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対象期間:2012年3月15日から5月15日まで

ユニバーサル映画100年の歩み

■1906〜1920年代

西暦
内容
写真
1906年 2月24日にドイツ移民のカール・レムリー (Carl Laemmle) が39歳でシカゴにホワイト・フロント・シアターをオープン。この映画館がレムリーがオープンした一連のニッケルオデオンの1館目となる。10月1日にレムリー・フィルム・サービスを設立し、映画配給のビジネスを開始。

カール・レムリー
1909年 カール・レムリーがインディペンデント・ムービング・ピクチャー・カンパニー(Independent Moving Picture Company of America、略称IMP)を創立。このIMPの創立を機に、レムリーは映画業界の3つステップ(劇場公開・配給・製作)すべてに関与することとなる。
10月25日にIMPはスタジオ作品第1作目の「ハイアワサ の歌」(Hiawatha) をリリース。 監督はWilliam Rancous氏によるもので、ニュージャージー州の Coyotesvilleにおいて撮影。

1909年 「ハイアワサの歌」(Hiawatha)
1911年 IMP はハリウッドのサンセット大通りとガウアー通りにあった最初の映画撮影所を買収。  
1912年 4月30日にニューヨークでユニバーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー (the Universal Film Manufacturing Company) を設立。 2か月間での数回にわたる取締役会が開催された後、IMP社(カール・レムリ)はパワーズ・モーション・ピクチャー社(パット・パワーズ)、レックス・モーション・ピクチャー社(ウィリアム・スワンソン)、チャンピオン・フィルム社(マーク・ディンテンファス)、ネスター・フィルム社(ディビッド・ホースリー)およびニューヨーク・モーション・ピクチャー社(チャールズ・バウマンとアダム・ケッセル)との合併により、この新会社 が設立された。  
1913年 ユニバーサル初のニュース映画「The Universal Animated Weekly」が登場。
George Loane Tucker監督による「Traffic in Souls」がユニバーサル初の主要映画。白人奴隷の人身売買というセンセーショナルなストーリーであったこともあり45万ドルの総収益を上げる。
 
1914年 カール・レムリの依頼で、Isadore Bernstein氏が230エーカーのテイラー牧場を16万5千ドルで購入。この土地が後のユニバーサル・シティーとなる。

「Damon and Pythias」がユニバーサル・シティーで撮影した最初の主要作品。
 
1915年 3月15日にユニバーサル・シティーは正式にオープンし、3日間におよぶイベントとアクティビティーで新しい映画の中心地を披露。15,000人以上の人々がこの催しに参加し、その後、一般の人々が25セントを支払って撮影中の映画セットの見学を許可された。
10月27日にジェネラル・エレクトリックの創業者であるトーマス・エジソンが世界初の電化スタジオの除幕式のためにユニバーサル・シティーを訪問。

1915年ユニバーサル・シティーでのトーマス・エジソン
1916年 ハリウッドで最も初期の女性映画制作者の1人であるLois Weber氏による監督・脚本作品「暗中鬼」(Where Are My Children?) がユニバーサルに300万ドル以上の総収益をもたらす。  
1917年 カール・レムリが18歳のアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg)を雇う。この年の終わりには、タルバーグ はユニバーサル・ピクチャーズのアシスタント・マネージャーとなる。  
1919年 シュトロハイム (Erich von Stroheim) がユニバーサルで初映画「Blind Husbands」を監督。

シュトロハイム (Erich von Stroheim) 監督
1920年 5月にカール・レムリとロバート H. Cochrane がパトリック・パワーズの所有するユニバーサル所有権を獲得。
1924年 ジュールズ・スタイン博士(Dr. Jules Stein) とウィリアム・グッドハート(William R. Goodheart Jr.) が、生演奏およびラジオの芸能プロダクションとしてシカゴでミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ(the Music Corporation of America MCA)を結成。MCAは1962年から1994年までユニバーサルの親会社となる。  
1925年 ユニバーサルの「オペラ座の怪人」(Phantom of the Opera) が公開される。ロン・チェイニー主演。

ユニバーサルの株式がニューヨーク証券取引所に初めて上場。

1925年「オペラ座の怪人」(The Phantom of the Opera)
1928年 ユニバーサル初のトーキー映画「Melody of Love 」が公開される。

