2023-11-13
『ラザロの迷宮』 誰もこの「館(ミステリ)」から抜け出せない――。
【書評】「技巧を凝らした、著者渾身の本格ミステリ」(阿津川辰海)
神永学『ラザロの迷宮』は、『心霊探偵八雲』シリーズや『確率捜査官 御子柴岳人』シリーズなど数多くの名シリーズを手掛ける著者がものしたノンシリーズ作品であり、「とある系譜」に連なるミステリの最新傑作である。
作家にとってノンシリーズ作品は一つの冒険だ。シリーズものには、ある程度期待される物語や定型があり、作家の側も思考を楽にしてもらっている側面があるが、ノンシリーズではその「定型」に頼ることが出来ない。当然、新規読者層の目も意識しなければならない。その意味で、ノンシリーズ作品をいかに仕上げられるかは、作家にとって一つの冒険といえるのではないだろうか。
しかし、これは反面、未知の扉を開く「冒険」であるともいえる。シリーズものでは出せなかった要素や、そこでは出来ないような仕掛けを存分に試す絶好の機会でもあるからだ。事実、神永学のこれまでのノンシリーズ作品も、それぞれに新しい要素を実験的に取り入れていた。『コンダクター』(角川文庫)では、三人称多視点によってモザイク状に事件の全体像が見えてくる構図が読み所だったし、『イノセントブルー 記憶の旅人』(集英社文庫)は、前世の記憶を巡る物語で、再生をテーマに、ホラーを得意とする著者の従来の作品では強調されなかった爽やかさを押し出していた。『ガラスの城壁』(文春文庫)は題材がサイバー犯罪であるうえ、疑われた父の無実を証明しようと奮闘する中学生を描く青春小説の味わいも強い。
本書『ラザロの迷宮』は、著者にとって四冊目のノンシリーズ長編であると同時に、これまでの著者の作品の中でも、群を抜いて本格ミステリ度の高い作品だ。
構成は「1、2……」のようにアラビア数字であらわされる節と、「I、II……」のようにローマ数字であらわされる節に分かれている。ローマ数字のパートでは、湖畔にある洋館に招かれたミステリ作家・月島理生が巻き込まれる連続殺人劇が描かれる。密室や推理合戦といった道具立ても含めて、いわゆる「本格ミステリ」的な趣向がてんこもりだ。館の図面も、もちろんある。
一方、アラビア数字のパートでは、所轄の刑事である美波紗和が遭遇する、ある男の謎が描かれる。男は「A」という仮称で呼ばれることになるが、発見当時には全身が血まみれになっており、しかも全ての記憶を失っていた。いわゆる「サイコスリラー」の骨格である。
これら二つのパートが二元中継のようにスイッチされ、その全体像が最後まで見えない――とくれば、新本格の嚆矢である綾辻行人の『十角館の殺人』(講談社文庫)を思い出す読者も多いだろう。事実、ローマ数字のパートでは綾辻行人の『館』シリーズに関する言及がある。著者はそうした先行作品を踏まえたうえで、著者ならではのやり方で読者を翻弄してくれる。冒頭近く、登場人物である月島と永門の二人に、芥川龍之介『藪の中』について議論させ、解釈を提示させるが、真相を知ってから読み返せば、著者の不敵な笑みが目に浮かんでくるようだ。
最後になるが、本書は催眠ミステリの傑作であることにも触れておく。ミステリの世界において、催眠は長らくオカルトの領域で描かれ、暗示によって狙った行動をさせようとする「後催眠」の手法が独り歩きしてからは、操りの構図を成すための御都合主義的な手法の悪しき代表例と化してしまった。それだけに、催眠療法を科学的なツボを踏まえて書いたうえで、ミステリのプロットの中に生かした作品は価値が高いのだ。その例として、ドナルド・A・スタンウッド『エヴァ・ライカーの記憶』(創元推理文庫)、マイクル・コナリー『わが心臓の痛み』(扶桑社ミステリー)を挙げることが出来る。本書『ラザロの迷宮』は、これら催眠ミステリの名作の系譜に連なる傑作といえるのだ(ここに挙げた三作品は、いずれも催眠療法を取り入れながら、全く違ったアプローチを行っているため、読み比べるのも一興だ。もちろん真相も別物である)。この点、2000年代に発表されたあるミステリ映画に本書と似た構図のものがあるが、その映画とは異なり、物語としての清冽な感動も備えているところがポイントだ。
本格ミステリを読み慣れた読者の中には、「ははん、これはあの手だな」とか「真相はこうに違いない」と予想出来る箇所もあるだろう。しかし、全体の構図を見通すのは至難の業といっていい。それはひとえに、この『ラザロの迷宮』が、著者の技巧の限りを尽くした完成度の高い本格ミステリであるためだ。
執筆者:阿津川辰海(あつかわ・たつみ 作家)
出典元:『波』 2023年10月号より