- ミッツ・マングローブ
- 1975年4月10日神奈川県生まれ。幼少期を横浜とロンドンで過ごす。慶應義塾大学卒。22歳の時に再びイギリスに渡り、ウエストミンスター大学へ留学。20代後半から、新宿2丁目でドラァグクイーンとして名を馳せ、2007年、東京丸の内にあるスナック「来夢来人」にママとして迎えられた。2009年頃からテレビを中心に人気を博し、2011年には歌手デビューも果たす。『うらやましい人生』は初めての単行本。
インタビュー
■ 私は「女のできそこない、男のなりそこない」。
- --40歳のバースデー、4月10日に出された『うらやましい人生』は、ミッツさんにとって意外にも初の単行本ですね。以前から、ご自身のことを書きたいと思われていたのでしょうか。
- ミッツさんもし需要があるなら書いても…と思っていなくはなかったのですが。もともと私は、積極的に自分のことを話すなんて、申し訳なくていたたまれないんです(苦笑)。だからたぶん、テレビ番組などで他人のことに茶々を入れるほうが向いていると思うんです。アドリブも実はあまり得意ではなくて、台本通りに話すとか、歌詞やせりふがあるほうがいいんです。ましてや公の場で自分の言葉を流すみたいなことは、本来苦手なんですけれど、その反面、すごく自意識過剰なところがあるんでね。「自叙伝なんて書けない」と思いながらも、堰を切ったように、この本を書いていた自分がいました。
- --本書を読んで、『うらやましい人生』というタイトルには「自分に正直に堂々と生きているミッツさんて、うらやましい」とよく言われることに対し、「それ本気?」という皮肉も込められているのだと分かりました。
- ミッツさんそう言いつつ、私は好きなことしかやってこなかった。たまたま、女装して歌ったり話したりすることに価値を見出してもらえ、仕事になっているから。だから、何となく仕上がりとしては「うらやましい人生ですね」という見え方なのでしょう。でも何かのきっかけで、その辺でのたれ死んでも見つけてもらえない人生もあるのかなと。明日明後日のことは、こういう生き方をしていたら正直、分からないですよ。だからこそ、好きなように生きている、ってところもあるのかなと思います。
- --「世の中の平均値とは、かけ離れた場所で生きてきた身としては、人生の“節目”というものに疎いことが、ずっと気がかりだった」とも語られています。40歳の節目に、ご自身の人生を振り返って書く過程はどのようなものでしたか。
- ミッツさん今、この本に書き忘れたことを思い出したのですが…私、母親に嫌われていると思うと、吐く子どもだったんですよ。小学校へ上がるまでには治ったのですが、厄介な子どもでしたよね。そういう気質は今も残っているのかなと…いや、吐く話がしたかったのではなく、そんなふうに自家中毒を起こすかなと思って書き始めたら、意外に大丈夫だったんです。
- --自分は「ゲイの落ちこぼれ」だと率直にご自身のことを述べられている一方で、「退屈からオネエブームは生まれた」など、世間を俯瞰した視点にもハッとさせられました。執筆する上で、それは意識したことですか。
- ミッツさんドカンと自分をさらけ出して成立する人と、緻密に作り上げる人がいるとしたら、私は絶対に後者なんです。バランスを見て、プロダクションとして完成した作品を世の中に出す。だから自叙伝とはいえ、読んでいる人の顔は思い浮かべて書きましたよね。文章にかぎらず、ミッツ・マングローブという存在が、どこか多角的に見えるようにすることは、どんな表現をする時も一番気を遣います。
- --自叙伝とはいえ、ご自身で演出していると?
