2016.3.8更新
目は口ほどにものを言う──『家族ノカタチ』が捧げるもの。
まばたきの数だけ「しようよ」
もう、ただ見入ってしまいます。なので、『家族ノカタチ』について、あれこれ言うのは野暮というか、言えるとしたら、いいものはいい、それくらいなんですけど。
なんか、唐突ですけど、いや、自分のなかでは必然なんですけど、SMAPに「しようよ」っていう歌がありますよね。あれを思い出すというか、ああいう感じなんですよね、このドラマ。
あのとき、SMAPがなにを歌ったかと言えば、なんとなくわかった顔なんかしないで、苦労するけど、努力して、話をしよう、という、他者との対話の必要性でした。
だれかと話をする、というのは骨が折れることです。だけど、わたしたちはそれをしなきゃいけないし、する理由も、する価値もある、そんな歌でした。ラブソングという体裁ではあるものの、そんなコミュニケーション回復のための歌を、SMAPは1995年に歌っていたんですね、もう20年以上も前のことですが。
ここで歌われているシンプルなことがらは、いま聴いても、まったく古くなっていないどころか、ますます、みずみずしいなにかとして胸に迫ってきます。この20年ほどのあいだに、わたしたちはケータイを、パソコンを、SNSを当たり前の日常として装備するようになったわけですが、ちゃんと言わなきゃわからない、という真実のテーゼは、いささかも揺らぐことなく、わたしたちの目の前にそびえ立っています。
『家族ノカタチ』第8話はまさにそうでした。香取慎吾さんは、水原希子さんに、ちゃんと返事しなきゃいけないわけですし、そうするように促した上野樹里さんも、風吹ジュンさんに、隠しておいたことを、ちゃんと伝えないといけないわけです。そして、この回の最終盤では、西田敏行さんも、ちゃんと、ある告白をするんですね。
ちゃんと言わなきゃわからない。家族であろうがなかろうが、ちゃんと言わなきゃわからない。なんとなく察してくれ、ではダメなんだよと。ちゃんと言わないことを、特に男性なんかは、わたしなんかもそうですが、美学だとかライフスタイルだとか、そういう言い方をするわけですが、結局、それはただの逃げなんですね。ひとは、ちゃんと言わなきゃわからない。ちゃんと言うことって、苦労するけど、努力して、話をしよう。もう、これ以上、なにも言うことはありませんね。
とはいえ、なにからなにまでさらけ出しましょう、秘密のない人生を生きましょう、という開けっぴろげ礼讃、マインド的なヌーディスト宣言ということではないわけです。もちろん、言いたくないこと、言わないほうがいいこと、そういうことは無理して言うべきではないし、時間がかかることは時間がかかりますし、時間では解決しないこともやっぱりあります。そういうことを大事にすることも、人と人とのコミュニケーションの上では大切なことですし、このドラマはそこもきちんと地道に丁寧に描いているんですね。
『家族ノカタチ』の出演者はみなさん芸達者揃いですから、そこのところが、じわりと伝わってくるわけですが、西田さんが告白したあとのくだりは白眉でした。水野美紀さんが口火を切るまで、みなさん、目だけでお芝居をしているんですね。もちろん、そのなかに香取さんもいるわけですが、最後の最後、もう一度、香取さんの表情にカメラが近づきます。ここでの、まばたきがとてもいいんです。
ひょっとすると、このドラマはまばたきのドラマだったのではないか。もう、第1話から、登場人物全員のまばたきを、すべてチェックし直したくなりますが、とりあえず、次回、第9話は、まばたきに留意して見つめてみたいですね、このドラマの行く末を。
相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。