「ウサギのオズワルド」(Oswald the Rabbit) や「ウッディー・ウッドペッカー」「アンディ・パンダ」の製作者であるウォルター・ランスがアニメーターとしてユニバーサルに加わり、のちにフリーのプロデューサーとなる。

ウォルター・ランツ(左)とカール・レムリ(右)
1929年 カール・レムリは息子であるカール・レムリ・ジュニアを21歳でユニバーサルの製作責任者の地位を与える。カール・ジュニアはスタジオの方針を大きく変更し、“プログラマー”よりも一連の有名な映画を重視するようになる。  

■1930〜1940年代

西暦
内容
写真
1930年 西部戦線異状なし」(All Quiet on the Western Front) でアカデミー賞の作品賞を受賞。

当初のユニバーサル・スタジオ・ツアーは、(トーキー化により)静かなセットが必要となり打ち切りとなる。

1930年「西部戦線異状なし」(All Quiet on the Western Front)
1931年 「ドラキュラ」「フランケンシュタイン」を公開し、ユニバーサルがホラー映画で名をはせる始まりとなる。

1931年「フランケンシュタイン」(Frankenstein)
1935年 MCAは米国音楽家連盟(the American Federation of Musicians)から包括的権利放棄を受け入れ、MCAは芸能プロダクションと番組製作者の両方の役割を果たすようになる。この権利放棄により、MCAは自社のバンドでラジオ番組を制作することが可能となった。  
1936年 3月14日にカール・レムリは債権者たちに迫られユニバーサル・スタジオを売却。ファイナンシャル・グループのスタンダード・キャピタル(Standard Capital)が450万ドルで経営権を掌握。チャールズ・ロジャース(Charles R. Rogers)が製作のトップに、ジョン・チーヴァー・カウディン(J. Cheever Cowdin)が社長となる。

22歳のルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)がクリーブランドでMCAに加わる。

監督のヘンリー・コスター(Henry Koster)が14歳のディアナ・ダービンを「天使の花園」(Three Smart Girls)に起用。この作品がダービンの最初のヒット作となり、合計21本のヒット作品を生み出す。これらの大成功がユニバーサルの経営状態に大きく貢献。
 
1938年 MCA は西海岸で最初のオフィスをビバリー・ヒルズの市役所の向かいにオープンさせる。ルー・ワッサーマンをこのオフィス勤務とする。

1月にクリフ・ワーク(Cliff Work)がチャールズ・ロジャースからユニバーサルの製作トップの地位を引き継ぐ。RKO劇場幹部のネイト・ブルムバーグ(Nate Blumberg)を社長に任命。
 
1939年 9月24日にカール・レムリが72歳で他界。

ユニバーサルのディアナ・ダービンが、若さの精神と象徴を銀幕にもたらした功績で、アカデミー特別賞を受賞。

W.C. Fieldsが「You Can’t Cheat an Honest Man 」に主演。フィールズがユニバーサルで製作したコメディー4作品の第1作目。

W.C. フィールズ(Fields)
1941年 ジョン・ホールとマリア・モンテス主演の「アラビアン・ナイト」(Arabian Nights)がユニバーサルで最初の三色法によるテクニカラー映画で、その後このアドベンチャー映画はシリーズ化される。

1941年「アラビアン・ナイト」(Arabian Nights)
1942年 10月3日にジュールズ・スタインとMCAが“ハリウッド・キャンティーン”(Hollywood Canteen)をオープン。兵士たちのナイトクラブに映画スターたちが慰問に訪れる。  
1944年 Hal MohrとW・ハワード・グリーンが「オペラの怪人」でアカデミー賞の撮影賞(カラー)を受賞。  
1945年 グロリア・ジーンやドナルド・オコナーの主演で、第二次世界大戦中にスウイング・ミュージックを絶え間なく世に送り出していたユニバーサルの“ユース・ユニット”が解散。

4月にMCAは最大の競合芸能プロダクション2社(ビバリー・ヒルズの the Hayward-Deverich Agencyとニューヨークの the Leland Hayward Agency)を吸収合併。新しい顧客としてグレタ・ガルボ やフレッド・アステア、ジミー・スチュアート、ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペックなどが名を連ねた。
 
