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SMAPコラム「Map of SMAP」

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世界に一つだけの花
TV:CX系ドラマ『僕の生きる道』(2003年1月〜)主題歌収録のシングル。
2015.5.26更新

わたしたちは家路久の顔をしている──木村拓哉の鏡面的演技。


実存をめぐるドラマ
 第6話。不思議な回でしたね。連ドラの折り返し地点では、突然このような空白地帯が出現することがありますが、それにしても奇妙な感触の回でした。
 茶番。と家路久は口にするわけですが、彼の職場の面々はなぜに、あのような茶番を演じなければいけなかったのか。考えはじめると、みるみる混迷の淵に立たされます。
 そこに、罠はあるのか。なんでもないことが、罠に見えているだけなのではないか。錯覚。誤解。疑心暗鬼。魔物は、己のなかに潜んでいます。
 『アイムホーム』は、とりあえず実存をめぐる物語であると言えるでしょう。実存。難しいことばですが、簡単に言えば、自分はほんとうに存在しているのか、その証を、わたしたちは少なからず欲しがっている、ということです。突き詰めて言えば、わたしは誰なのか? そうした疑問そのものかもしれません。
 てっとり早く確認する方法は家族です。自分の親は誰なのか。兄弟は、姉妹は、妻は、夫は、子供は? それら近親者とのつながりを確認することで、多くのひとは正気を保とうとします。それゆえ、過大な期待を抱きすぎて、ときには、家族関係そのものが崩壊することだってあります。
 しかし、自分には家族がいる、はたして、それだけで、自分が何者かを証明=実感することは可能でしょうか? 本作は、あくまでもホームドラマというフォーマットのなかで、そのことを問うていると考えられます。妻と子供の顔が仮面にしか見えないという設定は、そのために存在しているのかもしれません。
 極端な話をすれば、あの妻子が主人公の家族である保証はどこにもないわけです。そして、妻子ともに本当に仮面をつけていて、主人公以外のひとびとは全員、妻と子供の顔が見えているふりをしているだけ、ということだって考えられます。「美人の奥さん」というフレーズの連呼が、わたしは気になって仕方がありません。
 そうしたとき、浮上してくるのが、実存をめぐる問いです。
 わたしは、誰なのか?


のっぺらぼうの主観
 木村拓哉さんは、かつて、その人物を実在させること、それが演技だ、という趣旨の発言をしたことがあります。
 たとえば、家路久とは久という漢字の一致が見られる人物、久利生公平について考えてみましょう。久利生は、自分が何者であるかを知っています。わたしたちは、久利生のプライベートをほとんど知りませんが、彼が、彼自身にいささかの疑問も抱いていないことを、わたしたちは理解しています。ある意味、謎の男と呼んでいいはずの久利生が、実は一切、謎を抱えてはいない。これはキャラクター設定ではありません。木村さんが、そのように演じている、ということです。
 これが、人物を実在させる、ということ。久利生はすべてを明かしていないにもかかわらず、確かに、そこに居る。わたしたちは、その実在を感じています。
 しかし、家路久はどうでしょう。彼についての情報は、ある意味、久利生以上に与えられています。しかしながら、家路自身が、自分の実存を信じきれていないため、わたしたちは、家路もしくは、家路を取り巻く人々、あるいは家路をかたちづくる世界そのものが紛い物、フェイクなのではないか、との疑念を抱きます。
 なぜでしょう? 木村さんが、そのように、家路久を体現しているからです。
 木村さんの今回の芝居は、観る者を主観的にします。感情移入ではありません。家路を客観視できなくする。家路を客体と見なせなくなる。そのように、わたしたちのまなざしを導いています。
 わたしたちは、家路を見つめながら惑います。なぜなら家路自身が惑っているからです。わたしたちは、単に記憶喪失に陥った不幸な男に同情しているわけではありません。家路と同じように、惑っているのです。家路の、かりそめの実存を構成している人々、そして世界を、疑ってしまうこと。惑い、疑うための主観だけがここには実在していて、ひょっとしたら、家路久そのものが幻かもしれない。あらゆる可能性が考えられる。そして、思い知るのです。主観というものには、そもそもよりどころなどなかったことを。
 言ってみれば、これは、のっぺらぼうの主観であり、のっぺらぼうの実存です。
 木村さんは、こうした主観や実存を成立させるために、あらゆる細部を際立たせない、スーパーフラットな演技を作り上げています。
 では、平面を突き詰めると、どこに行くのか。
 鏡にたどり着く。
 それが、現時点での、わたしの仮説です。木村拓哉は、家路久ではなく、鏡を演じているのです。


