- 岸見一郎 さん(きしみ・いちろう)
- 哲学者。1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの「青年」のカウンセリングを行う。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。訳書にアルフレッド・アドラーの『個人心理学講義』『人はなぜ神経症になるのか』、著書に『アドラー心理学入門』など多数。古賀史健氏との共著『嫌われる勇気』では原案を担当。
- 古賀史健 さん(こが・ふみたけ)
- 株式会社バトンズ代表・ライター。1973年生まれ。一般誌やビジネス誌で活動後、現在は書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、実用書、ビジネス書、タレント本などで数多くのベストセラーを手掛ける。2014年、ビジネス書大賞2014・審査員特別賞受賞。著書に『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、インタビュー集に『16歳の教科書』シリーズなどがある。
インタビュー
■ゼロをプラスにするための心理学
- ---- 2013年に刊行された『嫌われる勇気』は、アドラー・ブームを巻き起こしましたが、この状況をどうご覧になっていますか。
- 岸見さん 四半世紀前に研究を始めた当時、「アドラーの思想は半世紀先駆けている」と言われていました。ところが一向に世の中が変わらないので、ある時から「一世紀先駆けている」と言い始めたのです(笑)。ですが今、ようやく時代がアドラーの考えていた世界に近づいてきたと感じています。
- 古賀さん 長年、出版の仕事をしてきた僕にとって、100万部というのは大きな数字で、それを突破したら違う景色が見えるのかなと思っていました。しかし、こうして100万部に届いた現在も、アドラーを知らない人のほうがたくさんいる。まだまだ道半ばだなと感じています。
- ---- 『嫌われる勇気』の続編にして、「勇気二部作」の完結編となる本書を出されたのは、そうした思いからでしょうか。
- 古賀さん 最初から続編の構想があったわけではなく、アドラーの心理学の全体像については『嫌われる勇気』で示すことができたかなと思っています。ただ幸いにも本がヒットしたことで、さまざまなアドラー本が出版されるようになって。読んでみると「アドラーは嫌われろと言っている」とか(苦笑)、これは違うのでは?と思うものが結構あったんですね。注目された分、いろいろな誤解も出てきたわけです。そこで誤解を解くためにも、本作『幸せになる勇気』が必要だと思いました。
- ---- なぜそのような誤解が広がったのでしょうか?
- 古賀さん多くの人が、「何事にも正解がある」と思っているからかもしれません。学校では正解がある課題だけを勉強しますし、ビジネスの現場でもビジネス本を読んで、正解をとりあえず集める。子育てに関しても、さまざまな情報に振り回されているお母さんは多いですよね。
- 岸見さん実際にカウンセリングしていても、例えばお子さんとの問題に悩むお母さんが、「で、結局どうすればいいんですか?」と聞いてこられます。でも、その答えは自分で見つけるしかありません。
- 古賀さん岸見先生がおっしゃるように、アドラーの思想、あるいは哲学全般は、本来、正解のない課題に向かって行くものなので。アドラーに関する誤解を正すとともに、この2冊でアドラーについてはすべて語り尽くす形にしたいと思いました。
- ---- アドラーの心理学にはどんな特徴がありますか。
- 古賀さん例えばフロイトやユングの精神分析の考え方は、心の病を抱えた人をどうやってフラットな地点にまで戻すかという「治療」を重視しています。なので、クリニックで実践されているイメージがありますよね。一方、アドラーの場合、そうやってマイナスをゼロに戻すのではなく、“ ゼロをプラスに持っていくためアプローチ”という点が革新的であり、日常の中で語り合うことのできる心理学だと思います。
- 岸見さん 「心理学なんて必要がない」という人は多いですが、アドラーは「本当に幸せになるにはどうすればいいか」という人間の根本的なテーマを扱っています。いい学校、いい会社に入れば幸せだとは限らないですよね? ではどうすればいいのかと迷った時に、そうしたことは試験には出ないので、学校では学んでいないし、考える機会もほとんどないと思うのです。でも、社会の荒波に出たら、その問題に打ち当たることがあるわけで、アドラーの心理学はそうした基本的なことからしっかり見ていくからこそ、人々に求められるのだと思いますね。
- ---- 一方で「アドラーの心理学は実践するのが難しい」と言われるのはなぜでしょうか。