1946年 10月1日にユニバーサルは、レオ・スピッツとウィリアム・ゲーツが率いるインターナショナル・ピクチャーズと合併。このチームがユニバーサル・インターナショナルの指揮をとり、親会社のユニバーサル・ピクチャーズはネイト・ブルムバーグとジョン・チーヴァー・カウディンが実権を握る。

12 月 16 日に 33 歳のルー・ワッサーマンを MCA  の社長に任命。

1946年〜1962年ユニバーサル・インターナショナルのロゴ
1947年 イギリスの配給会社J・アーサー・ランク・フィルムズがユニバーサル・インターナショナルの過半数持分を買収。ランクの関連会社と共に、ユニバーサルは「黒水仙」(Black Narcissus) や「逢びき」(Brief Encounter)、「大いなる遺産」(Great Expectations)、「ハムレット」(Hamlet) などのイギリス映画の輸入・興行を開始。

ロナルド・コールマンが「二重生活」(A Double Life) でアカデミー賞主演男優賞を受賞。
 
1948年 ローレンス・オリヴィエ (Laurence Olivier) の「ハムレット」(Hamlet) がアカデミー賞作品賞を受賞。( 製作:Two Cities 配給:ユニバーサル・インターナショナル)

■1950〜1960年代

西暦
内容
写真
1950年 MCAのルー・ワッサーマンはユニバーサル・ピクチャースとジミー・スチュワートとの契約でパーセント・ディール(映画の収益から一定の取り分を得る)の交渉を行う。これによりそれまでの慣例を変えることとなる。「ウィンチェスター銃’73」(Winchester ’73) と「怒りの河」(Bend of the River ) がユニバーサルの西部劇ジャンルに新風を吹き込む。

「ウィンチェスター銃’73」のジェームス・スチュワート
1951年 ジョセフィン・ハルがユニバーサル・インターナショナルの「ハーヴェイ」(Harvey) でアカデミー賞助演女優賞を受賞。

デッカ・レコード(Decca Records) がユニバーサル・ピクチャーズの株の38%を獲得し、間もなく支配下に。1952年7月にデッカの社長であるミルトン・ラックミル (Milton Rackmil) が、ブルムバーグの後任として社長の座に就き、エドワード・ムール (Edward Muhl) がレオ・スピッツ (Leo Spitz) とウィリアム・ゲッツ (William Goetz) から製作トップの地位を引き継ぐ。
 
1952年 7月23日に映画俳優組合 (Screen Actors Guild) のトップであるロナルド・レーガン (Ronald Reagan) がMCAによるテレビショー製作およびタレントがそれらのショーに同時に出演すること可能にした。  
1953年 レヴュー・プロダクションズ (Revue Productions) がCBSで「ゼネラル・エレクトリック・シアター」 (General Electric Theater) を初放送。1年後にロナルド・レーガンがこのショーの司会者として、時にはスターとして登場。後にこの番組のプロデューサーに。

ロナルド・レーガンと「G.E.シアター」
1954年 プロデューサーのロス・ハンターがダグラス・サーク監督、ロック・ハドソン主演のメロドラマ「心のともしび」(Magnificent Obsession) でユニバーサルの最も信頼できる稼ぎ頭となる。

「大アマゾンの半漁人」(Creature From the Black Lagoon) でユニバーサルは3Dおよびサイエンスフィクションの映画市場へ参入。
 
1957年 ドロシー・マローンがユニバーサルの「風と共に散る」(Written On The Wind) でアカデミー助演女優賞を受賞。  
1958年 MCAはパラマウント・スタジオの1948年以前のサウンド・フィルム・ライブラリーを5,000万ドルで購入。今までのところで最も贅沢なテレビのシンジケート・ディール。

12月18日にユニバーサルは367エーカーの野外撮影用敷地をMCAに1,125万ドルで売却。その後、この敷地を年間100万ドルで賃借する。
 
1959年 ユニバーサルの最大の稼ぎ頭である3つの映画はMCAとの包括契約作品。「ペティコート作戦」(Operation Petticoat) 1,860万ドル、「悲しみは空の彼方に」(Imitation of Life) 1,300万ドル、「夜を楽しく」(Pillow Talk) 1,500万ドル

