- 平野啓一郎さん (ひらの・けいいちろう)
- 作家。1975年愛知県生まれ。京大法学部卒。1999年『日蝕』で史上最年少タイ芥川賞受賞。著書は2002年発表の大長編『葬送』をはじめ、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『モノローグ(エッセイ集)』、『ドーン』ほか。2005年、文化庁の文化交大使としてフランスに1年間滞在。2010年はショパン生誕200年ということもあり、ショパン関連のテレビ出演、著述なども多数。
インタビュー
- −−今回の作品は初めての新聞連載ですね。これまでの作品とは取り組み方も違ったのでしょうか?
- 平野さん今まで月刊ベースでの連載は経験あったんですけど、毎日連載するっていうのは想像がつかなくて。長編小説をできたところから発表するっていうのは、作曲家でいうと交響曲をできあがった四小節ずつ発表していくのと同じだと思うんですね。今回は連載前から全体の話はほぼできあがっていたので、細部は書き進めながら考えていきました。2週間分くらいまとめて書いて、毎回、次の日も読みたくなるように、ちょうど気持ちの悪いところで切るようにしてましたね(笑)。
- −−小説を出版するにあたって、新聞連載時からかなり改稿されたそうですね。
- 平野さんプロットは新聞連載と同じなんですが、2〜3回、大がかりな改稿をしました。新聞連載時よりも登場人物のキャラクターをより色濃く出すようにしました。僕の場合、書き進める作業はそれほどストレスがないんですが、全体をコントロールしながら改稿する作業が精神的にはきついんです。作家生活10数年にして初めて気がついたんですが、書いてる時は太る。改稿作業が始まると痩せる(笑)。でも書いてる時間のほうが長いから、最終的には少し痩せるだけなんですけどね。
- −−平野さんの著作というと少し難解なイメージがあるんですが、今回は普遍的な「愛」をテーマにしたご自身初の純粋な恋愛小説ですね。
- 平野さん僕自身の中では、これまでやってきた仕事には連続性があると考えています。『決壊』では主人公が自殺しそうになるところで終わるんですが、僕も読者もそこから何を信じて生きていけばいいのかと絶望的な気持ちになった。だから、『ドーン』に引き続いて、今回の作品でも、今の複雑な世の中にとって何か意味のある価値観、人が活き活きとこの世界を生きてくための価値観とは何なのかを考えたいと思ったんです。今の社会はどんどん合理的になって来ていて、人間の繊細な感情や複雑な部分が切り捨てられている。そういう硬直化したものをぐっと揺さぶる、揺り動かすっていうのも一つ小説の役割だと思うんですね。それで、『ドーン』でも書いたんですが、人が人を好きになる、人と一緒に生きて行くというのはどういうことなのかを、「愛」の定義から、もう一回考え直したかったんです。
- −−小説には男女の愛、親子の愛、その他さまざまな「愛」が描かれていて、誰しも自分に重ねる部分があると思います。
- 平野さん そうですね、「愛」って何だろうってことをもう一度考えながら読んでもらえるとうれしいですね。小説でも書いたんですけど、恋愛って「恋」「愛」って書きますけど、恋と愛を一回分けて考えるとこから始めたんです。「恋」っていうのはドラマティックで小説に描きやすいんですが、一旦関係が落ち着いてからどうやって気持ちを持続させていくのか、という「愛」の部分を考えたかったんですね。
- −−「愛」を「なくてもいいもの」と考えていた主人公が最終的に見つける愛の形……、あれは平野さんご自身のお考えですか?
- 平野さんあれは僕が『決壊』以降ものすごく複雑な経路でたどりついた結論なんですけど、考え方自体はものすごくシンプルですよね。今までみんなあまりにも「愛」について、「相手を愛すること」を強調しすぎたと思うんです。僕自身が愛されることを想像したときに、無償の愛、すべてを投げ打ってまで尽くす愛って、うれしいかって考えたらそうじゃないなと。その相手が、他の誰といる時よりも、自分といる時にこそ、一番輝いている、それが愛の理想形かなと僕は思ったんです。もちろん、僕が一番輝けるのも、その相手の前にいる時であって、お互いにそういう状態がいいなと。
- −−絶望の淵に立たされていた久美子が愛によって自分を取り戻していくラストシーンも印象的です。
- 平野さん僕もあそこにたどりつきたかったんです。『決壊』では主人公が破滅してしまう。人間が自殺せずに生き続けるためには、やっぱり自分のことを好きになるしかないと思うんですね。でも自分を好きになるって、ある意味では誰かを好きになるよりも複雑なこと。それで『ドーン』では、「個人」が複数に分化した、「分人(ぶんじん)」という考え方を提唱したんです。人間は会う人ごとに色んな自分があって、全部が本当の自分、という考え方です。「自分を愛しなさい」っていうと難しいけど、あの人といるときの自分は好き、という風になら考えやすい。 そういう意味では相手を好きだっていうだけではなくて、その人といるときに生きてて楽しい自分だなと思えることが、人が一緒に生活したり長い関係を維持する上で大事なのかなと思ったんです。
- −−今回のお話ではヒロインの久美子が事故で足を失い義足をつけることになりますが、「義足」をテーマにした理由は?
