が何者であるかなんて、そのひと自身にはわかりません。
 彼がここで見せている演技は、まさにそのような真理に貫かれています。すべて、行動が規定するのです。わたしたちは、自分が意識によって行動していると思い込んでいます。違うんです。行動することで、自分自身の意識があらわになる。むしろ、意識とは、「行動しない」ことに作用しているといったほうがよいかもしれません。
 つまり、理由があって結果があるのではなく、結果によって理由は想定されているにすぎません。原因なんてものは、結果がなければ、存在しえないものですからね。結果によって、初めて意味を与えられたものが原因なんです。それは、最初から「存在している」ものではなかった。
 本能ということばも都合良く使われています。本能に根ざした行動、なんてカッコいいことばがありますね。わたしはこれも眉唾ものだと思っています。違うんです。本能ですら、行動のあとについてくる。衝動なんかもそうですね。衝動があって、行動があるのではない。行動によって、衝動らしきものが立ち現れるのです。
 彼は、神社において、言語によって暴れますが、暴れることによって初めて、わたしたちは主人公の内部に横たわっているさまざまなものを知ることになる。この「遅れてやってくる」状態を、彼は作り出しています。これが「現象」を起こすということです。
 もうひとつの例をあげましょう。
 かつての後輩に金の無心に行った主人公は、おれのゲロを食ったら金を貸してやる、と言われ、跪き、手で掬います。が、口にすることができずに、その後、トイレでひとり暴れます。このときの、ものに八つ当たりして、その結果、痛みが「遅れてやってくる」芝居が素晴らしい。これなんですね。痛みすらも「遅れてやってくる」わけです。この痛みは、屈辱や無念、喪失、失望などが含まれた複合的なものですが、要するに、行動のあとに感覚も訪れるということなんです。行動はすべてに先行するということを、物語やキャラクターに奉仕するのとはまったく違う、まっさらな表現で見せている。ゲロを手で掬うのは意識です。それを拒否するのも意識です。しかし、トイレでものに八つ当たりするのは、意識ではないんですね。この「差異」を彼は、非常に明瞭に演じ分けており、行動が本能を凌駕する瞬間を作り出しています。
 草剛さんは、身体のキレがいいとか、そういうレヴェルの話ではなく、真の意味での「活劇俳優」だと思います。決して、要約などできない、彼の動きこそを、見つめていきましょう。



相田“Mr.M”冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
前週のコラムを読む
翌週のコラムを読む
銭の戦争
銭の戦争

草剛が金と愛の価値を問う!毎週水曜22:00〜フジテレビ系列局にて放送

「Map of Smap」バックナンバー

2017.1.5更新
2016.12.21更新
「Map of SMAP」TOPにもどる

オススメのキャンペーン&特集

もっと見る