西部劇で最初のカラーTVシリーズである「ボナンザ」(Bonanza) の放送開始。
 
1961年 ユニバーサルは「スパルタカス」(Spartacus) でアカデミー賞4部門を受賞。

MCAは“スターと一緒に食事”(Dine with the Stars) という契約をグレイ・ライン・バス・ツアーと結ぶ。このツアーはユニバーサルの撮影敷地をバスで巡り、その中にある販売部で昼食を取るというもの。

1961年「スパルタカス」(Spartacus)
1962年 MCA がデッカ・レコード(Decca Records) を買収。それに伴いユニバーサル・ピクチャーズも獲得。会長のジュールズ・スタイン博士 と社長のルー・ワッサーマン がMCAを導く中で、ミルトン・ラックミル(Milton Rackmil) とエドワード・ムール(Edward Muhl) が引き続きユニバーサルの経営を舵取り。 司法省との同意判決により、芸能プロダクション部門を売却。

ルー・ワッサーマン(Lew Wasserman)
1963年 ハーパー・リーにより映画化された「アラバマ物語」(To Kill a Mockingbird) でグレゴリー・ペック(Gregory Peck) がアカデミー主演男優賞を受賞。  
1964年 7月にグラマー・トラム (Glamor Trams) との協力でユニバーサル・スタジオ・ツアーが開始される。当時のツアーはドライバー2人、ガイド2人、チケット販売員1人により運行。

MCAがアルフレッド・ヒッチコック のシャムレー・プロダクション (Shamley Productions) を買収し、これに伴い「サイコ」(Psycho) とヒッチコックの全TV作品の権利も獲得。

レヴュー・プロダクション (Revue Productions) はユニバーサル・テレビジョンへと改名。

ユニバーサル・スタジオのトラムツアー
1966年 ユニバーサル・スタジオ・ツアーの入り口をLankershim 通りから丘の上の敷地に変更。ツアーは映画セット小道具の写真撮影を含むものに拡大。  
1967年 西部劇のスタントショーを伴ったユニバーサル・ツアー・エンターテイメント・センターがオープン。  

■1970〜1980年代

西暦
内容
写真
1972年 ユニバーサル・アンフィシアターがオープン。ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」 (Jesus Christ Superstar) が最初の公演地としてこの劇場で公演。  
1973年 6月にジュールズ・スタインが引退。シッド・シェインバーグ (Sid Sheinberg) がMCAの社長に就任し、ルー・ワッサーマンが会長へ。

「十戒」の海が割れるセット (The Parting of the Red Sea) がユニバーサル・スタジオ・ツアーでオープン。
 
1974年 スティング」(The Sting) が作品賞を含む7つのアカデミー賞を受賞。

1974年「スティング」(The Sting) のロバート・レッドフォード (Robert Redford)
1975年 ユニバーサルの「大地震」(Earthquake) がアカデミー音響賞・特殊効果賞およびセンサラウンド・システム (Sensourround System) の開発でアカデミー科学技術賞を受賞。  
1976年 ジョーズ」(1975年作品)(Jaws) がユニバーサル・スタジオ・ツアーのジョーズアトラクション (Bruce the Shark in the Jaws Experience) を生み出す。  
1978年 ユニバーサルの「ディアハンター」(The Deer Hunter) が作品賞を含む4つのアカデミー賞を受賞。

1978年「ディアハンター」のロバート・デ・ニーロ
1980年 MCAホーム・エンターテイメント・グループ (MCA Home Entertainment Group) を立ち上げ、カタログビデオ販売部門を設立。  
1981年 シシー・スペイセク (Sissy Spacek) がユニバーサルの「歌え!ロレッタ愛のために」 (Coal Miner’s Daughter) でアカデミー主演女優賞を受賞。

4月29日にMCAの創始者ジュールズ・スタイン が他界。
 
1982年 ヘンリー・フォンダ (Henry Fonda) とキャサリン・ヘップバーン (Katharine Hepburn) がユニバーサルの「黄昏」(On Golden Pond) でアカデミー賞を受賞。

1982年「黄昏」のヘンリー・フォンダとキャサリーン・ヘップバーン
1983年 「E.T」(E.T.: The Extra-Terrestrial) が3つのアカデミー賞を受賞し、米国内および海外の興行収入を席巻。

