


アメリカによる「占領」は未だ終わらざる日本の惨敗物語だ。米政府の極秘資料をもとに、占領政策の欺瞞を暴き、日本人の変節を問う。
平和と民主主義の代償として憲法第九条の中に埋葬された日本人の誇りを取り戻すために、いま明かされる「占領の真実」。
第二次大戦の戦勝国が敗戦国・日本の戦犯を断罪した裁判は文明の裁きなのか? 戦後日本人に決定的な影響を与えた「東京裁判史観」を超えて、国立公文書館資料を徹底的に検証、裁判の本質に迫る。
解説・加藤陽子。
「書け、病のごとく書け」と、自らを追いつめるほどに創作の意味を問い続けた“最後の文士”高見順が遺した戦中日記。そこには貸本屋「鎌倉文庫」設立の経緯、文学報国会の活動などが詳細に記録されており、戦時下に成し得ることを模索し、文学と格闘した作家の姿がうかがえる。
膨大な量の日記から昭和二十年の一年間を抜粋収録。
参謀本部作戦課、そして関東軍作戦課。このエリート集団が己を見失ったとき、満蒙国境での悲劇が始まった。
司馬遼太郎氏が最後に取り組もうとして果せなかったテーマを、共に取材した著者が、モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて雄壮に描き、混迷の時代に警鐘を鳴らす。
歴史とは、前の事実を踏まえて後の事実が生まれてくる一筋の流れであるー明治維新、日露戦争、統帥権、戦艦大和、特攻隊。悲劇への道程に見える一つ一つの事実は、いつ芽吹き、誰の思いで動き出したのか。
名著『昭和史』に続き、わかりやすく語り下ろした戦争史決定版。日本人の心に今もひそむ「熱狂」への深い危惧が胸に迫る。
当時、日本海軍機動部隊は世界最強の実力を誇っていた。太平洋戦線における稼働隻数、戦闘機の性能、搭乗員の伎倆と多くの点で米軍を凌ぎ、米国側も「勝ち目なし」と悲壮な覚悟を固めていたほどだった。なのに、なぜ日本は敗れたのか?今となっては貴重な、将兵たちへの直接取材をもとに著す傑作戦記。
いまなお論議を呼ぶ太平洋戦争とはいかなる戦いだったのか?3年9カ月に及ぶ大戦の全貌を日米双方の視点から描き出すピュリッツァー賞受賞作。1巻はその前史となる二・二六事件、満州事変、日中戦争、日独伊三国同盟、日米交渉決裂、真珠湾奇襲前夜までを詳述。未発表文書を含む膨大な資料を駆使し、日・米・アジア各地で500人余にインタビューを行ない完成させた傑作ノンフィクション。
戦時下で秘密裡に進められていた「ニ号研究」「F号研究」という日本の原爆製造計画。戦局の挽回を期し、軍部が命じて科学者の叡智を集めた研究に全貌とは…。
昭和史研究の第一人者が、膨大な資料と関係者への貴重なインタビューをもとに、戦後、原発立国へと舵を切った日本の「原子力前史」を繙き、現代との因果を詳らかにする。
彼が殺されなければ、大東亜戦争は防げたのだろうか。
「陸軍の至宝」「統制派の中心」と称された、その五十一年の生涯を掘り起こしつつ、現代にも通じる国防の思想を解き明かす力作評伝。

水涸れ弾尽き、地獄と化した本土防衛の最前線・硫黄島。司令官栗林忠道は5日で落ちるという米軍の予想を大幅に覆し、36日間持ちこたえた。双方2万人以上の死傷者を出した凄惨な戦場だった。玉砕を禁じ、自らも名誉の自決を選ばず、部下達と敵陣に突撃して果てた彼の姿を、妻や子に宛てて書いた切々たる41通の手紙を通して描く感涙の記録。
神風特別攻撃隊第一号に選ばれ、レイテ沖に散った関行男大尉。敗戦を知らされないまま、玉音放送後に「最後」の特攻隊員として沖縄へ飛び立った中津留達雄大尉。すでに結婚をして家庭の幸せもつかんでいた青年指揮官たちは、その時をいかにして迎えたのか。
海軍兵学校の同期生であった二人の人生を対比させながら、戦争と人間を描いた哀切のドキュメントノベル。
「女が乗っているぞ!」その声が上空を旋回する11機の特攻機まで届くことはなかった。白いワンピース姿の女性を乗せた機体を操縦していたのは谷藤徹夫少尉(当時22歳)、女性は妻の朝子(当時24歳)だった。1945年8月19日、満州。20代の青年将校たちの、ある者は許嫁の自決を見届け、ある者は恋人を連れ、そして谷藤徹夫は妻を乗せ、空に消えていった。「妻と飛んだ特攻兵」、その衝撃の事実を迫った歴史ドキュメント!!
