- 黒木昭雄さん (くろき・あきお)
- 1957年東京都生まれ。元警視庁巡査部長。退職後、警察、防犯などをテーマにしたノンフィクションを上梓し、テレビ、雑誌などでも活躍。主な著書に『 警察はなぜ堕落したのか』(草思社)『栃木リンチ殺人事件』(草思社)『いきなり誰かが襲ってきたら?』(草思社)『葬式の値段にはウラがある』(草思社)ほか。監修に『名探偵コナン防犯テクニック』(小学館)がある。
インタビュー

- −−黒木さんはこれまで警察ジャーナリストとしてノンフィクションをお書きになってきたわけですが、小説に挑んでみようと思われたのはなぜですか?
- 黒木さん一言で言えば、ノンフィクションでは書ききれないものを書きたかったからです。 もともと警視庁にいたからなのかもしれませんが、ノンフィクションを書くときのぼくの文章は司法書類的な硬い文章なんです。ノンフィクションの文体としてはいいんですが、もう少し自由に書いてみたいと思うようになってきました。たとえば、会話のやりとりの面白さを出すには、ノンフィクションよりもフィクションでのほうが自由に書ける。小説のほうが自分の思いをもっとストレートに書けるということに気がついて、いつかは書きたいなと思っていたんです。
- −−『臨界点』は展開もスピーディーで娯楽性に富んでいますね。黒木さんのノンフィクション作品とはひと味違いますね。
- 黒木さんぼくのノンフィクションを好きで読んでくれている読者と、ミステリーが好き、サスペンスが好きという読者の両方に読んでほしいと思って書きました。 小説好きの方はあまりノンフィクションは読まないと聞きますが、この小説をきかっけにぼくのノンフィクションも読んでみたいと思っていただけたら嬉しいですね
- −−黒木さんはご自身も警視庁に23年間お勤めされていて、捜査の第一線で活躍されてきました。警察ジャーナリストでもあるので、当然、警察内部のことなどにも詳しい。とはいえ、初めて書かれた本格的な小説ということで、ご苦労もあったかと思いますが。
- 黒木さん第一読者は女房、それから友だち何人かです。彼らのアドバイスがあったから、500枚くらいの小説を最後まで書けたんです。彼らの励ましがなかったら書ききれなかったかもしれないですね。もちろん、編集の方にじっくりと読んでもらって、話のつながりや矛盾がないかなどのチェックも受けました。
- −−黒木さんご自身を思わせるような警察ジャーナリストが殺されるというショッキングなストーリーですね。
- 黒木さん物語の始まりと終わりは、自分のなかのインスピレーションで最初からあったんですね。その間をどう動かしていこうかということのほうが大変でした。
- −−黒木さんはジャーナリストとして警察機構や制度の問題点を指摘しながらも、同時に警察という存在の重要性について訴えていて、暴露的なジャーナリズムと一線を画されています。今回の『臨界点』でも、黒木さんの警察への思いが感じられました。
- 黒木さんその軸がブレたら、ぼくはものを書く意味がなくなります。警察は誰のためにあるのか? 警察官は何のために行動するのか? もちろんそれはわれわれ国民のためでなくてはならないし、大多数の現場の警察官たちもそう感じているんですよ。われわれ一般国民は警察に厳しい目を持たなくてはいけないけど、警察そのものを叩き壊してはダメなんです。
- −−ネタバレになるので言えませんが『臨界点』の中核となる謎は、まさに驚くような警察組織の暗部です。フィクションとはいえ、あそこまで書くのは勇気がいったのではないでしょうか?
- 黒木さんそうですねえ。バカだから書けたんじゃないですか(笑)。バカじゃなければ警察に23年いて、41歳、人生の踊り場で自分から辞めないですよ。でも、ふんぎりをつけて別の人生を生きたいということがあったんでしょうね。 ただ、辞めた時期が悪かった。神奈川県警の不祥事が起きたのが同じ年の夏だったんです。その頃、初対面の人に挨拶するときの自己紹介はまず「私は不祥事を起こして辞めたんじゃありません」でした(笑)。
- −−警視庁をお辞めになって最初に出した本は退職金で自費出版された2冊のノンフィクションでした(『警官は狙いを定め、引き金を弾いた』、『警官は実弾を込め、撃鉄を起こした』)。もともとジャーナリストを目指されていたんですか?
