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| 『ハル、ハル、ハル』 古川日出男 河出書房新社 1,400円 (税込 1,470 円) |

| 『サマーバケーションEP』 古川日出男 文藝春秋 1,714円(税込:1,800円) |

| 『僕たちは歩かない』 古川日出男 角川書店 1,200円(税込:1,260円) |

| 『サウンドトラック(上)』 古川日出男 集英社 571円(税込:600円) 『サウンドトラック(下)』はこちら>> |

| 『アラビアの夜の種族(1)』 古川日出男 角川書店 514円(税込:540円) 『アラビアの夜の種族』全3巻はこちら>> |

| 『ルート350(サンゴーマル)』 古川日出男 講談社 1,500円(税込:1,575円) |

| 『LOVE』 古川日出男 祥伝社 1,600円(税込:1,680円) |

| 『ベルカ、吠えないのか?』 古川日出男 文藝春秋 1,714円(税込:1,800円) |

| 『Gift』 古川日出男 集英社 1,300円(税込:1,365円) |

| 『ボディ・アンド・ソウル』 古川日出男 双葉社 1,600円(税込:1,680円) |

| 『沈黙』 古川日出男 角川書店 952円(税込:1,000円) |

| 『13』 古川日出男 角川書店 800円(税込:840円) 古川日出男さんの全作品はこちら >> |

| 『マルホランド・ドライブ』 監督: デヴィッド・リンチ 出演: ナオミ・ワッツ/ローラー・エレナ・ハリングほか 「リンチの傑作映画。DVDで買っておいたほうがいいと思いますね」 |


