2016.2.23更新
『家族ノカタチ』は連ドラの基本、人と人との「距離」を描く。
地道に、丁寧に
『家族ノカタチ』は大変に細やかな作品で、これこそ連続ドラマがするべきこと、連ドラにしかできないこと、という気がします。たとえば、それは映画ではできないことですし、また、演劇でも小説でも、こんなふうに描くことはできないと思います。
連ドラがするべきこと、連ドラにしかできないこととは何か。それは第6話にあらわれたフレーズでもありますが、人と人との「距離」を見つめるということです。そして、見つめるとは、「目に見えるカタチ」で示す、ということなんですね。
もちろん、映画でも、人間関係は描かれます。「距離」も提示されます。しかし、その「距離」には蓄積がない。2時間前後で綴られる「距離」と、1クール=3ヶ月を費やして構築される「距離」とでは、「距離」のスケールが違います、違いすぎます。大雑把な言い方をすれば、1話完結の運命を背負っている映画は、ある程度、単純明快に「距離」を描く必要がありますが、連ドラの場合は「過程」というものを積み重ねていくことができるんですね。「距離の過程」を具体的に描く。これが、連ドラがするべきこと、連ドラにしかできないことだと思います。
『家族ノカタチ』の出発点にあるのは、言ってみれば、絶縁状態にあった人間関係の修復であり、それは香取慎吾さんの家に西田敏行さんが転がり込む、上野樹里さんの部屋に風吹ジュンさんがやって来る、あるいは上野樹里さんに田中圭さんが復縁を迫るといった、設定や展開に明瞭にあらわれています。彼ら彼女らの行動は、突発的なものではなく、それぞれの想いの蓄積によって成されていることを、このドラマはもったいぶらずに、実直に描きます。人が起こす行動は大抵の場合、いきなり衝動に駆られて、というわけではない。その人なりに考えに考えた結果、動いているのだ、ということが、そこでは示されます。逆に言えば、想いがあるから人は動く。当たり前、と思うかもしれませんが、この「当たり前」をいかに地道に、いかに丁寧に描くか。それこそ連ドラというものが1クールかけて行なっていることだと思います。
たとえば、上野樹里さんと西田敏行さんは、マンションのエントランスにある黒いソファが、お互い最も話しやすい場所だったりします。この場所に辿り着くまでのそれぞれのパーソナリティ、あるいは、この場所だからこそ初めて表出するパーソナリティ、それぞれが独自に抱える無数のパーソナリティの交錯こそが、人と人との「距離」と成ってあらわれます。言うまでもなく、その「距離」は簡単に生まれたものではありません。上野さんと西田さんは出逢って間もないわけですが、上野さんには上野さんが生きてきた年月(ねんげつ)があり、西田さんには西田さんが過ごしてきた年月(としつき)があります。つまり、人と人との「距離」は、「時間の交錯」でもあるんですね。
この「時間の交錯」が、第6話での観月ありささんの再登場には、まさに「目に見えるカタチ」で示されていました。観月さんは頻繁に現れるキャラクターではないからこそ、彼女が抱える「時間」をわたしたちは想像するし、「距離」はわたしたちの想像によって生まれるものでもあります。
この回、観月さんは大変大きな働きをするのですが、ファミリーレストランのようなところで、香取さんと向き合ってあることを伝える観月さんは、まるで手話のようなジェスチャーを交えながら話しているんですね。手話というのは、手だけでするものではありません。表情も重要です。このシーンでの観月さんの表情が、わたしには手話のように映りました。
たとえば、第1話、路上で、香取さんと話す観月さんは、こんな表情はしていないんですね。第1話でも彼女は重要なことを伝えますが、それ以上に大切なことを観月さんは伝えます。そして、そのことを伝える上で、手話のような表情が必要だったんですね。
たとえば、このときの観月さんの選択が、香取さんと観月さんの「距離」を表現します。ふたりはかつて交際していました。観月さんは、香取さんが、このように伝えないと受け取ってくれない人だと思うからこそ、このようなジェスチャーを重ねながら話しているのだと思います。あるいは、かつて、自分が伝えたいことを、思うように伝えられなかったからこそ、いまこのとき、このような表情で、相手を見つめようとしているのかもしれません。ふたりには、会っていなかった「時間」がそれなりにあるからこそ、この「距離」は生まれていますし、この不在の「時間」によって、この「距離」は深いものになっています。
このドラマで描かれる香取さんは終始、受け身です。また、上野さんも、多くの人との関わりにおいて、受け身のキャラクターとして描かれています。
上野さんがある「告白」をしたことで、香取さんと上野さんとの間には、真新しい「距離」が生まれました。受け身なふたりにとって、この「距離」はどのような作用をもたらすのでしょうか。
「距離」がなければ、人と人とは深まっていきません。ふたりの「距離の過程」は、いまようやく動き出したばかりです。
相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。