- 北方謙三さん (きたかた・けんぞう)
- 1947年佐賀県生まれ。中央大学法学部卒。「明るい街」で作家デビュー後、純文学作品を発表。81年、初の長篇小説『弔鐘はるかなり』でエンターテインメントに転じ、本格的な作家デビューを飾る。ハードボイルド小説、冒険小説ブームの立役者として人気作家となる一方、時代小説、歴史小説にも挑戦。いずれの分野でも高く評価されている。主な受賞作品に『眠りなき夜』(83年・吉川英治文学新人賞)、『渇きの街』(85年・日本推理作家協会賞)、『破軍の星』(91年・柴田錬三郎賞)、『楊家将』(04年・吉川英治文学賞)ほか。2005年、『水滸伝』で第9回司馬遼太郎賞を受賞した。
インタビュー
- −−『水滸伝』全19巻完結おめでとうございます! 完結と同時に発売されたメイキング本『替天行道』(北方謙三・編著)によると、キューバ革命を書きたいという気持ちがきかっけだったそうですね。
- 北方さんぼくにも青春時代というものがあって、心に熱いものがあった。熱いものとは何か。変革の可能性を信じられたということなんだよね。そして、変革の可能性を信じて外へ出ていくと、いっしょに戦うやつらがいた。当時は学生運動、全共闘の全盛期。幻想にすぎなかったかもしれないけど、信じられるものがあった。 ぼくが学生生活を送ったのは60年代後半。1959年に起こったキューバ革命はいちばん直近のロマンチックな戦争だったんですよ。キューバ革命は変革の可能性を信じる人間にとっては大きな現実であり、理想的な革命だったという側面があるんです。 自分の人生で、青春の熱さを再現することはもうできない。でも、小説家は作品のなかで、青春をよみがえらせることはできる。 そこに「水滸伝」という、いい題材があった。じゃあ、そこでやってみよう。 ですから、キューバ革命も動機になっているし、学生運動の体験も動機になっている。動機はさまざまあるんですが、いざ、「水滸伝」と向かい合ってみると、どんどん「水滸伝」にのめりこんでいった。
- −−「水滸伝」は誰でも題名くらいは知っていますが、読んだことがある人はあまりいないんじゃないかと思います。
- 北方さん原典の「水滸伝」は70回本、100回本、120回本と3種類あって日本語訳が出ています。でも、小説として最後まで日本語で書いた人はいないんです。 吉川英治さんが書いておられるけれど、途中でお亡くなりになられた(『新・水滸伝』)。柴田錬三郎さんも書いておられるけれど、一部分だけだった(『柴錬水滸伝 われら梁山泊の好漢』)。「水滸伝」を最初から最後まで書いてしまおうという無謀な試みを最後までやったのは私だけ(笑)。
- −−しかも、今回は「北方水滸伝」と本読みの間で呼ばれるほど、北方さんならではの、まったく新しい水滸伝を作り出されましたね。
- 北方さん原典は最初の70回くらいが列伝体。つまり、魯達が人を殺して、出家して魯智深になっていくとか、梁山泊に集う英雄たちの物語が並べられているわけです。「水滸伝」はもともと完全にキャラクターを楽しむ小説なんですよ。 ぼくの『水滸伝』は、原典のキャラクターを一人ずつ心に抱いて、生み出したキャラクターたちがいる。そのキャラクターたちをもっと抱いていると、さらに生み出てくるキャラクターがいる。つまり、原典の孫くらいのキャラクターたちなんですよ。 原典のストーリーはいい加減でね(笑)。いろいろな人が持ち寄った説話を寄せ集めて「水滸伝」になったという感じで、辻褄が合わないところも多い。それをひとつの大きな流れとして読めるように作り変えたのがぼくの『水滸伝』なんです。
- −−『替天行道』を読んでわかったんですが、感動的な場面、「凄い」と思わず唸ったエピソード、魅力的な登場人物のキャラクターなどなど、印象的な部分はほとんどが北方さんの創作。驚きました。
- 北方さん原典の一番大きな欠点は、英雄たちがなぜ集まってきたかがわからない。原典は、108つの星が飛び散って、また集まってくるという、輪廻転生の物語なんですね。中には妖術使いもいるし、非現実的な術を使う登場人物も出てくる。それで、ぼくの『水滸伝』は、それを現実的なものとして読めるようにした。
