- 道尾秀介さん (みちお・しゅうすけ)
- 1975年生まれ。2004年『背の眼』でデビュー。07年『シャドウ』で第7回本格ミステリ大賞受賞。09年『カラスの親指』で第62回日本推理作家協会賞受賞。10年『龍神の雨』で第12回大藪春彦賞、『光媒の花』で第23回山本周五郎賞を受賞。その他『向日葵の咲かない夏』『骸の爪』『片眼の猿』『ソロモンの犬』『ラットマン』『鬼の跫音』『花と流れ星』『球体の蛇』『月の恋人』、エッセイ集『プロムナード』など著書多数。
インタビュー

- −−『月と蟹』は「別冊文藝春秋」に連載されていた作品ですが、主人公は10歳の少年ですね。
- 道尾さん「道尾秀介の描く子供が読んでみたい」と編集者から言われたのが、そもそものきっかけです。しばらく子供を主人公にしていなかったので、僕自身ちょうど書きたいと思っていたときでした。
- −−そんな風に小説の題材や舞台について、リクエストされることはよくあるのですか。
- 道尾さんいや、ほとんどないですね。黙っていたら何もリクエストされないので、「取り入れるかどうかわからないけれど、何かあれば言ってください」と言うんです。そこで「何でもいいから」という答えが返ってきたら面白くないですし、ちょっとさびしいですね(笑)。
- −−「子供」といってもいろいろな年代があるわけですが、「10歳」にしたのはなぜですか。
- 道尾さん 小学5年生にあたりますが、6年生だといろいろなことを知り過ぎてしまって、この物語は成立しない。逆に4年生ではまだ幼くて、自分で世界を作って、という風にはならずに大人に頼るところが多いと思うんです。だから5年生が最適かなと。
- −−『月と蟹』を読んでいる間、たんに子供でもなく、まだ大人でもない年頃ならではの微妙な、言葉にできない感情がリアルに伝わってきて、切なくて仕方ありませんでした。そうした感情はご自身の経験を投影しながら描いたのでしょうか。
- 道尾さん僕の場合、自分が体験したことのある感情をそのままダイレクトに書くことはほぼないですね。今35歳の僕が、ちょっとでも物語に顔を出してしまったら、読者は絶対に気づくでしょうし、慎一と僕とでは育った家庭環境もまったく違う。となると物事への感じ方も同じではないわけですから。自分が小学生時代に感じたことを入れてしまうと、読者は必ず違和感を抱くはずなんです。
- −−子供を描く、という作業自体はいかがですか。
- 道尾さん 大人を描くのに比べて地の文が極端に難しくなる、というのはありますね。三人称であっても使える語彙とそうでないものが出てくるので。難しい言葉や比喩は避けないといけないし、簡単過ぎる言葉を使うと物事を詳細に描けない。

- −−逆に子供を主人公にすることで、書く上での自由度が増す、などといったことはありますか。
- 道尾さん最大の魅力は、普遍的なものが描けることですね。それ以外は難しいことしかないですよ(苦笑)。『球体の蛇』という小説では、主人公が16歳の時から始めましたが、「私」という一人称で、すでに大人になった主人公が過去を振り返る形式にしたので、地の文に気を遣う必要がなかった。大人の視点で16歳を書けばよかったのですが、この作品ではそれができないですから。
- −−それにしても慎一も春也も、鳴海にしても、親の死や複雑な家庭環境など、それぞれにやり場のない思いを抱えています。決して明るいだけの子供時代を送っているわけではないですね。
- 道尾さん明るくはないですね(笑)。僕はこの小説で、「理不尽と闘う子供」を書きたかったんです。子供にとって、一番身近な理不尽なことといえば家庭環境ですから。それから小学5年生が主人公である以上、性についてまるっきり書かないというのはあり得ない。性との葛藤は絶対に描かなければいけない、という思いもありました。そうでないと10歳の物語としては嘘になってしまうので。
- −−慎一はある時、母の「女性」の部分を感じ取り、言いようもない嫌悪感を抱き始めます。にもかかわらず、母とある男性とのかかわりをリアルに目の当たりにしてしまいますよね。その時の慎一の感情が本当に生々しくて、自分自身の痛みのようにさえ感じました。
- 道尾さん本来はもっと段階を追って性について知っていくのでしょうが。でも、あんな風に望んでいないのに、親の性を目の当たりにさせられるのも、子供にとっては一つの理不尽だと思うんです。
- −−理不尽さが読み手の心を突くんですね。ところで慎一たちは裏山に秘密の場所を作ります。この山での描写が実に生き生きとしていて、風や木々の匂いを感じたほどでした。
- 道尾さん でも僕自身は、あんなに急な山は登ったことはないんですよ(笑)。僕は自分の好きなことは書かないようにしているので。本当に登山が好きだったらあの描写は変わってくるでしょうね。
- −−好きなことを扱うのは、小説を書く上でデメリットだと?
- 道尾さん デメリットでしかないですね。独りよがりになるし、余計な情報が入ってしまう。以前『ラットマン』を書いた時は、みんな僕がエアロスミスのファンだと思ったみたいなんですね。ベストアルバムを1枚聴いたことがあるだけなのに(笑)。なぜ、エアロスミスにしたかといえば、自分がまるっきり知らなくて、世の中の人が知っているバンドはないかと探したら、それがエアロだった。好きなバンドは他に山ほどあるんですよ。
- −−自分が知らないことを書いてみたい欲求が強いのでしょうか。
- 道尾さんそうですね。僕自身が知らないものを書き、それを読んだ方が頭の中で文章を変換してイメージをふくらませていく。そうできるのが小説としては一番いい形ではないかと思っています。『月と蟹』の山に登っていくシーンにしても、「振り返るたび、海が広くなっていく」と書いていますが、多分、実際にはそうはならないんです。でもそうやって文章にすると、どんどん山に登って行くように感じられる。それが小説の大事な部分であり、映像に太刀打ちできるところだと思いますね。