- 平野さん『決壊』、『ドーン』とインターネット社会の問題を色々書いてきて、生身の人間同士の関係、人間の肉体というものに関心が戻ってきたんです。それと……、僕自身も理由がわからないんですけど、昔から体の一部分がなくなることに興味があって。大事なものがなくなったときに人間はどう考えるのかっていうのもテーマのひとつでしたね。
- −−義足についてはかなり取材も重ねられたんでしょうか?
- 平野さん 僕は小説を書くときかなり取材するほうで、今回も、リハビリ科の先生だとか、個人の小さい装具屋さんとか、南千住にある「義肢装具サポートセンター」などにお伺いしました。その過程で僕自身も義足の方に対する印象が変わっていったところがあって。最初は失くした足を取り戻したいという気持ちで、義足を本物の足に似せよう似せようとするらしいんですが、義足を段々グレードアップして、愛着が湧いてくるうちに逆に見せたくなるらしいんです。個人差は勿論、あるでしょうけど。小説に出てくる義足のモデル「エイミー・マリンズ」のことも書いてる途中で知ったんですよ。だから僕の心の動きは、義足をデザインする相良と重なってるんです(笑)。
- −−作品を読んでいると、主人公である相良(あいら)には平野さん自身がかなり投影されているように思えます。
- 平野さん まあ、少しは似てる部分もあるかなあ(笑)。僕ってあまり人が共感しないような人に興味があるんですよ。今回も相良と久美子には個人的な共感を持って書き始めたんですけど、自分と近すぎるところがあって、自分のことを「僕はこんないい人間です」って言いにくいのと同じように、彼らの魅力を新聞連載のときにもう一つ書ききれなかった。で、よくわからないとか、冷たいとか言われるうちに、段々彼らを弁護したくなってきたんです(笑)。それからは改稿作業がスムーズになって、小説では彼らの人間性を連載時より自然に前に出せました。
- −−今回は、小説の中で主人公たちが食べる食事もなぜか印象に残っています。個人的には「リーペリンソース」が美味しそうだな…と(笑)
- 平野さん 「リーペリンソース」は昔バイト先のまかないで出てたんですよ。実は僕、これまで小説の中で登場人物が食事するシーンをあまり書いてこなかったんです。だけど「葬送」で、ドラクロワがコーヒーにショコラを混ぜて飲む場面をほんの数行書いたんですね。それをショパンに教えるんですが、そしたら、特に女性読者ですけど、会う人会う人「私もやってみました」とかそのことばっかり言うんです。2500枚もの大作で、もっと読みどころはあるはずなんですが(笑)。食事っていうのは日常のことだから人の意識に残りやすいのかなと。だから今回はいつもより登場人物が色々食べてるんですよ。
- −−小説には華やかなシーンも多く、読んでいると映像が目に浮かんでくるようでした。
- 平野さん 今回は体のことを扱っているので、目で見えるようなイメージが最初からありました。作品の流れに明暗、コントラストをつけて全体として「陰翳礼讃」みたいな話にしたかったんです。映像化の話がきたら……そこはご相談で(笑)。ただ、登場人物は実在の芸能人をモデルにしてるんじゃないか、ってよく言われるんですが、特定の誰かというのはありません。冒頭の事件が特にそう思わせるみたいですが、あれは、僕が連載を始めた書いたあとに起きたんです(笑)。確かに似てるなとは思いましたけど。
- −−今回はご自身初の試みとして電子書籍版も同日に発売されます。村上龍さんらが電子出版の会社を起こされるなど、出版業界に大きな変化が起きようとしていますね。
- 平野さん 僕自身は一作家として淡々と世の中の流れにしたがっていくしかないと考えています。今回もたまたま本を出すタイミングでアンドロイド系の端末が出揃うという話だったので。音楽を聞く手段がアナログレコードからCD、ダウンロードと変遷していったように、こればっかりは読者の好みに合わせていくしかないと思ってます。ただ、僕自身は出版業界に長くお世話になっているし、長く蓄積されてきた出版文化は非常に大切なものだと思っているので出版業界がうまく生き残れる形で存続していってほしいなと思いますね。
- −−今後の作品の方向性などは決まっていますか?
- 平野さん 『決壊』、『ドーン』、『かたちだけの愛』と、基本的にはリアリズムに基づいた書き方の作品が多かったので、次の作品はもっと寓話的というか、非現実なことを含めながらもう一度現実の問題を考えていこうと思っています。現実に即した書き方だと書ききれない問題もあるんですよね。今後しばらくそういうやり方を試そうかなと。話はもうできあがっているんですけど…『かたちだけの愛』の改稿に思いのほか時間を取られてしまって、手つかずです。
- −−最後に…、小説の中で相良が「デザイナーの至福」について考えるくだりがありますが、平野さんにとって、小説家の至福とは?
- 平野さん 人間の活動すべてに言えることかもしれないんですが、作品を作ることそのものよりも、本当は作り上げた作品が自分の手を離れたところで人を幸せにしているのが理想なのかなと。愛の話とも通じるところがあるんですけど、僕の本を読んで僕が好きです、僕の本が好きですって直接言ってくれるのもうれしいんですが、読んだ人が勝手に元気になってるのを見るのも喜びかなと思いますね。
- −−本日はありがとうございました!
















