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2024-04-30

『大人のための印象派講座』 あなたはまだ、本当の印象派を知らない――。

『大人のための印象派講座』 あなたはまだ、本当の印象派を知らない――。

「お金」「女性」「名誉」といったシビアな視点からあぶりだす、革新的画家集団の知られざる実像。図版200点以上掲載。読めば名画の見方もきっと変わる!

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【書評】印象派と新たに出会うために(野崎歓)

 印象派の人気には絶大なものがある。毎年必ず展覧会が開かれているのではないかと思えるくらいだ。ときには、「日本人は印象派が好きだからなあ」などと何やら非難がましく(あるいは自嘲気味に?)言う人もいる。でも、いいではないか。われわれは確かに印象派の絵が大好きなのだから。モネやルノワールやセザンヌの作品は“泰西名画”のなかでいちばん親しいものだし、マネやドガの絵だっておなじみだ。
 とはいえ、そんな日本人は本当に彼らのことをよく知っているのか。ひょっとすると、単に知っているつもりなだけでは? そうなのである。われわれには大事なことがわかっていなかったと、本書を読み進めながら実感させられる。
 著者の選んだ論点はこのうえなく明快だ。すなわち「女性」、「お金」そして「名誉」。いずれも男性画家たちにとって、人生を左右する要素だったに違いない。著者はそれらに着目することで、彼らの生き方の実相を浮かび上がらせようとする。その目論見は、見事に成功している。ここには、画家たちの肖像がいきいきと、人間味豊かに描き出されている。しかもその姿を知ることは彼らの作品との思いがけない、新たな出会いにつながっていく。
 多様な画家たちを論じるにあたり、「参照軸」として選ばれているのがマネである。「草上の昼食」や「オランピア」はみなさん、すぐ脳裏に思い浮かべることができる名画だろう。しかし、そこで肢体をさらしている女性はいったい「だれ」なのかと聞かれたら、言葉につまる人が大半では。正解は職業モデルのヴィクトリーヌ・ムーラン。そのヴィクトリーヌはマネの絵に登場したのち、どんなキャリアを歩んだのか。最新の研究によれば、やがて彼女は、19世紀には極めてまれな、モデルから女性画家へという転身を果たしたのだった。そのことを踏まえて「オランピア」に向かいあうとき、この絵の衝撃は、ヴィクトリーヌの「強靭な人間性」があってこそのものだったと思えてくる。そう著者は述べるのだが、卓見に違いない。
 かくのごとく第1部、画家たちとモデルの関係をめぐる話だけでも興奮の連続である。マネは妻シュザンヌの絵をたくさん描いているが、同様に(正式な、あるいは内縁の)妻にモデルをさせた例は多い。そうすればモデル代が浮くからだという。第2部に入ると、経済面の調査・分析が自在に展開されていく。サロンに入選できず、全然買い手のつかなかった絵に、やがてとてつもない巨額の値がつくというのが、われわれのあまりに大雑把な認識であろう。著者は精細な数字を上げながら、その逆転劇がどのようにして起こったのかをつぶさに追う。たとえば、象徴的な意味をもつこととなった、かの有名なモネのタブロー「印象―日の出」。この絵は第1回印象派展で酷評にさらされたのち、何とか800フランで売れた。そんな具合で、モネの絵は1870年代には数百フランだったのが、やがて1890年前後に高騰し始め、ついには画家に36万9000フラン(3億6900万円)もの年収をもたらすようになる。その裏には、アメリカ市場を開拓した画商デュラン=リュエルの先見の明があり、連作による量産体制を敷いたモネ自身の「洗練された商業戦略の成功」があった。
 デュラン=リュエルに目をかけてもらえなかったのがセザンヌだが、彼にはヴォラールという敏腕画商がついていた。とはいえセザンヌの絵は最初は1点わずか50フラン。ヴォラールはそれに1万フラン超の値がつくようになるまで辛抱したのだった。今日からすると、印象派に対する当時の有力批評家たちの無理解ぶりは異様にさえ思えるが、それだけに熱い擁護の筆をふるった小説家にして美術批評家、エミール・ゾラの慧眼が際立つ。そこには「アカデミック・システム」から「画商=批評家システム」という大きな転換があった。
 徐々に評価が高まり名声が訪れるとはいえ、画家たちのあいだには対立と不和が深まっていたようだ。彼らは決して「一枚岩」ではなかったという事実を、著者は第3部に至って解き明かす。とすると、結局のところ印象派とはいったい何だったのか。それは決して集団の大義に殉じる同志たちの集まりではなかった。強烈な意思と個性を備えた画家たちが、共通の敵に直面したときに党派をなして抵抗を試みたのは確かだ。しかしおのおのにとって、それは結局「挿話的な出来事」にすぎなかったのかもしれないと著者は言う。なるほど、100年後の「新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)」の映画作家たちみたいだと深く納得する。同時に、グループの枠に収まらない多様な才能がいっせいに出現した奇跡的事件として、印象派への憧憬の念を新たにするのである。
 それこそ「アカデミック」な研究の領域で、堂々たる業績を積み重ねてきた著者が、だれにとっても興味津々な内容を、温かく親しみやすい筆致で綴っている。第1回印象派展の150周年を飾るにふさわしい、なんとも嬉しい贈り物だ。

執筆者:のざき・かん フランス文学者/翻訳家
出典元:『波』2024年4月号より

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