2018-06-17
「母は毒親であり、毒親でなかった」殺したいほど憎んだ母親を許せるようになりました
近ごろは「毒親」という言葉が一般的に使われるようになり、自分の親は毒親だと自覚している子どもも多いです。しかし、果たして自分の親は本当に毒親として当てはまるのでしょうかと考えさせてくれるのが『ワタシの母は、毒親でした。』(加藤なほ/ギャラクシーブックス)です。本書には6年もの月日を経て、親子関係を取り戻していく加藤氏の姿が描かれています。
毒親をモチーフにした本は数多く発売されていますが、他の毒親本と本書の違いは、加藤氏が自身の心と向き合ううちに、憎んでいた母親のことを「毒親であり、毒親でなかった」と思えるようになったところにあります。
母親という存在は、娘の目に完璧な人間であるかのように映ってしまうことも多いですが、母親だって不完全な人間です。保育士のような育児のスペシャリストでもないため、時には自分の子どもに対して適切ではない行動で愛を示してしまうこともあります。しかし、娘はこうした母親のミスを許せず、「お母さんなのだから、もっと○○してほしかった」と求めてしまうのです。
そして、母のほうも娘に対し、自分なりの理想像を抱いてしまうため、違う道に娘が進むと、無理な要求をしてしまうことがあります。こうした理想像の食い違いは親子の溝を生み出す原因にもなります。実際に加藤氏も生きづらさのもとを生み出した母親を殺したいほど憎んでいたそうです。
わたしは母を、私の理想の母という枠に押し込めていただけで、母も1人の女性であり人間。わたしの理想のとおりになるのは、難しかっただけだということ。同じように、母はわたしを理想の娘に育て上げようとしたということ。
本書内のこの言葉には「母は毒親であり毒親ではなく、わたしは毒娘であり、毒娘ではない」という加藤氏の強い想いや、母への許しが込められています。
幼少期に苦痛に感じる行為を受けると、親のことを毒親だと思いたくなります。しかし、親も、毒親になりたくてなっているわけではないのかもしれませn。心に傷を与えた相手を許すには膨大なエネルギーがいります。だからこそ、自分の心を守りながら、大人の視点で毒親のことを考えていく勇気も必要なのかもしれません。
インナーチャイルドを癒せるのは自分だけ
毒親によって幼少期に深い傷を負わせられると、生きづらさを抱え、アダルトチルドレンになってしまうケースも多いです。アダルトチルドレンとは、虐待を行う親を持っていたり、アルコール依存症のような家庭問題を抱える家で育ったりして、心に大きなトラウマが残っている人のことを指します。こうした家庭は機能不全家庭とも呼ばれ、アダルトチルドレンは成長しても対人関係が苦手であったり、完璧主義であったりすることが多いとされています。
実際に加藤氏も周りの友達にうまく馴染めなかったり、DVをする彼氏と共依存状態に陥ってしまったりして、人生に絶望していました。そんな加藤氏に救いの手を差し伸べたのが、名古屋でセラピストとして活躍している阪東朝康氏でした。加藤氏は阪東氏の力を借りながら、自分の中で傷ついたままになっていた幼少期の自分(インナーチャイルド)と向き合うことができ、自信をつけられるようになっていきました。
アダルトチルドレンは、親の期待に合わない自分自身を無意識のうちに何度も排除しながら生きてきています。そのため、自己評価の基準が他人の手にゆだねられており、いくら頑張っても自分で自分を褒めたり認めてあげたりすることができないのです。しかし、こうした想いを抱えながら生き抜いてきた自分自身は、もう十分頑張ってきたのだということを胸に留めておいてほしいです。一生懸命生き抜いてきた過去があるのですから、親からダメという烙印を押された幼少期の自分を愛してあげてもいいのです。人はみな、幸せになるために生まれてきたはず。それは心の中で泣いたままのインナーチャイルドにもいえることなのではないでしょうか。
毒親に自身を否定され続けると、自分には価値がないように思えてしまいます。しかし、自分の幸せは自分のものさしで決めていけばよいのです。完璧な人生や他人のための人生を望んでしまう方はぜひ本書をきっかけに、自分が幸せに笑える道を探してみてほしいです。
文=古川諭香