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| 1937年、世界一周に挑んだ女性飛行家の大冒険ラブストーリー |
| 『翼をください』 |
| 絵馬に書いた願い事が…第1回『日本ラブストーリー大賞』大賞受賞作品 |
| 『カフーを待ちわびて』 |
| 『カフーを待ちわびて』から3年。奄美諸島の離島が舞台のサイドストーリー |
| 『花々』 |
| 忙しさの中で見落としている「贈り物」をあなたへ。珠玉のショートストーリー。 |
| 『ギフト』 |
| 家族と、友人と、恋人と。壊れかけた家族を映画が救う、感動の物語。 |
| 『キネマの神様』 |
| 範子、陽菜子、麻理子、咲子…揺れ動く女性たちを描いた感動小説集 |
| 『ごめん』 |
| 辛くなったら、ここへ戻っておいで。風と愛情にみちた、ヴァカンス・ストーリー |
| 『さいはての彼女』 |
| 誰かを好きになると世界が変わる。若い恋の“決定的瞬間”を切り取るストーリー。 |
| 『おいしい水』 |
−−執筆のきっかけは?
原田さん 以前、森ビルに勤めていたころの同僚に、飛行機が大好きな矢部俊男さんという方がいて、その彼に「飛行機の小説を書かないか」と誘われまして。もともと私は、恥ずかしながらニッポン号も飛行機の歴史もメカニズムも一切知りませんでした。「そんな私になぜ飛行機の小説を?」とも思ったのですが、あまりに脈絡がなさすぎて、かえっておもしろかったんです。聞けば矢部さん、仕事で毎日新聞社さんとお付き合いをしていたときにニッポン号を知って「これはすごい」と金脈を掘り当てたような気分になって、小説かドラマか、とにかく何かメディアで展開すべきだと考えたそうです。そんなときに私が「カフーを待ちわびて」で小説家デビューして、それで声をかけてくれたそうです。飛行機とは全然関係のない、沖縄のゆるゆるしたラブストーリーでデビューした私に(笑い)。 −−それにしては、飛行機の仕組みや飛行中の操作の描写など、かなり細かく描かれていますね。 原田さん 物語を書いたのは私ですが、『翼をください』は一つのプロジェクトとしてチームで動かしていきました。矢部さんのほかに外資系広告代理店に勤める岩井俊介さんという飛行機オタクの方に参加していただいて、この2人が両翼のエンジンのようで、本当によく飛ばしてもらったという感じです。最初は所沢航空記念公園(埼玉県)に連れていかれ、紙を使った小学生レベルの実験で飛行機が飛ぶ理由を学びました。世の飛行機オタクから突っ込みを入れられても大丈夫なように、2人の意見を聞きながら、できるかぎり調べて、機体が左を向いたら翼はどう傾くのかなど、紙飛行機を作ってシミュレーションしたりもしました。 −−史実とフィクションを織り交ぜるという構想はどこから? 原田さん 私が第1回ラブストーリー大賞でデビューしたということもあり、ニッポン号の話でありながら、女性パイロットが出てきて、多少のラブロマンスがあって、ヒューマンドラマにしたらいいんじゃないかというのが、矢部さんの頭にあったようです。確かにニッポン号の話だけだったなら、私はこの小説を書かなかったかもしれません。ちょうど同時代にアメリア・イアハート(注1)という女性飛行家が実際にいて、世界一周に挑戦していたので、彼女の史実とニッポン号の史実を融合させ、女性飛行家が主人公の物語にしたら、おもしろいと考えました。 −−アメリア・イアハートをモデルにした登場人物、エイミー・イーグルウィングのたくましさが印象的です。 原田さん 小説を書いていく上で、女性を元気づけるというのが、私自身のテーマなんです。小説を書き続けていく限り生涯を通して、女性を応援するというのが自分の使命だと思っています。今は女性でも男性でも関係のない時代ですが、戦前はそうではありませんでした。私が今まで書いてきた作品の中にも、現代社会の中で自分たちの生き方や人生などを通して、戦う女性がいましたが、戦前はその比ではありません。そういう時代があり、アメリアのような女性の戦いの積み重ねの上に今があるということを、若い人たちにも伝えたいと思いました。だから物語には、エイミー・イーグルウィングとともに、現代の女性の代表として青山翔子が登場します。昔はこんな時代だったと終わらせるのではなく、今の時代にもつながっているんだと、読者のみなさんに認識してもらえればと思いました。 −−第二次世界大戦ぼっ発直前直後の緊迫した国際情勢の下、軍用機を転用したニッポン号は世界一周に挑みます。 原田さん たしかにニッポン号の原型は軍用機ですが、おおもとは偵察機として開発されたものでした。作中では純粋に偵察機として開発されたものを民間に転用したと論理付けました。ここは重要な点です。これまでニッポン号については、爆撃機が親善飛行を行ったような言われ方をすることがありましたが、それを変えようと意識しました。実際にニッポン号を開発した三菱重工の当時の技術者に取材し、戦前の資料もひもとき、爆弾を落とすために開発されたものではないと突き止めました。ですからニッポン号の世界一周は純粋に平和のための飛行で、軍用機を各国に見せつけるために飛んだのではありません。今年は世界一周から70周年ですが、例えば100周年を迎え、もしどなたかがニッポン号のことを書こうとしたとき、この小説が定本になればいいなと思います。そのためにニッポン号乗組員のご遺族や技術者にも多くのお話をいただきました。 −−史実をモデルにした小説は初めてでしたが、振り返ってみていかがですか。 原田さん 初めのうちは、あまり30年代の歴史に詳しくない私が、しかも飛行機の世界一周の物語を描けるのかと思いました。けれど書いていると、女子の中にある男子的な血というか、男子が興味のありそうなことに女子が「萌(も)える」ような、そんな感覚は誰にでもあるんだと思うようになりました(笑い)。また、硬派な物語の中にエイミーというすてきな女性が出てきて、山田順平が胸をときめかせるというような、わりと柔らかい部分もあり、その組み合わせが楽しかったりもしました。私の中で、エイミーは「風の谷のナウシカ」のナウシカみたいな感じです。すごく美人で心優しくて、世界平和を望んでいるけど、戦う時は戦う。オタクの方もきっと彼女に「萌える」はずです(笑い)。 −−読者に一言お願いします。 原田さん 30年代という難しい時代に、大空に挑戦した人たちがいました。そしてニッポン号の世界一周は、立ち寄った国々の日系人を勇気づけました。そういう胸を躍らせる冒険物語がかつてあったということを、不況で閉塞(へいそく)感に包まれた今だからこそ知ってほしいと思います。作中、ニッポン号は8人の乗組員のチームワークで世界一周を成し遂げますが、私自身もチームのサポートのおかげで、この小説を無事に書き上げることができました。人間は一人ではない、みんなで力を合わせれば、すごく大きな力になるということを、この小説を通して感じていただければうれしいです。 (注1)アメリア・イアハート 1897年、アメリカ・カンザス州生まれ。女性として初めての大西洋単独横断飛行などを成し遂げたが、37年に世界一周飛行の途中、南太平洋上で行方不明になった。 |