- 池澤夏樹さんさん (いけざわ・なつき)
- 1945年北海道生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。『スティル・ライフ』で中央公論新人賞、第98回芥川賞を受賞。『キップをなくして』に先立つジュブナイル小説『南の島のティオ』で小学館文学賞、『母なる自然のおっぱい』で読売文学賞、『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、『楽しい終末』で伊藤整賞、『ハワイイ紀行』でJTB出版文化賞、『花を運ぶ妹』で毎日出版文化賞、『すばらしい新世界』で芸術選奨、『言葉の流星群』で宮沢賢治賞をそれぞれ受賞。『イラクの小さな橋を渡って』『憲法なんて知らないよ』『静かな大地』などの著作活動全般について、司馬遼太郎賞受賞。『パレオマニア』で桑原武夫学芸賞。作家・詩人としての著作活動のほか、テオ・アンゲロプロスの映画字幕でも知られる。9.11以降はメールマガジンでの社会評論も話題に。
- 公式HP:http://www.impala.jp/
インタビュー
- −−キップをなくしたら駅から出られなくなるという発想がすごいと思いました。
- 池澤さんでも、親に言われなかった? 「キップなくしちゃだめだよ、駅から出られなくなっちゃう」よって。すべての子供が言われることなんだよ(笑)。
- −−たしかに、キップをなくすことに対する恐怖感ってすりこまれてますね(笑)。でも、『キップをなくして』の中の子供たちは実に生き生きと楽しそうに暮らしています。
- 池澤さんキップをなくさせないために、親が子供に対する脅しとして「なくしたら駅から出られないよ」って言うんだけど、それを逆手に取って、本当にそうなっちゃったら? という考えから出てきた話なんですよ、これは。キップをなくした子ばかりの特別なコミュニティーがあって、みんなで仲良く楽しく、駅弁ばっかり食べてたらって(笑)。
- −−男って子供の頃はたいてい鉄道が好きですけど、池澤さんご自身は?
- 池澤さんそれはもう、熱烈でした。時代もあるんだ。1945年生まれでしょ。戦後すぐの時代に、北海道の帯広ですから、テレビはもちろん映画は見たこともないし、本もままならない。自分が3〜5歳の頃、自分が知ってる範囲で一番立派ですごいものは汽車だったんですよ。それはもうダントツに。クルマはほとんどないし、馬はいっぱいいたけど、いて当たり前でね。 駅に行くと、汽車が轟音とともに入ってきて、音はすごいし熱いし機関車は複雑なかたちをしているし、しかもそれが動く。線路が遠い町と自分の住んでいる町を結んでいる。線路にしたがっていくだけで、見知らぬ町に着く……想像力を刺激されるんですよ。 一番最初に、お前、大きくなったら何になるの? っておばあちゃんに聞かれて「汽車のかまたき」って(笑)。 理想の職業。ゴシックの大きな教会に行って感動した子供が、神様ってすごい! と思って、大きくなったら神父さんになろうと思うのといっしょですよ。かまたきは「列車教」という宗教の神父みたいなもんですよ(笑)。それくらいの入れあげ方でしたね。
- −−では『キップをなくして』のアイディアはかなり以前から?
- 池澤さん前からアイディアではあったんですよ。キップをなくした子供たちが、駅の中で共同で暮らしているというシチュエーションは使えるなと思っていました。書き出した時にはそれ以上のアイディアはなかったんですが、わからないままに書いているうちに何かが始まるだろう。そう思って書いていた時に、「ミンちゃん」の話が出てきた。
- −−駅の子供たちの「ミンちゃん」が実は亡くなった女の子だった、と明らかになったところから物語が大きく動いていきますね。
- 池澤さん児童文学で、子供が死ぬ話って普通はタブーでしょ。それも副人物じゃなくて、ほとんど主人公だから。子供向けに死から始まる話が書けるかどうか。思いついてからしばらくは、なかなか不安なものがありしたね。悲劇にしない。センチメンタルだけで終わらない。最終的に納得づくに持っていくことができるかどうか……。
- −−子供の頃に「死んだらどこに行くんだろう」と疑問を持ったことがあったんですが、いま、こうして大人になってみると、子供に質問されてもうまく答えられないような気がします。
- 池澤さん子供のほうも聞いちゃいけないって感じがあるでしょう? タブーっていうのはそういうことなんですよ。死んだら天国に行く。それ以上の質問を封じられてしまうところがありますね。
- −−『キップをなくして』には、池澤さんがお考えになったユニークな死後の世界が登場しますね。
