2024-11-13
伊与原新さんによる科学のきらめきを湛えた最新作、『藍を継ぐ海』は絶賛配信中!
【書評】「科学の体温に触れて」(南沢奈央)
わたしって、地球に生きているんだなぁ。本書を読み終えたときに浮かんだのが、こんな感慨だった。地球に46億年分の歴史があるなかで、人類が誕生したのはほんの20万年前。そこからの歴史というのは、人の想いの積み重ねでできている。その上に、今、わたしが生きていることって、ものすごい奇跡だ――。たった5つの物語を通して、深い感動を伴う、確かな実感を得たのだった。
とは言え、5篇で描かれるのはあくまで現代の日本。登場するキャラクターも、本当に日本のどこかで暮らしているんだろうなと、親近感とリアリティのある人々。そこに、“科学”というスパイスが加えられる。それだけで見える世界のスケールが広がるのが、伊与原新マジックだ。
以前、わたしはNHK Eテレの「サイエンスZERO」という科学番組のナビゲーターを6年間務めていた。20年以上続き、現在はタレントの井上咲楽さんが担当している人気番組だ。わたしが当時、毎週さまざまな話題に向き合ってきたなかで、一番大きな発見だったのが、科学はあたたかい、ということ。こんなに心が動かされるのかと驚かされた。学校の授業で習っていたときにはただの事実やデータとしか思えなかったものが、研究されている先生方から直接お話を伺い、その現場を見て、最終的には、最新研究の功績とともに関わる人たちの想いを受け取った。
そうして日常に戻り、すこしでも科学的視点で物事を見られるようになっただけで、生活が立体的で彩り豊かになっていった。科学は、世界の解像度をあげてくれるのだ。本書でもそのような体験ができる。
冒頭「夢化けの島」は、山口県の見島へ、地質調査にやってきた歩美と、萩焼で使う見島土を探しに来た光平が出会い、土地の生い立ちに触れながら萩焼の歴史を辿っていく物語。「焼き物とか粘土が科学と関係あるなんて」と光平が呟くが、まさに同感だった。伝統的な職人仕事の陶芸と科学は交わることはないと思っていた。ところがどうだ、土を知ろうとすると1200万年前の島の形成まで遡ることになる。さらにその歴史ある地の土を使った器に今も夢をかける人がいて、これからも形として残り、想いが繋がっていく。すごいロマンではないか。
ただ、科学でも解明されていないことはまだまだ世の中にたくさんある。その一つであるニホンオオカミを追ったのが「狼犬ダイアリー」だ。オオカミといえば、童話にも登場するので姿形のイメージは何となくあったが、実はニホンオオカミは詳しい外見すら明らかになっていないのだそう。ある時、ウェブデザイナーのまひろは、奈良の山中でオオカミらしき生き物と姿を消した大家の犬の行方を探すうち、真相を知り、人とオオカミ/犬の暮らしの変遷を見つめていくことになる。
歴史に想いを馳せるだけで、今いる場所やそこにあるものが鮮明になっていく。「祈りの破片」で、長崎県長与町の一つの空き家から始まる物語は心が震えた。近隣住民から「えすか(こわい)家」だと相談を受けた役場の小寺。ただの空き家かと思いきや、そこで見つけたものは、表面が溶けたり焦げたりしている岩石や瓦やレンガ、コンクリートの破片だった。そこから、原爆やキリスト教信仰まで思いを巡らせていく。
現代ではもしかしたら薄れつつある過去、だけど確かに残っている歴史。それらを知ることは、未来を築く上で大切なことだと思う。つづく「星隕つ駅逓」は、まずタイトルにある“駅逓”すらわたしは知らなかった。駅逓とは、旅人の宿泊や郵便、運送などの役割を担った、北海道の開拓で重要な役割を果たした施設だ。人と人との繋がりにおいて欠かせなかった場所とも言える。そんな駅逓があった遠軽町に隕石が落ちてきたことをきっかけに、一つの家族が変化していく物語から、北海道、日本、いや地球の成り立ちまで考えさせられた。
我々は一つの地球で生きる命なのだ、という意識は最後の表題作でより濃く感じられる。徳島県の海辺の町を舞台に、ウミガメと自分を重ねる中学生沙月が主人公だ。ウミガメの生態がまた神秘的だ。徳島で生まれたウミガメは黒潮に乗って太平洋に出て、3、4年かけてカリフォルニア沖まで行く。そこで10年余り過ごし、若ガメになったら帰郷の途へ。さらに10年以上かけて成体になる、とても長い成長の旅をする。メスに関しては、自分の生まれた浜あたりに戻ってきて産卵する特徴があるという。そして沙月と一緒にウミガメを見守る佐和が言う。「すべては巡る、いうわけや」。
すべての生命は、地球を巡る。人の想いは、時を巡る。本書で描き出される体温のある科学によって、人間の奥深くに刻まれている遠い記憶が呼び起こされた。それはとてもあたたかく、清らかだ。
執筆者:南沢奈央(みなみさわ・なお 俳優)
出典元:『波』2024年10月号より