- 村山由佳(むらやま・ゆか)さん
- 1964年東京都生まれ。1993年『天使の卵――エンジェルス・エッグ』で第6回小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で第129回直木賞受賞。2009年『ダブル・ファンタジー』で第22回柴田錬三郎賞、第16回島清恋愛文学賞、第4回中央公論文芸賞をトリプル受賞。人気シリーズ<おいしいコーヒーのいれ方>をはじめ、『翼』『BAD KIDS』 『遥かなる水の音』『アダルト・エデュケーション』など著書多数。
インタビュー
■自分にとってタブーだった母との関係を書いた理由とは……
- −−今回は自伝的小説ということで、主人公の夏帆と村山さんを重ねて読んだところがあったのですが、この作品の中に書かれていることは、ほとんど事実と考えていいのでしょうか?
- 村山さんそうですね。できるだけリアルにしたかったんですよ。頭の中で考えたことをドラマティックかつリアルに書くのが小説家なわけですが、母と娘をテーマにしようと考えた時、自分の母親以上にドラマティックな人がいなかった、というのもありますね(笑)。
- −−おっしゃる通り、この小説に出てくる母の美紀子はかなり強烈な人物で、その言動や行動に驚かされることがたびたびでした。たとえば夏帆の文学賞受賞に際して、「自分も作文は学年で一番だったのに」と娘への嫉妬心を露にしたり。あの母の言葉は何とも衝撃的で……。
- 村山さんあれは柴田錬三郎賞受賞の時に実際に言われたことで、私も衝撃を受けました(笑)。母自身にも、小説を書きたい思いがあったんでしょうね。『放蕩記』にも書きましたけど、面白いことを見つけたらノートに書いておきなさいなどと言って、文章の書き方を教えてくれて、物語を好きにしてくれたのは母でした。一方で、兄弟の中で私にだけ厳しかった母の支配から、逃れる唯一の手段として、私は物事を想像し、空想するようになったんです。小説を書いている間だけは、母から自由になれた。そう考えると、今の私はやはり母に作られたのだなと思いますね。
- −−この小説に書かれているように、長年の母と娘の葛藤がある中で、ご自身にとって最大のタブーでもあった“母”との関係を今回、書こうと思ったのはなぜでしょう。
- 村山さん自分と母をテーマに突き詰めて書くことで、母と娘、女同士の何か不可思議なものが浮かび上がるのではないか。一つの特殊な母娘の姿を描くことで、普遍的な何かに到達できたらいいなと思ったんですね。他人から見れば特殊でも、自分にとってはこれが普通だというものがあって、結婚したりすると、それがスタンダードではないと気づいたり。その代表的なものが母と娘の関係のような気がします。
- −−これほどまでに自分をさらけ出して書く、その執筆過程はいかがでしたか。
- 村山さん母に言われたこととか、思い出したくないことを芋づる式に思い出しましたね。でもそれに身を任せてしまえと思っていて。書き始めた当初は、最初と最後だけを現在の場面にして、あとは時系列で少女時代から書くつもりでしたが、それだと解決がつかないことがいっぱいあるんですね。そもそも人の記憶というのは、現実に呼応する形でよみがえってくるというか、境目が曖昧なところがあるので。その現実と過去の記憶との間を揺れ動く感じをリアルに出したほうがいいだろうなと感じて、小説も、現在と過去とが自在に入り混じる書き方にしました。 書いている最中は、私自身もずっと揺れていましたね。すべてが虚構の小説と違って、現実と小説との区別がつかなくなるような……まるで小説を生きているような感覚でもありました。
- −−夏帆の視点で物語が進む中、何度か母・美紀子のモノローグが出てきますね。娘とは違う母側の主張に納得したり、驚いたりと、とても興味深かったです。
- 村山さん書いている途中で「私の話も聞いてよ」という母の声が突然、聞こえた気がしたんですね。「まったく、何のために娘を産んだかわからへん」という風に(笑)。小説全体を考えてみても、母にも語らせないとバランスが悪いなと思って入れました。
- −−それにしてもこの小説を通して感じるのは、母というのは完璧な存在に見えて、決してそうではないということです。親になっても一人の、生身の女であり、自我がなくなることは決してないんですね。