- 池澤さん死んだらどうなるか、というひとつの仮説を立ててみたんです。ぼくはクリスチャンでもないしムスリムでもないから、一個の人格としての魂が永遠に続くということがちょっと信じられない。だけど、だからといって、魂がすっかり消えてしまうという科学的な考え方にも違和感がある。 だから、魂の存在は認めるけれど、永遠ではない。魂の存在感はだんだん薄れていく。では輪廻転生はどうだろう? 面白いからあってもいい。 沖縄人の生と死の考え方に共感を覚えていました。死んだらニライカナイに行く。そして、お盆には帰ってくるから、お迎えする。死んで間もない人のほうが魂の存在感があって、時間がたつにつれ、だんだんと薄れていく。 生きている人の中で記憶が薄れていくのと、魂の存在感が薄れていくのが同時に進行するというのはわかりやすいし、そうであろうと思う。そこで、『キップをなくして』の魂委員会方式というのが出てくるんだけどね(笑)。 一人の人間に複数の魂たちがいて合議制でやっている。人生が終わると次第に解散してばらばらになっていく。しばらくは思い出話を語り合うけど、そのうちに魂が1人抜け、2人抜けしていく。散ってしばらくすると、何人かで集まって、たとえば「今度は鈴虫でやろう!」ということになって、また新たなライフに帰っていく。
- −−主人公のイタルくんは1976生まれ。物語の舞台も1987年に設定されています。現在よりちょっと前の時代に設定したのはなぜですか。
- 池澤さん設定を「現在」にすると、細部が生々しすぎて書きにくいんです。だから少し前に戻して、かすかに時代のもやのかなたに見えるくらいのほうが自由に書ける。いまのピッカピカの話だと、あっちこっちでファンタジーと現実がバッティングしちゃうんですよ。 室生犀星が中村真一郎に言ったことだったかな、「君ね、ゴシップを小説にする時、いろいろと差しさわりがあるだろう。そういう時は、『中納言は……』、と中世に持っていけばいいんだよ」(笑)。 『キップをなくして』は別に差しさわりはないけど、小説というのっはちょっと時代をずらすと自由度が増すものです。少し書きやすくした上で、確実に押さえられるファクトだけはきちんと決めていく。時刻表は実物を使う。駅弁も実物の名前をきちんと確認してから食べさせる。そうすると、そのほかの部分は勝手に話を膨らませることができる。一種の技術ですね。
- −−では、当時の時刻表を手元に置いて書かれた。
- 池澤さんそう。最終的には、校閲の方に時刻表をつきあわせていただいて。東京駅の中もね、今とだいぶ変わってますから、当時の東京駅の図面を参照してね。うるさい人に突っ込まれないように(笑)。
- −−『キップをなくして』では鉄道が出てくるだけに「旅」も重要なモティーフのひとつですね。
- 池澤さん非日常を書きたいと思ったら、彼らをいったんどこかに行かせて、何かをさせて変わって帰ってくる──これは、児童文学のある基本形なんですよ。とくにイギリスの児童文学の。「往きて還る物語」ですね。 『夏の朝の成層圏』のときには『ロビンソン・クルーソー』を横目で見ながら書いたし、『マシアス・ギリの失脚』」のときには『百年の孤独』を気にしながら、あの話のある一面──マジック・リアリズムの──がほしいと思って書いた。そういう意味では、ぼくの小説には、書く上で意識した意識した先行する名作があることが多いんですね。『キップをなくして』もまた典型的なイギリスの児童文学のかたちを借りています。
- −−『キップをなくして』というタイトルは、シンプルで、これ以外ありえないストレートなタイトルなんだけど、ちょっと不思議な感じもします。
- 池澤さん宙に浮いた状態ね。サスペンデッド。キップってどういうものかっていうと、まずなくしちゃいけないものでしょ?
- −−それなのになくしてしまって、それでどうなるの? と思わせてくれる。ぼくなんか、ぼんやりしているので、いまでもときどきキップをなくしますけど、大人になってもドキドキしますね。
- 池澤さん駅から出られなくなったら、どこかで「駅の人」をやってるかもしれない(笑)。
- −−『キップをなくして』の後に『星の王子さま』の新訳を手がけられましたね。あらためて池澤さんの訳で読むと、子供の頃に読んだ時よりも深い味わいがあると感じました。『星の王子さま』も昔からお好きだったんですか?
- 池澤さん小学生の頃からですね。翻訳とうのは、テキストを精密に読むことだから、あらためて読んでみると難しい話なんですよ。ストーリーが、ではなくて、ポエティックな部分が。普通の散文とは違う文体で、理屈ではない真実を伝えようとしているでしょう? それを訳すのが難しかった。 子供なら直感的にパッとつかめる部分もあるし、大人が理屈を組み立てて考えていくと、わからなくて突き放される部分もある。なかなか一筋縄ではいかない本でね。そこのところをどう訳せるかな? というところが挑戦でした。
- −−『星の王子さま』を初めて読む人も、久々に読む人にも楽しめる本だと思いました。『キップをなくして』『星の王子さま』のどちらとも、子供にも大人にも薦めたい本です。今日はありがとうございました!
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