| 『GO TO THE FUTURE』 サカナクション BabeStar(ビクターエンタテインメント株式会社) 「最近聴いて気に入ったバンドです。CDは直感で買います。視聴はしません。ハズレでも気にしません。面白いと思えるまで何度も聴きますね」 |
──『ハル、ハル、ハル』に収録された三篇のうち、最初に収められた表題作の冒頭で、「この物語はきみが読んできた全部の物語の続編だ」と読者に対して直接語りかけますね。 古川さん 読者に常に一対一で語りかけたいんです。本を読んでいる人はいつも一人で読んでいますよね。二人で同時に読書はできない。例えば音楽だったら、彼と彼女がヘッドフォンを片方ずつ分けて同時に聴けるけれど、小説は作者と読者が一対一の関係になる。 いま読んでいる君のために書いているんだよ、僕が直接語りかけているんだよ、という姿勢を見せつけたい。「オレとキミがヘッドフォンでつながっているんだよ」という意思表明です。 ──収録された作品は「文藝」に掲載順に三回にわたって連載されていますが、内容についてはあらかじめ構想があったんですか? 古川さん 三回ということは最初から決まっていましたが、内容については決めていませんでした。 僕は生きながら書いています。生きているっていうことは、半年たてば、自分がどんなふうに変わっているかわからないってことで、変わっていていいと思う。 二作目は 一作目の「ハル、ハル、ハル」を引き受けて、その後の変化したかもしれない著者の自分が、どんな内容になるのかをあらためて考えて書いたものです。 二作目はきっと一作目と違うものになるから、三作目は一作目とも二作目とも違う。だけど、三作目を読むと、一作目に戻れるような本にしたいとは思っていました。 ──三篇はいずれも現在形で書かれ、過去ではなく「現在」を小説でお書きになろうとしているということが伝わってきて、興奮させられます。小説は終わったことを記述している「過去形」のものが多いですよね。 古川さん 「過去形」で書かれるということは、結果としてほとんどの場合、「記録」になってしまう。 「記録」になったら、読んで「ああ、江戸時代はこういうことがあったのか」と思うってことで。そうではなく、「オレはお侍だ!」と、お侍になれるのが小説だと思う。小説は、読んだことで何かが読者の身に起きる、という体験であるべきだと思います。それがたぶん、『ハル、ハル、ハル』の三作品に共通する「疾走、疾走」というキーワードになっているんだと思います。 いいオープニングといいエンディングに挟まれて、安定した世界があることがいい小説である、というスタンスがこの100年くらいあると思うんですが、僕は嫌ですね。 そんなスタンスがあるくせに、国語の試験の問題になると、小説の一部分だけ取り出して、「このときの主人公はどう考えたか答えよ」と問う。お前ら、ダブル・スタンダードだ! みたいな気持ちになります。 だったら、僕はこの小説の中から一部分を抜き出して、「このとき、この登場人物はどう考えたか答えよ」という問いに、100人がいたら100人が違う答えをして、なおかつ全員正解になるような小説を書いてやる! と思いますね。 小説には始まりも終わりもあるけれど、同時に始まりも終わりもない。もし、僕の小説を読んでいる途中で君が死んだら、最後に読んだ一行がエンディングだ。それを作者として認めよう。 そこまでの覚悟を持ちたいな、と思います。 ──だから、『ハル、ハル、ハル』はどこへいくかわからないんですね。一作目の「ハル、ハル、ハル」に「犬吠崎」が出てきます。でも、それが、よもや、三作目の「8ドッグズ」で「八犬伝」に関わっていくとは、読者は誰も思わないと思うんですよ。古川さん 思ってなかったですね、作者である僕も。 ──行くとは思っていないところに行くってことは、なんて面白いんだろう、と思ったんです。そういうライブ感がある小説なんですね。 古川さん 最初から緻密なプロットを立てて書いた小説だけが褒められる、というのがおかしなことだと思うんです。 達成すればOK、みたいな。採点して、ダメなところを減点していくような。 そうじゃなくて、あんたたちから見れば減点対象だらけで100点は取れないけれど、僕から見れば、この一個が凄いところがあるから120点。それってアリだと思うんです。 「生きる」ということに関していえば、「死んだら終わりで、それがエンディング」と言いましたけど、そもそも「生きているってことはスタート地点が見えない」んですよ。 なぜなら、僕らは最初の記憶を持っていないから。いつの時点でどう記憶を持ち始めるか、あるいは、記憶を持ってどう世界と関わっていくかは、実はすごくゆっくりです。自分の周りと世界とコミットし始めて、過去があるんだ、とはっきりとわかるようになるのは十歳を過ぎてからですね。 始まりはないけど、始まりは確かにあって、終わりもないけど、終わりも確かにある。 生きているってことはそういうことだし、小説がそのことを書けなかったら、小説は「生命」を書けないということになっちゃう。だから僕は小説でそのことを書きたいですね。 ──『ハル、ハル、ハル』を読んでいると、「わからないけど面白い」と感じる瞬間があります。「わからなくちゃいけない」というプレッシャーは表現者の最大の敵ではないでしょうか? 古川さん そうですね。 書いている僕だってわからなくて書いているところがいっぱいあるんですよ。そういう作家がいるってこと自体がなかなか認められなかったですからね。 このフレーズの意味はわからない。でも、このフレーズでなければならないってことはわかる。それが小説を読むということだと思うんです。 音楽だったら、この音色はここに入れると気持ちいいから入れよう。それがコード的に合っているとか間違っているとか、そこに意味があるのか考える前に「いいから聴けよ」って言える。