- 野口健(のぐちけん)さん
- アルピニスト。1999年エベレスト(ネパール側)の登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。
以降、エベレストや富士山に散乱するごみ問題に着目して清掃登山を開始。近年は日本兵の遺骨収集活動などにも力を入れている。
インタビュー
■このままでは、富士山は世界遺産からはずされる可能性がある
- --富士山が世界文化遺産になってから約1年が過ぎました。この時期に、本書を出そうと思った理由やきっかけなどをお教え下さい。
- 野口さん富士山は山梨、静岡の二県にまたがっていて、しかも8合目から上は私有地なんです。かれこれ10数年に渡って富士山を守る活動をしてきました。でもそれは世界遺産に登録するためではない。綺麗になった結果として世界遺産に登録されるのであれば嬉しいことですが、僕の目的は、あくまでも富士山の再生であり、未来永劫にわたり美しさが保持されることなのです。
でも、富士山周辺の政治や人間関係は実に複雑怪奇で、山を守るためのルール作りは遅々として進みませんでした。そして、ルールができる前に世界文化遺産になってしまった。あせりましたよ(苦笑)。そこで、改めて富士山が抱えている問題点を総ざらいする必要性があると感じて、本書の執筆に取りかかることにしました。 - --執筆にはご苦労もあったのでは?
- 野口さんこれまでにも数冊の本を出させていただきましたが、山に登った際の様子や経験談をまとめたものばかりでした。そうした本は、ブログやHPに書いたことをベースに、加筆するような作業が中心だったんです。ところが今回は、富士山に関わる役所関係者、政治家、レンジャーの方々など、思いつく限りの関係者の方々にひたすら話を聞き、問題点を探り出していく作業でした。関連施設の利権に関わる問題や、土地の所有権の問題などもあり、なかなか口を開いてくれない方もいましたね。
- --『世界遺産にされて富士山は泣いている』というタイトルはかなりセンセーショナルです。本書を読めば、富士山に関する問題がすべてわかりますか?
- 野口さん調べれば調べるほど問題が出てくるので「すべて」と言えるかどうかはわかりませんが、可能な限りの情報を盛り込みました。タブーにも切り込みましたよ。本を書くという作業は、講演やテレビ出演などに比べると、ものすごいパワーが必要です。声は流れて消えていきますけど、文章は文字で残りますしね。手間暇をかけて作り込むわけですから「表面上の問題だけを撫でたような本だったら出す意味がない」と思い、かなり深いところまで切り込みました。
- --取材活動をされた中で、野口さんが感じた問題点とは?
- 野口さん「厄介だな」と思ったのは、富士山に関する問題点を網羅しているセクションが存在しないということでした。清掃活動はこの団体、土地問題はこの役所、山小屋関連ならあの人……といったように、窓口がバラバラなんですね。当然、お互いに主張がありますから、ひとつのことを解決しようとしても簡単ではありません。なんとか管理を一元化できればいいのですが。
- --富士山は、ユネスコの審査機関・イコモスから、2016年2月1日までに世界文化遺産にふさわしい環境を保全するための計画書の提出を求められているそうですが、状況は芳しくないのでしょうか?
- 野口さんこのままの状況が続いたら、“世界文化遺産取り消し”といった事態も十分に考えられるでしょうね。本書にも書きましたが、ドイツのドレスデンは、実際に取り消し処分を受けています。富士山はアジアを代表する有名な山ですから、「“宿題”をクリアできなければ取り消しになる」と、広く知らしめるのなら格好の存在なんです。取材中に「このままの状況が続けば“見せしめ”にされる可能性は高い」と語る方もいました。
■富士山の裏事情を探ると、人間社会の縮図が見えてくる
- --富士山が、2016年2月1日までの宿題提出を課された“条件付き”の世界文化遺産だということは、世間ではあまり知られていません。
- 野口さん「世界遺産になった」という部分だけが独り歩きして、お祭り騒ぎになってしまいましたよね。ただ、これほどまでにみんなが喜んだということは、逆に取り消されたら相当なショックを受けるとも思うんです。私自身は、富士山の自然を守れるなら、世界遺産かどうかはどちらでもいいのですが、「取り消されたくない」という人たちに現状を知っていただくことで、ルール作りが加速してくれればうれしいです。また、長年問題から目をそらしていた関係者の方たちも、いまは向き合わざるを得なくなったと思います。締め切りがあるから頑張れる部分もあるはずなので、「2016年2月1日まで」と期限が決まったことは幸運だったのかも知れません。
- --「世界文化遺産」に登録された富士山ですが、「世界自然遺産」だと勘違いしている人も多いようですね。
