2016.6.7更新
航ちゃんの純情──『不機嫌な果実』の稲垣吾郎について
一途なスウィーツのように
いやあ、満足しました、『不機嫌な果実』の第6回。この回は、ほとんど水越航一が主役の「航ちゃん回」で。来週、ドラマ自体は最終回を迎える模様ですが、航ちゃんの物語としてはもうここで終了、と言ってもいいくらい充実のエンディング感がみなぎっていました。
どうなんでしょう、稲垣吾郎さんのファンであろうとなかろうと、航ちゃんのあの振る舞いには、ついグッときてしまったのではないでしょうか。記憶喪失のふりをする。記憶喪失のふりをして、愛する人の気をひこうとする。かまってもらって、その時間を享受する。共有ではなく、たったひとりの愉悦を味わう。いつ、それが終わるかわからないけれど、束の間のひとときに酔う。自分の愚かな行為に酔う。酔いつづける。ある意味、不倫以上にスリリングで、孤独なエクスタシーがそこにはあります。
記憶喪失のふりをする。古典的と言えば、あまりに古典的かもしれないこの策略が、稲垣さんが演じると、なんともチャーミングになるという魔法。それが全編に散りばめられた「航ちゃん回」でした。
記憶喪失のふりをする。つまり、演じ手としては、「演じる」という状態を演じているわけですが、この複雑な状況をなんとも甘美に、スムーズに見せ魅せるのが、稲垣さん流です。以前、「稲垣吾郎はワインではなくワイングラスである」と書いたことがありますが、「航ちゃん回」の彼はほとんどスウィーツのようでした。甘く香しいなにかが、大きなワイングラスのなかにポツリと置かれている。そんなドキドキするような演技表現でした。
一瞬だけ笑う箇所がありましたが、航ちゃんは基本的には、もう自分だけの愛しい時間を味わっています。なので、ある意味、平常心。自分が、特別ヘンなことをしているとは思わない、いや、忘れていると言ったほうがいいかもしれなません。このあたりの、なんとも無防備な、決して完全に記憶喪失を演じ切ってやろうみたいな野心とは根本的に違ういい加減さが、航ちゃんの可愛いところです。
あの笑いしても、だれかを欺いてやった、みたいな嫌らしい笑いなどではなく、もう、ともすれば、悪戯っ子みたいな、つい、漏れちゃった、みたいな笑いなんですよね。
そもそも航ちゃんは、人を騙す目的で、記憶喪失のふりをしているわけではありません。妻にやさしくされたいから、妻に面倒をみてほしいから、そうしているのです。シンプルな欲望に忠実だからこそ、そこからは邪念のようなものは感じられません。濁ってないんですよね。ある意味、とても一途です。
まあ、常識の世界で生きている人は、航ちゃんの行為を「狂ってる」の一言で片付けもするのでしょうが、この、計画性があるようでまったくないと言ってもいい、行き当たりばったりの偽記憶喪失状態にこそ、航ちゃんの純情は真っ当に立ち現れているのではないでしょうか。
そもそも、純情というものは、相手のことなんて何も考えていないものなんです。もう、自分のことだけで精一杯。わたしはこうしたい、ぼくはこうしたい、その単純な、あまりに単純な、一方的な想いの、言ってみれば、無法地帯みたいな状態こそが純情なわけで。もちろん、相手を騙すことはいけないことですよ。ただ、航ちゃんのこの行為は、妄想という濁ったものに逃避するのではなく、たとえ虚構だとしても「作り上げられた」現実の中で、相手と一緒にいたいという願いを実現させたという意味において、紛うことなく純情だと思うのです。恋をした経験のある人なら、きっとわかるはずだと思います。恋とは、決してキラキラばかりしているものではありません。
純情とは愚かなものです。逆に言えば、愚かでなければ純情は抱けません。稲垣さんは、航ちゃんを見守るように演じています。人間という生きものの愚かさをそっと抱きしめるように。
相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。