- 黒木さんいえ、まったくそんなつもりはありませんでした。ぼくは船の一級船舶士の免許を持っているので、隅田川の曳船の船長になろうと思って警察を辞めたんですよ(笑)。
ただ、辞めるにあたって警察を辞めた理由を家族や親類縁者、世間に誤解されたくなかった。わかってもらうためには、自分で書いたものをかたちにするしかない。 そう思って自費出版をしたんですが、ちょうどその頃、京都で小学生が殺されて犯人が警察に追われて死亡するという「てるくはのる事件」が起きたんです。警察の捜査や追跡方法について批判が起きたこともあって、ぼくの本を読んだメディアの人がアプローチしてきてくれた。当時、元警察官でコメントできる人がいなかったんですね。それからテレビや週刊誌から依頼がくるようになって、いつのまにか警察ジャーナリストになっていたんです。 - −−タイトルの『臨界点』ですが、臨界点は水が水蒸気になるようにその地点で物質の位相が変わるというポイントです。本書では警察組織自体が臨界点というギリギリの状況に置かれるという意味なんだと思いますが、実際に、もしも何かが起これば危機的な状況が訪れてもおかしくない状態にあると捉えてもいいのでしょうか?
- 黒木さんこの小説はあくまでフィクションですが、いつそうなってもおかしくない部分は確かにあります。たとえば今年4月、秋田県の藤里町で発生した「児童連続殺人事件」。いわゆる「畠山鈴香事件」ですが、実はこの事件についてぼくは、秋田県警能代署ははじめから「彩香ちゃん殺人事件」を握りつぶしたのではないかと読んでいます。彩香ちゃんの遺体の頭部と頸部が骨折していたのに警察は「遺体に目立った外傷がない」と早々に嘘の発表をしていたからです。
でも、警察が嘘の発表をできたのは彩香ちゃんの遺体を検視した警察指定医と遺体を司法解剖した秋田大学の法医学教室が警察発表の嘘を指摘しなかったからです。翻していえば、警察ははじめから抗議の声が上がらないことを知っていたからこそ安心して嘘の発表ができたということです。そうなると「畠山鈴香事件」の基本構造はまさに「臨界点」なわけで、結果的にそれが引き金となって罪のない米山豪憲くんまでもが殺されてしまったのですから、いたたまれません。それからほんの数日前、能代署からわずか300メートルのところのコンビニが強盗に襲われましたが未検挙です。総じて言えば、警察官だけでは捜査はできないということなんです。「一般の人を敵に回したら捜査は進まない」と言いたいのです。ところが、どうも最近の警察庁などの上部機関はそのことを理解せず、国民の協力を得るような体制をとっていません。
当たり前のことですが、税金のなかから警察予算が割り当てられている。その予算があるから警察官の生活が成り立っています。 それなのに、警察と一般国民の間で対立関係が生まれようとしている。それが昂じれば、この小説のようなことが起こりえるかもしれない。それは大変なことです。秋田の事件は「臨界点」を書き終えてから弾けましたが、そんな以前から持ち合わせていた危機感がこの小説を書かせたという部分はあると思いますね - −−『臨界点』を読むと、現場の警官の人たちは国民に向かい合おうとしながらも、組織に縛られている。たいへん辛い立場だなあ、と思いました。
- 黒木さんぼく自身、警察組織から出てみて初めてわかったことですが、警察官は組織に縛られてはいるけれど、決して心までは縛られてはいません。心の中に純粋な正義感を持っている警察官はたくさんいます。ぼくはそのことを小説に託して書きたかったんだと思います。