1983年「E.T.」(E.T.: The Extra-Terrestrial)
1985年 ユニバーサルの「愛と哀しみの果て」(Out of Africa) がアカデミー作品賞を受賞。

ユニバーサル・スタジオ・ツアーにドライブスルーのアトラクション「キングコング」がオープン。テーマ・パークのデザインに新しい時代をもたらす。
 
1989年 ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに「大地震」のアトラクションがオープン。  

■1990〜2000年代

西暦
内容
写真
1990年 6月にユニバーサル・スタジオ・フロリダ (Universal Studios Florida) がオーランドにオープン。MCAリクリエーション(MCA Recreation) とランク・オーガニゼーション (the Rank Organization) の合弁事業。  
1991年 1月1日に日本の電気機器メーカー・松下電器産業がMCAを65億9,000万ドルで買収。
3月15日にユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに「ザ・ワールド・オブ・シネマジック」 (The World of Cinemagic) や「スターウェイ」(Starway)、新しい「バックロット・トラム・ツアー」(Backlot Tram Tour) を含むスタジオ・センター (the Studio Center) がオープン。
 
1993年 スティーブン・スピルバーグ (Steven Spielberg) の「シンドラーのリスト」 (Schindler’s List) がアカデミー作品賞を受賞。

5月にユニバーサル・スタジオ・ハリウッドの外に遊歩道のユニバーサル・シティー・ウォークがオープン。

1993年「シンドラーのリスト」(Schindler’s List)
1994年 ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」 (Jurassic Park: The Ride) がオープン。

「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」
1995年 ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドに「ウォーター・ワールド・ライブ・シー・ウォー・スペクタクラー」 (Waterworld, A Live Sea War Spectacular) がオープン。

4月9日にシーグラム社 (the Joseph Seagram Company, Ltd.) のCEOエドガー・ブロンフマン・ジュニア (Edgar Bronfman, Jr.) がMCAの株式80%購入を交渉。1996年にユニバーサル・スタジオへと改名。
 
1996年 4月23日にルー・ワッサーマンがMCA社の名誉会長となる。
12月9日にMCAをユニバーサル・スタジオ (Universal Studios, Inc.) へと改名。
 
1999年 フロリダ州オーランドに「アイランズ・オブ・アドベンチャー」 (Islands of Adventure) 「ポートフィーノ・リゾート」(the Portofino Resort) 「ユニバーサル・シティー・ウォーク」(Universal CityWalk) がオープン。  
2000年 6月にヴィヴェンディ (Vivendi)、カナル・プラス (Canal+)、ユニバーサル・スタジオの親会社であるシーグラム(The Seagram Company Ltd.) が戦略的企業合併を発表。これにより新しい世界大手のメディアとコミュニケーション企業、ヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンターテインメント (Vivendi Universal Entertainment) が誕生。  
2001年 3月31日に大阪にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープン。開園37日後には入園者数の世界記録を破る100万人を史上初のスピードで達成。  
2002年 6月3日にルー・ワッサーマンが89歳で他界。  
2003年 ユニバーサルが6作品の公開で1億ドルを突破。スタジオの中で初。「ワイルド・スピードX2」(2 Fast 2 Furious), 「アメリカン・パイ3」 (American Wedding) 「ブルース・オールマイティ」 (Bruce Almighty) 「キャット・イン・ザ・ハット」(Cat in the Hat)、「ハルク」(Hulk)、「シー・ビスケット」(Seabiscuit).  
2004年 5月12日に新生NBCユニバーサルが第一日目を迎える。この新しい事業体はNBCとヴィヴェンディ・ユニバーサル・エンターテインメントの組み合わせで構成。NBCユニバーサルは、ゼネラル・エレクトリックが80%、ヴィヴェンディが20%で所有。

NBC ユニバーサルのロゴ
2007年 2月6日にジェフ・ザッカー (Jeff Zucker) がボブ・ライト (Bob Wright) の後任でNBCユニバーサルの社長およびCEOとなる。
ユニバーサル・ピクチャーズは世界的な興行収入で過去最高の21億3,300万ドルを計上。大ヒットの5作品で米国内最高の興行収入10億9,900万ドルを達成。
 
2011年 1月28日にコムキャストがゼネラル・エレクトリックからNBCユニバーサルの所有権51%を引き継ぐ。
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