- 村山さん人って結局、役割を演じようとしているだけなのかなと。妻や母の役割を演じていても、生身の女がずっと自分の中に棲んでいる。男の人にしてもそうでしょうし。その役割を上手く演じられる人もいれば、そうでない人もいる。私の母のように演技過剰な人もいて……人それぞれですよね。 母にしても私が学生の頃は、まだまだ生身の女が自分の中に残っていたと思うんですよ。それなのに、娘に浮気中の夫の味方をされ、責められるのですから、正直、辛かったでしょうし。私は私で、自分が大人になったつもりで母に意見していたのですから子どもだったなと。今、この年齢になったからこそ、そうしたことがすべてわかるわけで、だからやっぱり、今だからこそ書けた小説なのだと思います。

■物を書く上での天井がなくなった気がする
- −−センセーショナルな話題を読んだ『ダブル・ファンタジー』をはじめ、ここ数年、ご自身の殻を打ち破るような作品を精力的に発表されていますが、ご自分ではどう感じていますか。
- 村山さん今まで書けなかったことが書けるようになった一番の理由は、母が認知症のために1冊の本を通して読めなくなってきたからなんですね。それで書けることが増えたのだと気づいた時に、一体どれだけ自分は母に縛られていたのかと、私は母に読まれたくないことは書けなかったんだなと、あらためて気づいてショックでした。
- −−そうやって書かれた『放蕩記』からは、「これを書かなければ」という衝動、まさに全身で書かれているのが伝わってきて、物語にぐいぐいと惹き込まれるのを体感しました。
- 村山さん確かに、全身を使って書けるようになったところはあると思います。とはいえ、デビュー以来ずっと私が書いてきた、せつない光を希求する形の青春も、ここ数年書いているドロドロとした世界も、どちらも私の中にもともとあったもので、まったく別のドアを開けたわけではないんですよ。ただ、物を書く上で天井がなくなった気はしますね。なんだかものすごく風通しが良くなった感じで(笑)。
- −−今のほうが心地いいと?
- 村山さんそうですね。しんどいことも増えましたけど。自分をさらけ出すとなると、引き受けなければいけないことも増えてくるので。以前と同じようなものだけを書いていたら、たぶん酷評されることもないでしょうし。『ダブル・ファンタジー』のように、性的なことを書いたりすると、受ける評価というのは本当にバラバラなんですね。あらゆるテーマの中でも、特に性的なものを書くと如実にそういう反応がくるのは、読者のモラルと経験によって受け取り方に最も差が出るのが性のことだからであって。以前の私なら、そうした反応にショックを受けていたと思いますが、今はそれでもいいんじゃないって思えるようになりました。誰かの中にはものすごく深く食い込むけれど、誰かにとっては見るのも嫌だ、というものがあってもいいのかなと。むしろそういう作品のほうが、一つ深いことを書き切った証のように思えて。何とも面倒なことに挑戦しているなあとも思いますけど、仕方ないです。書く時にはいつも迷って、すごく揺れますけど、何となくその辺りに、私の物書きとしての鉱脈がある気がしているので(笑)。
- −−この小説を書き終えた今の心境は?
- 村山さん『放蕩記』を書いたことで母を許せるようになりました、と言えばわかりやすいのでしょうが、そうではないですね。最後に夏帆が感じている一条の光のようなものは、正直、私にはまだ見えていないんです。 私の中では母が今や長編を読めないのをいいことに、これだけ母のことを勝手に書いてしまった、という罪悪感がとても大きくて、「ごめんね、お母ちゃん」という気持ちもあります。ただこうして、自分の半生を一つひとつ言葉に置きかえ、それに『放蕩記』と名前をつけ終えたことで、母とのことは、解決したわけではないけれど、一応、本棚にしまえる。母との間に起こったことは、子どもにとってはハードでしたが、でも大人になっても書けないほどのことではなかったでしょ、ってね。そう思えるようになったのは良かったですね。
- −−最後に、この作品をどう読んでもらいたいですか?
- 村山さん母に対してわだかまりがあったり、母を愛せなかったり、いわゆる理想の母娘とのズレを感じている人は、いっぱいいると思うんです。でも、それは決して罪ではないのだと。そう感じているのは自分だけではないと思って、少しでも楽になってもらえたらいいですね。そして男性には、母と娘の物語を通して「女って……」とため息をついてもらいたいなと思います(笑)。

- ★★★★★★一気に読みました。
テレビの新刊紹介で気になり 早速楽天ショップに注文しました。躾に厳しい母を持った作家本人の半自伝的小説です。とても興味く、どんどん読み進みました。 - ★★★★★満足!
テレビで作者を取り上げていて関心を持ち注文しました。愛読しています。





