でも、小説の場合は、意味があるのかないのかというところで、そこで止まってしまう。 『ハル、ハル、ハル』を読んでくれた人が、「意味がわからないところもあったけど、そのまま読んじゃった」と言ってくれるのは嬉しい。止まらずに読ませたいんですよ。 ──わからないことを恥ずかしがらなくてもいい。 古川さん そうです。 僕自身、「わかっている」奴がえらそうにしている世界が嫌いなんです。 ──『ハル、ハル、ハル』のような現在形の小説もお書きになっている一方で、古川さんは、『アラビアの夜の種族』や、現在も継続してお書きになっている「聖家族」シリーズなど、スケールの大きな、緻密に作り上げられた世界も小説でお書きになっていますね。 古川さん 『ハル、ハル、ハル』を読んでくださった方から、「今までの小説のルールを無視していていいんだ、今までの読み方を捨てていいんだと感じられるからすばらしい」と評価していただけるのは嬉しいと同時に、危惧も感じますね。例えば、小説を書き始めたばかりの十代の作家が『ハル、ハル、ハル』のような小説を書いても、それは無力で無効だと思うんです。 小説という形式の特性とその歴史を踏まえたうえで、小説にどんな弱点があるかとか、だからもっとこうすべきだ、と考えていかないと完成度の高い小説は書けないと思います。 つまり、『ハル、ハル、ハル』は、一見、初めて小説を書いた人の作品のように見えますが、実はまったく違うからです。だからこそ、僕は『ハル、ハル、ハル』を書くことで、小説には真の自由があるんだってことを告げられるんじゃないかと思ったんですよ。 同時に、『ハル、ハル、ハル』のような作品ばかり書いていると、「古川はきっちり構築した小説は書けなくなっているぞ」と言われるかもしれない。そうしたら「お前ら、それは俺を甘く見てるって」と、緻密に構成した大長編を書いてやる(笑)。 常に交互に三つくらいのことを繰り返しやることで、小説の読み方はあなた自身が選び取ればいいんだ、と読者に伝えたいですね。 なぜなら、読書することによって生き延びる力を与えられると僕は思っているんですよ。 ──『ハル、ハル、ハル』は三篇とも犯罪が絡んでいます。ユーモラスなものもあれば、シリアスなものもありますが、犯罪をモティーフにされたのはなぜでしょう?古川さん もっとも日常にあふれていること、だからですね。 テレビを見るときにわれわれが与えられているもっとも多くのものは、犯罪とお笑いです。僕らの生活はその二つに包囲されているのに、それを小説で書くと、犯罪を描けばミステリーに分類される。ユーモアを書けばふざけていると言われるか、ユーモア小説とレッテルを貼られる。 つまり、小説はもはや現代を描けないメディアになってしまった。 だからどうした、ということではなく、僕が自分でやってみればいいことだから、やってみせた、ということですね。 ──おっしゃるとおり、ユーモアも悲劇も、犯罪も、人の営みの中にある等価なものとして表現されていると感じました。 古川さん 無理に入れたユーモア、あったほうがいいからいれようとした事件。それらはすべて無効です。無理やり入れたものはすべて無効になるんですよ。 たとえば二作目の「スローモーション」は、主人公が誘拐事件に巻き込まれます。犯罪と無関係の人間が、突然、巻き込まれてしまう。 なんて言うのかな……これは比喩なんだけど、それと同じように、初対面の人と話してうまく場がつなげるのは、話がうまく転がったときですよね。いきなり自己紹介を詳細にされても、仲良くなんかなれない。 人が世界と本当に接触している瞬間にどんなことが起きるのか? 僕はそのことだけを書こうとしているのかもしれないですね。それも、最初から意識していたわけではなくて、言葉をローリングさせていったら、そういうところだけが出てきたような気がします。丸かった石が転がっていくうちに、あちこちにぶつかって凸凹になっていくように。 自然にできた凸凹が、見てみたら意外と見事な彫刻になっていた。削られたものを見たら、そこにユーモアや犯罪があった。 最初からこういうかたちのものを作ろうとしたのではなくて、終わってみたらこういうかたちになっていたんだと思います。 ──転がり始める前の岩が古川さんの中にいくつもあるんですね。 古川さん ありますね。『ハル、ハル、ハル』の場合は、タイトルとか一行目が出てきたときに、うわっと身体の中から出てきたという感じです。 ──古川さんは小説の執筆のほかにも、「朗読ギグ」と名づけられて、作品の朗読をライブハウスで行ったりしていますね。小説家である古川さんが朗読をされているのはなぜでしょうか? 古川さん 僕は朗読するときに言葉がその場で生まれていると思っています。たぶん、聴きに来てくれる方たちもそう感じていると思う。 僕は自分が書いたものも、ほかの人が書いたものも音声化しますが、声を上げる瞬間に、その文字と自分という存在というか媒体の間に火花が散って、初めて声になる。つまり、何かが誕生する瞬間にオーディエンスに立ち会ってもらっている気がしている。それをやりたいんです。 小説を書いているときには、いつも誕生しています。でも、読者は誕生してしまった文字を後から読むだけ。言葉を誕生させている瞬間に読者にもぜひ立ち会ってほしいんです。 すでに書いてしまった言葉であっても、僕という作家ならば、いま、この場で別な形で言葉が誕生する瞬間をもう一度お見せできる。ある日、そう気づいたんです。 やってみたら、まさしく、みんながそう感じてくれた。だとしたら、やり続けるべきだろう。だから、これからも続けていきたいと思っています。 ──これからも刺激的な作品、活動を楽しみにしています。今日はありがとうございました。
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