- −−宋に反旗をひるがえす梁山泊の経済を「闇の塩の道」が支えます。つまり、経済的な裏付けがあって蜂起する。実にリアリティーがありました。
- 北方さん宋の経済を勉強すると、塩と鉄は専売です。そして、資本主義経済化がかなり進んでいて、民業が盛んだった。前代から宋に変わるとき、官から民へ、いわゆる規制緩和が進んだんですよ。民が産業を主導するようになった。 では、官は何をやるかというと、許認可ですよ。それまでは官が自分たちでカネを儲けていたのに、許認可権しか持てなくなった。そうなると、あとは許認可のために賄賂を取るしかない。そして、不正が横行した。 民のほうも、商売が活発になって、賄賂くらい大したことないやと、自由経済を謳歌していた。だけど、皇帝がお金を使いすぎたり、役人の腐敗が進んで国の財政が傾いていった。 ぼくの『水滸伝』にも出てくる徽宗皇帝なんていうのは、全国から石を集めさせて、かかったカネの穴埋めに増税した。そこに梁山泊のような反政府軍が出てくる背景があるわけです。 塩が専売制だったということは、塩を権力が民衆に配っていたわけです。それに手を出して、闇の塩の道を作るということは、そのこと自体がまさに反権力なんです。
- −−そして、108人の豪傑たちが梁山泊に集ってくる必然性もしっかりと描かれていますね。
- 北方さんつまり、梁山泊に集うということは、国家に対する反逆である。中心にいる人物は思想を持っている。その思想に共鳴して集まる。あるいは、思想なんてどうだったいい、俺は友情で入るんだってやつがいてもいい。 そうやって、梁山泊という小さな国家を作り、少しずつ広げていって宋を倒そうという戦略なんですよね。宋からみれば、獅子身中の虫ですよ。
- −−読み始めたときは、19巻、先は長いぞ、と思いましたけど、後半は、あと何巻しかないと寂しくなりましたね。まさに、その小説の中に入り込んでしまって、終わりがあることが悲しい。
- 北方さんそんなふうに読んでもらえたら、この小説は幸福なんですよ。ただ単に、物語として読むんじゃなくて、もう終わっちゃうのか、と思ってもらえたらね。
- −−登場人物一人ひとりひとりの生と死のドラマに魅せられながら、一方で、死を前提として生きることの意味を考えさせられました。
- 北方さん小説は面白ければいい。これが第一ですよ。 だけど、面白さの中に、作者がメッセージをこめているかもしれない。それをどう読むかは読む人の自由。この登場人物だけは、と思い入れるような人物と物語のなかで出会えて、自分の人生について何がしか考えるきっかけになるかもしれない。 ぼくが理想としている小説は、誰にでもわかって、誰が読んでも面白い。だけど、どんな読み手が読んでも、どこかわからない謎が残る。つまり、誰にでもわかって、誰にもわからない小説を書きたい。 誰にもわからない部分は、自分で考えてほしい。ぼくは小説をそんなふうに考えているんです。
- −−北方さんの小説は、ハードボイルド作品も含めて、男たちの印象が強烈です。まさに忘れがたい男たちの姿が描かれています。
- 北方さんぼくは、子供の頃から、何かつらいときには「男の子だから」と思ってきたわけ。困難なものにぶつかったときには「男だからな」とまず自分に言い聞かせてきた。だから、男の生き方というものについて常に考えてきた。 実は、女の人のほうが強いんですよ。だけど、男が唯一、女の人よりも強くなれるのは「俺は男だ」と思った瞬間。そのときだけは、女の人よりも強くなれる瞬間『水滸伝』19巻。インタビューを引き受けたときには、正直、読みきれるか一抹の不安があった。しかし、それはまったく杞憂だった。とにかく面白い。そして、1巻に1度は感極まった。しかも、これほどの小説を書き上げた北方さんが、実に気さくでざっくばらんな方であったことに もう一度感動した。一家に1セット『水滸伝』。何度も読み返したくなる、掛け値なしの傑作である。があると思う。 そうやって、男だということにこだわってきたら、最終的には「男はいかに死ぬのか」なんだよね。死ぬのは一瞬だから、それまでいかに生きるかなんだ。