海軍機動部隊の精鋭三百六十機を率いハワイ奇襲作戦を陣頭指揮し、ミッドウェー海戦で重傷を負い、原爆投下直後の広島で被害調査に従事し、厚木基地にマッカーサーを迎え、ミズーリ号での降伏調印式に立ち会った淵田美津雄は、戦後キリスト教に回心し仇敵アメリカへ伝道の旅に出る。激動の時代を生き抜いた男の真実とは。
終戦時、19歳から33歳だった大正生まれの若者は、「7人に1人」が太平洋戦争で戦死した。
九死に一生を得て生還した兵士たちは、あの戦争をどう受け止め、自分の運命をどう捉えていたのか。
軍令部に在籍したかつての参謀を中心として戦後に開かれた「海軍反省会」。その録音が現存することが判明し、NHKスペシャルの企画はスタートした。
発掘された元エリート軍人たちの赤裸々な発言が、開戦の真相、特攻作戦に至る道程、東京裁判の裏面史を浮かび上がらせる。やがて、彼らの姿は現代に生きる我々と重なってゆく。
聖断がくだり、そして戦争は終わったー。
連合艦隊の壊滅、沖縄の陥落、広島・長崎への原爆投下、ソ連の満洲侵攻など、刻一刻と破局へと突き進んでいった敗戦末期の日本。本土決戦が当然のように叫ばれ“一億玉砕論”が渦巻くなか、平和を希求する昭和天皇と心を通い合わせ、二人三脚で戦争を終結へと導いたひとりの老宰相がいた。
昭和史最大のドラマである「日本敗戦」を描いた不朽の名作。
戦争とは、平和とは、戦後日本とは、いったい何だったのか。戦争体験は人々をどのように変えたのか。徴兵、過酷な収容所生活、経済成長と生活苦、平和運動への目覚め……。
著者が自らの父・謙二の語りから描き出した、日本の20世紀。
一貫して戦争や国家を問うてきた著者の原点となったのは十四歳での敗戦体験だった。
少女が軍国少女となり日に日に戦争に巻き込まれていく様を自身の記憶と膨大な資料から回顧し綴るノンフィクション。
在学中の学生が学業中断を強制され戦場に動員されたのは1943年12月、戦局が破滅的様相を色濃くし始めた時期であった。彼ら学徒兵が死と直面しつつ思索をかさねて遺した手記は、だれも消し去ることの出来ぬかけがえのない記録…。
昭和18年、壮絶な玉砕で知られるアッツ島の隣島キスカからの撤退は、完璧に成し遂げられた。陸海軍将兵5183名の全てを敵包囲下から救出したのだ。指揮を執ったのは、木村昌福。海軍兵学校卒業時の席次はかなりの下位。だが、将たる器とユーモアをそなえ、厚く信頼された男だった。
彼の生涯と米軍に「パーフェクトゲーム」と言わしめた撤退作戦を描く。

昭和20年。日本は第二次世界大戦のまっただ中にあり、町や村は焼かれ、食べる物もなく、人々は辛い生活を強いられていました。
戦争に巻きこまれ、幼くして死んでいった清太と節子の兄妹の姿を描き、直木賞を受賞した野坂昭如氏の小説を、哀しくも美しい映像でアニメーション化した感動作。
中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画。
戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。
昭和二十年三月二十九日、世界最大の不沈戦艦と誇った「大和」は、必敗の作戦へと呉軍港を出港した。吉田満は前年東大法科を繰り上げ卒業、海軍少尉、副電測士として「大和」に乗り組んでいた。
「徳之島ノ北西洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス今ナオ埋没スル三千の骸 彼ラ終焉ノ胸中果シテ如何」
敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。
平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる
神戸の海辺の町に「H」と呼ばれた少年がいた。父親は洋服の仕立て職人。母親は熱心なクリスチャン。二つ年下の妹の四人家族。Hが小学五年生のとき、戦争が始まった。父親がスパイ容疑で逮捕され、Hが大好きな映写技師のお兄ちゃんも、召集を逃れて自殺する。戦争の影が不気味に忍びよってくる。
Hは何を見て何を感じたか?