- 古賀さん 多くの人は受験や就職、結婚など、大きなライフイベントのことを「人生の試練」と考えて、そこに向かって努力しますよね? でもアドラーは「何でもない日々が試練」であると言っている。例えばこの取材で何を話すか、初めてお会いした人とどういう関係を築くかと言った小さな一つ一つが、すでに試練という。そういう意味で、毎日がまったく油断ならないものになるんです。
- 岸見さん でも本来、対人関係もそういう努力をしないと前には進めません。つまり、アドラーが言っているのは「毎日を丁寧に生きていく」ことでもあるのですが。「試練」を大げさにとらえるのではなく、自分の一言でお子さんの態度が少し変わったとか、ちょっとした変化に気づくことの積み重ねと考えれば、アドラー心理学を実践することはそれほど難しくないと思います。粘り強く丁寧に毎日を生き、人間関係を築いて、気づいたらずいぶん遠くまできたなと思えるのが、アドラーの心理学の面白さでもあります。
■「ありがとう」と語りかけることから始まる
- ---- アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と述べています。今はSNS上でも人間関係に疲れている人はとても多いですよね。そうした悩みから解放されるには、何から始めればいいですか。
- 古賀さん アドラーの心理学には「課題の分離」という考え方があります。つまり、人生のあらゆる物事について、議論になっている課題が自分に関係しているのか、もしくは相手のものなのかをしっかり切り分けて考えるということです。例えば、ネットで僕の悪口を言っている人がいたとします。彼らに対して僕がいくら反論しても、悪口を言っている人の感情まではコントロールできない。なぜなら、それは自分ではなく「他者の課題」だからです。もちろん他者をコントロールしたい気持ちはあるでしょうが、そこは「肯定的な諦め」を持つしかない。いまあるSNSだけでなく、今後もっといろいろツールが出てきて、対人関係はますます面倒くさいものになっていくでしょう。でも、いちいち一喜一憂せず、線引きをして割り切るしかないと思いますね。
- ---- 本書では、幸福になるためのキーワードとして「自立」と「愛」について語られていますね。そして「自立」を助けるのが「教育」であり、その際に「褒めてもいけない、叱ってもいけない」と。だとすれば、どうしたらいいのでしょうか。
- 岸見さん 簡単に言うと、「ありがとう」と言うことです。アドラーは30年前から「人同士が仲良く生きるためには、対等な人間関係を築くこと」だと述べています。以前、カウンセリングに3歳の子どもを連れてこられた母親がいました。その母親は3歳の子どもが1時間も静かに待っていられないと思っていたので、一時間静かに過ごせたので、帰る時に「えらかったね」と言いました。でも、大人が同じことをしても「えらかったね」とは言わないですよね? 子どもは大人と対等なので、褒めるのではなく「ありがとう」と言いたいのです。それによって子どもは親に役立てたという貢献感が持てて、自分に価値があると思える。結果、自分を好きになることができて、対人関係の中に入っていく勇気を持つことができます。
- 古賀さん そういう意味ではこの2冊の本も迷った時に開いて頂くのはいいですが、最終的には読者の方たちが本に頼らなくても一人で生きていけるぐらいに「自立」して頂くのが一番いいのかなと思いますね。
- 岸見さん 『嫌われる勇気』は地図で、『幸せになる勇気』はそれを実践して一歩踏み出すためのコンパスです。地図だけを見て道がわかったと思って、目を上げたらそこには思いもよらない風景が広がっていて、たちまち道に迷うということがあります。だから、地図だけではなく、コンパスも必要なのです。カウンセリングも、患者さん自身に見通しがついて前に進めるようになれば、終結させることが必要で、依存されるということがあってはいけないのです。だから、この本も忘れられるぐらいでいいのです。
- 古賀さん アドラー自身、自分が亡くなった後にアドラー派が存在していたことが忘れられて構わないと、人々の考え方の中に残りさえすればいいと言っていますから。
- ---- 最終的に「忘れてほしい」という本というのは画期的ですね。あらためて、読者の方たちに伝えたいこととは?
- 岸見さん 長年、アドラーの研究をしながら「こんな革新的な考え方が世に出ないはずはない」と、いつかこんな日が来るだろうと確信していました。ですから、こうして注目されるのは、意外ではない気もしています。親子にかぎらず、相手を叱らない、褒めないといった、対等の関係を築く。アドラーの心理学がより理解されることで、安直に力を使わず言葉を使って問題を解決できることがコモンセンスになる時代になることを願っています。
- 古賀さん 1回目に読む時は青年の、2回目は哲人の側に立ってみると、もしかしたら新たな気づきがあるのかなと。この本を忘れる前に(笑)、2回は読んで頂けたらと思いますね。
【取材】 宇田夏苗