- ミッツさん赤裸々に書いた上に、さらに衣裳を着せている感じですね。
- --『うらやましい人生』には少年の頃から慶應義塾高校、ロンドン留学時代のプライベート写真から、妖艶な女装姿の撮り下し写真までが収録されていますね。徳光修平さんとミッツ・マングローブさんは、今どれぐらいの割合でご自身の中に存在しているのでしょうか。
- ミッツさんミッツ・マングローブがかなり占めていますよ。“ミッツ・マングローブ”という一つの作品を世に送り出しているつもりが、ふと興味が無くなることも(笑)。だけど世間様が求めて下さるのなら、と思いつつ、自分でミッツ・マングローブを見た時に、「この人(ミッツは)面白くないよなあ」と思ったり。例えばユーミンのコンサートに行って、おこがましいんですけど、「あのステージにいるのが私だったら…」と想像するんですよ。すると「全然見たくない」って思う。
- --興味深いですね。そんなご自身が、テレビに引っ張りだこという状況をどうご覧になっていますか。
- ミッツさん私自身は客観的に見ています。そもそも「自分が求められている」とは思っていなくて、社会の中で、空きがあるところにたまたまはまったのかなと。「今この要素が足りないから、こいつを入れてみよう」って、そんな感じなのではないかな。そこに入る人間もお当番制で、めぐりめぐっていくものだと私は思います。
- --ご自身を“女装家”と呼ぶまでの経緯、女装愛についても綴られていますね。
- ミッツさん私たちマイノリティの打ち出し方って、テレビだと作り手側の欲しいように扱われがちなんですね。それはずっとひっかかているところもあり、そこであえて“女装家”と言ったところはあります。でもまあ、いいんですよ、別にどうジャンル分けされても。私の場合、海の者とも山の者とも分からない状態で、世の中の表舞台に担ぎ出された感じでもあったので。
- --本書には「マツコ・デラックスさんとの出会いは、実は最悪だった」というエピソードも書かれていますね。ご自身やマツコさんがメディアで活躍することで、同じマイノリティとしての悩みを抱える人の励みになると考えたりすることは?
- ミッツさん それは半々ですね。私たちのような存在が、逆の印象を助長させているんじゃないかっていう意識もあるし、そういう悩みは自分で克服しないと、という気持ちもあります。ただ、足を引っ張るよりは、何か役に立てたほうがいいとは思っていますけどね。
- --子どもの頃からずっと「普通でありたい」と思われていた、とも述べられていますね。まず「背が大きい」ことが嫌だったりと、同性愛者であること、女っぽいことで悩む以前から「もっとあたり前のことがままならない」と感じていたと。
- ミッツさん そうですね。結局、おこがましいんですよ。それは裏を返せば、それは自分に期待しているってことなので。そういうふてぶてしさはあります。普通になれないことが分かっていて、高校に入るぐらいで「もういいや」ってなったのに、でも「いつか普通になれるんじゃないか」って思っていたりするので。
- --複雑ですね。そこがまたミッツさんの魅力でもあるのだと思うのですが。それに、いろいろな理由で「自分は普通ではない」「社会からはみ出している」と、違和感やコンプレックスを抱えている人は多い気がします。
- ミッツさん そうでしょうね。そのはみだしていることが、何らかの武器になるのであれば、武器にしたほうがいいでしょうし。反対に、社会の枠の中に自分をはめないと、どうしても納得できない人もいるでしょうし。どっちも大変で、しんどいことだと思うんです。結局みんな、しんどいなって思いながら生きているのかもしれない。私はまず朝起きるのとか、しんどいしね(笑)。
- --人それぞれ、いろんなしんどさがありますね。最後に、ミッツさんが今後やってみたいこととは?
- ミッツさん何だろう…ちょっと音楽をないがしろにしてきた気がするので、音楽をやりたいけど、その分、他にいろいろやらせて頂いているので、そんな贅沢言うもんじゃない、とも。第一、何をやろうとか、自分で意識するとダメな気がして。目的に向かって直線を引いて進む人もいるけれど、私は漠然とさせておきたいんですよね。
■ 子どもの頃からずっと私の中にあるのは、「普通でありたい」ってこと。
【取材】 宇田夏苗
- 内容紹介
- 誰よりも「普通」に憧れた少年・徳光修平から、ミッツ・マングローブへ。慶應ボーイ時代、ロンドン留学、女装、オネエブーム、恋愛、音楽、芸能界のこと。そして、寄る辺なき存在として、一人生きることー。普通に幸せになんてなれない自分自身と、いま、ようやく向き合えた。40歳の節目、すべてを明かす初の自叙伝。