1945年8月。マッカーサーの財宝200兆円を隠匿せよ。
終戦間近、帝国陸軍の真柴少佐は軍トップに呼集され、ある重大な密命を帯びる。祖国復興のための軍資金を護るため、真柴は小泉中尉、望月曹長とともに極秘任務を遂行、勤労動員として20人の少女を集めたーー。
「娘に会うまでは死ねない、妻との約束を守るために」。そう言い続けた男は、なぜ自ら零戦に乗り命を落としたのか。
終戦から60年目の夏、健太郎は死んだ祖父の生涯を調べていた。天才だが臆病者。想像と違う人物像に戸惑いつつも、一つの謎が浮かんでくるー。
記憶の断片が揃う時、明らかになる真実とは。涙を流さずにはいられない、男の絆、家族の絆。
戦況も敗色濃厚な昭和20年夏、3人の男に召集令状が舞い込み、北の孤島へ。45歳の片岡。4度目の召集となる歴戦の兵・鬼熊。若き医学生・菊池…。
戦争の理不尽を重層的に描く渾身の長編。
太平洋戦争の末期、死闘をくり返す沖縄に於て、女学生ばかりで結成された姫百合部隊200人余の大半が、米須(こめす)の洞窟で玉砕するまでの悲惨な90日を濃密に描く。
乙女たちを中心に、死の行進を強いた戦争指導者への深い憎しみと怒り、戦場に散った若い生命への愛惜が全篇を貫く感動の名篇。
海辺の寒村に、女子師範学校出の大石先生が赴任してきた。担当する分教場の小学一年生は十二人。新米先生は、様々な家庭の事情を抱えた生徒たちを慈愛に満ちた眼差しで導き、時と場所を越えた師弟関係を築いていく。やがて戦争、そして敗戦。自らも苦渋の季節を経て、四十になった先生は、再び分教場の教壇に立ち、昔の教え子の子どもたちと出会う。
真の師弟愛を描いた不朽の名作。
日本占領下の東南アジアに、B29の大空襲を受けた東京に、原爆投下直後の広島に、そしてソ連軍が怒濤のように押し寄せる満州や樺太の地に、医師たちの姿があった。国家に総動員された彼らは、食料や医薬品が欠乏する過酷な状況下で、陸海軍将兵や民間人への医療活動を懸命に続けていたーー。

一貫して戦争や国家を問うてきた著者の原点となったのは十四歳での敗戦体験だった。少女が軍国少女となり日に日に戦争に巻き込まれていく様を自身の記憶と膨大な資料から回顧し綴るノンフィクション。
戦争体験者が年々少なくなるなか、本書は、各界で活躍し、戦争体験を持つ41名による、それぞれの「戦後70年談話」を集めた。
自身の戦中・戦後体験と戦後日本社会の歩みをめぐって、また現在の日本への批判と将来への提言等々、「次の世代に、いま、これだけは語っておきたい」というとっておきの言葉を集めた1冊。
ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない きんぎょと きんぎょも せんそうしない
谷川俊太郎の言葉で語られるせんそうへの思い、江頭路子の絵の透明な生命力。
人間の知恵はどこにあるのかを、静かに問いかける絵本。
戦後70周年の今年、子どもの本の作家19人が描き下ろしの文と絵で子どもたちに戦争を伝える渾身のドキュメンタリーアンソロジー。
坂本龍一さん、吉永小百合さん、重松清さんらの心のこもったメッセージと美しい写真が1冊に。
知る。考える。そして、伝える――。
被爆者、被災者、作家、学者、写真家、俳優、音楽家、アーティスト、学生……みんなの思いがつまった1冊。
戦後70年が経過し、風化する戦争の記憶、薄れていく平和への希求。戦争を語ることは平和を語ること。平和は「観念」であってはならない。
右も左も、改憲も護憲も越えて、第一人者が戦争の本質をやさしく語る。
ニューヨークの高校に通う孫娘から分厚い手紙が届いた。歴史のクラスで太平洋戦争を勉強することになったという。手紙は、「戦争の見方、体験は国によっても違いがあるはず」との歴史教師の考えを受け、戦争を体験した祖父への孫娘からの質問状だった。かつて軍人を志した祖父は自らの人生を振り返り、孫娘の問いに真摯に応えていく。「なぜ軍人の学校に進んだの?」「アメリカとの戦争は正しかったと思う?」…昭和をひたむきに生きた日本人の誇りと、手紙を通じて心がつながる祖父と孫の感動を描いたベストセラーを文庫化。
6歳の少年の詩を、長谷川義史が魂で描いた!2013年、沖縄県「平和の詩」最優秀賞受賞作品。慰霊の日の式典で、6歳の少年が朗読する凛々しい姿が報道され、全国で大きな反響を呼んだ。長谷川義史が、与那国島の安里有生を訪れて描きあげた絵本!
「ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。」沖縄発、平和へのメッセージ。