2016.7.5更新
稲垣吾郎はSMAPの花である──『STOP THE SMAP』を聴いて
きっと平和 きっとしあわせ
『稲垣吾郎のSTOP THE SMAP』を久しぶりに聴いた。聴いて佳かった。ほんとうに佳かった。
ぼくはSMAPのファンクラブに入会していないので、会報を見たことはないのだけど、その会報が届くのが遅れたみたいで、自ら「遅くなって申し訳ない」って、わりと序盤のほうで言った。リスナーの投書は、会報に載せられたメンバー撮影の写真について語られていただけのものだったのに、すっと、透明に、かまえるところなど何もないまま、「申し訳ない」と口にした。ひとが、いや、ぼくたちが、こんなふうに、謝ることができたら、この世は、きっと平和になるし、この世界は、きっとしあわせになると思った。
謝ることはむずかしい。小学生のときの親友や、結局別れることになった恋人とのことなんかが、脳裏に浮かんだ。タイミングをはかりすぎていたり、自分のプライドが邪魔したりで、素直に謝ることは、ほんとうにむずかしい。ひとが、ひとに謝る機会は、そのとき一回かぎりかもしれないのに。
稲垣さんの発声には、大げさなところがなにもなかった。でも、こころがこもっていた。こころをこめるっていうのは、劇的に盛り上げたり、想いをデフォルメしたりすることじゃないんだ。誠心誠意なんて言われると、つい、自分というものを演出したくもなるけど、そういうことじゃないんだ。
こころは、だれにだってある。だから、大切なのは、こころの「こめ方」だ。稲垣さんみたいに、さり気なく、こころを、そこに置けたら、どんなにいいだろう。
『不機嫌な果実』の航ちゃんは、芝居心に火をつけられる役だった。視聴率だけでは、反響や作品の真価はわからない。香取慎吾さんのことを、尊敬している。左利きだけど、マウスは右手で使う。自分の声に向き合ってみるのも、いいかもしれない。ハーフパンツ。ゴルフ。数値。解析。近道。いまさら、イメージもなにもないですよ。
そんなことばたちと同じように淀みなく、それは発せられた。こんなふうに、ひとに接することができたなら。
「Part Time Kiss」を流してくれた。もう24年も前の曲だ。SMAPが6人だったころの。
2014年の『27時間テレビ』の最後に、森且行さんからメンバーひとりひとりに手紙が届いた。稲垣さんに宛てた手紙には、こんなふうに書かれていた。
<中居君、木村君と剛と慎吾に挟まれて昔だったら俺も吾郎ちゃんと同じところにいたんだけど真ん中にいるって大変だと思う。だけど吾郎ちゃんがいるからSMAPはSMAPでいられると思うよ。これからも吾郎ちゃんらしくね>
森さんは2月生まれ。稲垣さんは前年の12月生まれ。つまりふたりは同学年だ。
6人が5人になるということは、真ん中がひとりになるということだった。
SMAPのうたを聴いていて、よく思うこと。SMAPを見つめていて、よく思うこと。
稲垣吾郎は、SMAPの胴体=bodyだということ。たったひとつの胴体=bodyだということ。
会報に、稲垣さんは八重桜の写真を寄せたのだそうだ。そして、季節外れになってしまったことを詫びた。やっぱり、ほかのことばたちと同じように、そっと詫びた。
花を撮るときは、最初にパッと撮ることが肝要、あれこれいじらずに、と秘訣を述べた。
花は、花の気持ちがわかる。
稲垣吾郎は花。
SMAPの真ん中で咲く花である。
相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。