- −−舞台は鎌倉、海辺の町です。今回は実際に鎌倉周辺を歩かれたのですか。
- 道尾さん逗子、葉山、鎌倉で丸二日間だけ、一人で過ごしました。鎌倉の建長寺の裏山に登ったり。あとは3時間ほど海辺を歩いたぐらいです。
- −−意外にあっさりとした取材なんですね。
- 道尾さん基本的には遊んで空気を感じるだけです(笑)。 僕が実際に見たものを書いた部分は、ほとんどないと言っていいぐらいで。取材しなくても書くことはできますが、その場に行くことによって、書こうとしている世界がぐっとリアルになる。取材を通して、書くための態勢を整えているような感覚かもしれない。
- −−今回、一度読み終えて結末を知った上で、すぐに再読してみたんです。すると登場人物それぞれの言葉や行動の意味がより深く理解できて、新たな発見もあり、すごく面白かったんです。
- 道尾さんそれはうらやましいというか(笑)。僕はできることなら、何も知らない状態で自分の小説を読んでみたいと常々思っているので。
- −−役者が自分の出ている生の舞台を見られないように、作家は自分の小説を初めて読む感覚は決して味わえない……というわけですね。
- 道尾さんそうなんです(笑)。
- −−ミステリー小説の分野で活躍を続けられてきましたが、この作品をはじめ、最近の道尾さんの作品は、もはやそういったジャンルの枠を超えているような気がします。
- 道尾さんこれをミステリーとして読む方も、ホラーと感じる方もいると思うんです。僕自身はそうやってジャンルにあてはめて本を読んだことがないのでわからないのですが。毎回、思わぬ読み方をされるので(笑)。『球体の蛇』にしてもミステリーだという人もいれば、恋愛小説だ、いや「屋根裏の散歩者」の現代版だという人もいる。だから作者自身が予想しても意味がないのかなと。ただ『月と蟹』に関していえば、かつて子供でなかった大人は世の中にいないので、ストレートに読んで頂けるとは思います。特殊な舞台や装置は使っていないですし、誰もが山も海も見たことはあるでしょうし、親のこと、友達について考えたことも、幼い恋愛をしたこともあるはずなので。「ちょっと今回は読めなかったなあ」と言う人はきっといないと思うんですよ。それと、心理描写や事実関係について、言い切っている部分が一か所もないんです。だから間口は広いけれど年代や性別によって、いろいろな読み方をしていただけると思いますね。
<コメント>
読んでいる間、登場人物の感情を肌で感じて立ち止まったり、描写の鮮やかさにふと手を止めてその一文をじっくり味わってみたり。そんな小説読みの醍醐味を存分に与えてくれる『月と蟹』。ジャンルにかかわらず、今書きたいのは「人間関係」だと語る道尾さん。まさしく人間が描かれている――それこそが、道尾作品が多くの読者を惹きつけてやまない理由なのかもしれません。 宇田夏苗
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- ★道尾秀介さんの作品には最近注目しています。光媒の花も良かったけれど、この作品はそれ以上に興味深いお話でした。新しい小説を出版するたびに面白さも増しているように思います。この作品は3人の子どもが主人公となっていますが、子どもの切なさや悲しみ、おとなへの思いがつまっていて心に響きます。