そして魔法はとけた
 ざっくばらんに申し上げましょう。
 家路久の顔は鏡です。そこには、このドラマを見ているわたしたちの顔が映っています。木村さんはそのように演じていると思います。いや、正確に言えば、そのように演じていた、と思います。
 家路の顔を見るとき、なぜか落ち着かなくなるのは、家路がこころもとない日常を生きているからではありません。彼が想い出を失っているからでもありません。現在進行形のわたしたちの顔が、そこに映っているからです。
 たとえば、わたしたちは、テレビを見ているときの自分の顔を、自分で見たことがあるでしょうか。わたしはありません。ですから、どんな顔をしているかほんとうのところはわかりませんが、おそらく家路久のような顔をしているのだと思います。そのことに気づいたのは、6話のラストでのことでした。
 演技とは基本的に他者を演じることです。俳優にとっての他者であるのみならず、わたしたち観客にとっても他者であるような誰か。木村さんのことばをかりれば、他者を実在させることが演技と言えるでしょう。しかし、『アイムホーム』の木村さんは家路久を他者として演じるのではなく、無数の主観の集合体として演じています。家路久のバックグラウンドがいかにデータとして積み重ねられようと、一向に不確かなままだったのは、木村さんが家路に、明確な顔を与えていなかったからです。家路は他者ではない。この番組を見ているわたしたちです。
 ところが、6話のラストで、この鏡は横にひび割れます。
 妻が仮面をかぶっているのは、息子が仮面をかぶっているのは、ことによると、家路自身が仮面をかぶっていて、それが鏡に映り込んでいるだけのことかもしれないなどとまで妄想がふくらみましたが、もはやその鏡は砕け散ってしまいました。
 浦島太郎、ピーターパン。これまで家路久が息子のために朗読したり、演劇の相手をしたりといったことが大いなる伏線だったことが、6話のラストで明らかになります。
 家路久は妻にキスをします。なぜなら、多くのおとぎ話において、キスをすることで魔法はとかれるからです。妻子の顔に仮面がかぶせられているのは、悪い魔法のせいだ。おそらく家路はそう考えたのでしょう。だから、一か八かの勝負に出たのです。
 仮面にキスをする。
 この倒錯的な行為に及ぶとき、木村拓哉は瞳を閉じます。ひとがキスをするとき、とりわけ、おとぎ話の主人公がキスをするとき、必ず目をつむるセオリーを守ることで、魔法をとこうとしたのです。
 しかし、仮面ははずれなかった。
 そのとき、魔法から解き放たれたのは、家路久ではなく、彼の顔に映っていたはずのわたしたちです。わたしたちにかかっていた魔法はとかれてしまいました。
 なぜなら、わたしたちは、このドラマを見ているあいだ、決してまぶたを下ろすことはないはずなのに、木村拓哉は、いえ、家路久は、それをしてしまったからです。
 これはおそらく、明確な意図に基づくものです。
 キスをしたあと、木村さんは、スーパーフラットな表情を脱ぎ捨て、ついに、妻に真実を告白する家路久を演じはじめます。
 そう、彼は、折り返し地点で、ようやく他者に変貌したのです。
 バラバラになった鏡が、再びつなぎ合わされるときは来るのでしょうか。
 わたしたちは、これから、何を見ていくのでしょうか。
 かつてないドラマが、いま、ようやく始まろうとしています。



相田“Mr.M”冬二

※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
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