- −−『水滸伝』は死をはさんで男たちが対峙する物語でもありますね。梁山泊の面々の生と死が魅力的なのはもちろんですが、敵方の宋政府の男たちも深い陰影を残します。
- 北方さん宋側の暗殺者、史文恭を書いたときには相当に思い入れたね。長い間機会を狙って、標的の側にずーっといる。そして、相手を好きでしょうがなくなったら殺す。
- −−梁山泊の大物を静かに屠っていく。不思議な存在感のある登場人物ですね。
- 北方さんあれは自分でもうまく書けたと思うんだよね。劉唐が史文恭を捕まえて刺し殺す。でも、劉唐には敗北感しかないんだよね。すでに、史文恭の手で梁山泊の重要なメンバーが殺されているんだから。 一方の史文恭は、やっとこれで自分に戻れる、と死を受け入れる。死をはさんで、光と影が入れ替わった瞬間だね。 ぼくは、スペインで闘牛士が刺し殺される瞬間を見たことがあるんです。フランシスコ・リベラ・パキリという、プロ野球で言えば現役時代の王か長嶋みたいなスターがいた。 田舎の闘牛場で開かれた、そのシーズン最後の闘牛で、彼は滅多に見せない大技をかけたんですよ。横を向いたまま、牛の角をかわす。それを何度もやった。喝采を受けているうちに、一瞬の隙に刺されて、牛の角に引っかかったまま、振り回された。投げ飛ばされた後、それでも、彼は自分の足で立ちましたよ。 闘牛場には手術室があって、医者が内臓に手を突っ込んでいる様子まで写しだされる。そこまで映していいのか。いいんだ。というのは、闘牛士は人じゃない。神と人の間にいるっていう考え方があるから。 大動脈が切れている。血が止まらない! 医者や周りが叫んでいるときに「騒ぐな、静かにしろ」って一言言って、彼は死んじゃった。 かっこいいな、と思ったんだけど、さらに後日談がある。 エル・コルドベスというパキリの一世代前の闘牛士がいる。弔問に訪れた時に集まったマスコミに彼は一言だけ言った。「闘牛士というものは、砂の上で死ぬものだ」。 エル・コルドベスは牧場をいくつも持っていて、余生を安楽に暮らしている。だけど、闘牛士としてちゃんと死ねなかったという思いが、その一言ににじみ出ていた。「パキリは英雄になっただけじゃない。神になったな」という思い。そのとき、光と影が一瞬で入れ替わった。 そういう経験があってね、史文恭と劉唐の、死と生の光と影を入れ替えようという思いがあった。
- −−まさに忘れがたい名場面でした。ところで、19巻、書いていてつらかった時期はありましたか?
- 北方さんまったくない。書くことが好きなんですよ。毎月、『水滸伝』を150枚、200枚と月刊誌(「小説すばる」)に書いていたわけだけど、平行してほかの小説も書いているわけ。寝る時間がなくて体力的につらいよ、なんていうのは、編集者をいじめるための口実だね(笑)。そりゃ、書いているとつらいですよ。血尿が出たこともある。でも、毎月書いて雑誌に載って、読者からは手紙が来る。ものを書こうと思った人間にとって、こんなに幸せなことはないですよ。それに、『水滸伝』は本当に自由に書けたから。 『水滸伝』の前に『三国志』を書いたんだけど、そのときには史実の制約があって大変だった。史実の制約の中で作家的な想像力をどう生かすか。そのことを『三国志』で学べたことは大きいけれど、『水滸伝』は完全に想像でいけるから、もっと自由に書けた。
- −−『水滸伝』19巻+『替天行道』でどっぷり北方水滸伝の世界に浸れますね。
- 北方さんとにかく、読んでほしいな。日本のエンターテインメントって映画や演劇、いろいろあるけど、大衆小説っていうひとつの大きな流れがあるんですよ。『大菩薩峠』(中里介山)や『富士に立つ影』(白井喬二)があったり、『眠狂四郎』(柴田錬三郎)があったりね。 その地位をもう一度、取り返したい。日本のエンターテインメントの主流は、小説なんだよ、物語なんだよっていうことを読者に実感して欲しいね。
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