- 野口さん元々は、自然遺産としての登録活動が行われていました。しかし、途中から文化遺産への登録に路線変更したんです。そういった経緯の影響もあって、間違った認識をされることもあるんでしょうね。富士山が「富士山 信仰の対象と芸術の源泉」という名目で世界文化遺産になったことも、あまり知られていないのではないでしょうか。このことも本に書きましたが、江戸時代の富士山信仰においては、頂上で御来光を愛でる習慣はなかったそうです。頂上から太陽を見下ろすのは不遜にあたると考え、9合5尺で御来光ならぬ「御来迎」として日の出を拝んだのだそうです。私自身、本書のために取材をするまでそういったことは知りませんでした。富士山について、知られていないことはまだ多いと思います。
- --本の終盤には“富士山レンジャーや登山鉄道が富士山を救う”といった話が書かれています。とても興味深く読ませていただきました。
- 野口さん問題を挙げるだけの暗い本にはしたくなかったので、富士山を守るためのヒントも示したかったんです。海外の国立公園ではレンジャーの方たちの存在は欠かせません。彼らは現場のリーダーとしてリスペクトを集めています。富士山でもレンジャー制度が充実すれば、登山者のマナーや意識向上に一役買ってくれるはずです。また、登山鉄道を5合目まで走らせ、マイカー規制と合わせれば排ガス問題を解消できます。同時に、乗車定員で登山者数をコントロールできることに。登山鉄道の実現は簡単なプロジェクトではありませんが、富士山を保全するための前向きな計画なので、ユネスコやイコモスから評価を得られるはずです。
- --鉄道で登山者数をコントロールするというアイデアに唸らされました。近年、夏場には30万人を超える方が山頂を目指しているそうですが、富士山はこの人数に耐えられるのでしょうか?
- 野口さん4000メートル弱クラスの山で、これほど多くの人が訪れる山は、世界的にも珍しいです。実際のところ、山小屋の収容人数やバイオトイレの処理能力を考えると、本来は20万人程度が限界なのではないでしょうか。2020年には東京オリンピックがあるので、その時期には海外からの登山者も増えると思います。それまでに様々なルールが整うといいですよね。
- --本書を読むと、富士山の知られざる表情が見えてくると思いました。
- 野口さん物事には常に、光が当たるA面と、裏事情が隠されたB面があると思うんです。今回、富士山を取材していく中で「富士山のB面は人間社会そのものだな」と思いました。利権や思惑が交錯してるので、なんらかの規制をするにしても一筋縄にはいかないんです。ただ単に環境問題に取り組むのなら、その相手は動物や植物ですが、「富士山を守る」となると、人間社会との関わりが避けられないのだと痛感しましたね。
- --山梨側は7月1日に、静岡側は7月10日に山開きされました。富士山に登る方に、野口さんからメッセージをお願いします。
- 野口さん本来、4000メートル弱の山に登るのは簡単ではありません。7合目あたりで高山病の症状も出始めますし。安全や健康を考えて、できればぶっつけ本番は避けてほしいですね。2〜3か月前には登山用の靴を用意して、ウォーキングや軽い登山で足慣らしをしてほしいです。そうすれば靴ずれも起こりにくくなります。肌着は、汗が乾きやすい速乾性のインナーがおすすめ。また、薄目のダウンジャケットはぜひ携行して下さい。たまにTシャツ・短パン姿の登山者を見かけますが、山頂は夏でも寒いので絶対にやめてほしいです。
- --練習をして、装備品を考えて登山に臨む……、そういった部分も登山の楽しみなんですね。
- 野口さんはい。私がエベレストに登るときは、スポンサー探しに始まり、6000メートル級、7000メートル級の山に登って練習し、現地でシェルパを探すといった過程を踏んでいきます。しかも、一気に頂上を目指すのではなく、麓と第1キャンプを何度も往復して体を慣らし、次に第1キャンプと第2キャンプを往復し、さらに第2キャンプと第3キャンプを往復し……と、徐々に高度を上げて、登頂までには約2か月を要するんです。もちろん、無事に下山して帰路につくことも大事。そうしたすべてのプロセスが登山の醍醐味だと思っています。富士山の場合、日帰りの「弾丸登山」も目につきますが、そういう人に限って、下山時はヘトヘトで、富士山をまったく楽しめていないように見えるので残念です。是非、準備から下山まで、じっくりと全過程を楽しんでいただきたいですね。
【取材・文】澤井一
- 内容紹介
- 2013年、「念願かなって」世界遺産に登録された富士山。しかし、この世界遺産登録は「条件つき」という真実は知られていません。このまま時が過ぎれば富士山は「世界危機遺産」に登録され、世界遺産登録を取り消される可能性も。日本の象徴であり、日本人の心の故郷は今、どんな事態に陥っているのでしょうか













