2016.8.24更新
夏の知らせーー『ほんとにあった怖い話 夏の特別編2016』を観る
「平時」を生きよう
今年の『ほん怖』は、中島健人のエピソードで始まり、前田敦子のエピソードで終わった。
ふたりとも好きな演じ手だから、うれしかった。
特に、前田敦子の「夏の知らせ」は、タイトルからいろいろ思うことがあったし、怖いというより、心温まるエピソードで、これが実話だということに、ありがたみをおぼえた。
わたしは、前回のオリンピックイヤーに母親を、前々回のオリンピックイヤーに父親を喪っている。
それぞれ、8月、7月。
つまり、夏だ。
お盆という習慣があるわたしたち日本人にとって「夏の知らせ」というフレーズは、とても響くものがある。
夏はなにを知らせてくれるのだろう。
もう、ここにはいないひとのことを想うこと。
もう、ここにはいないひとのことを想い出すこと。
それは、郷愁ではなく、現在進行形の行為なのだと考えている。
夏はなにを知らせてくれるのだろう。
夏は「始まり」よりも「終わり」を痛感させる季節だ。
夏が知らせるのは、その季節の「終わり」だったりもする。
小学生のころは、夏休みが終わることが、夏の「終わり」だった。
どこかに出かけて、だれかと逢って、とても楽しいのだけど、楽しければ楽しいほど、夕方がくるのが怖くて、日が沈むと、ああ、どんなに楽しくても、今日という日は終わるんだ、今日という日が終わるということは、夏休みも終わるんだ、終わりつつあるんだ、ものごとはすべて、いつも、終わりに向かっているんだ、なんて、無性にかなしくなったりもした。
ただ、なにかが終わるということは、かなしいことばかりではない。
「ほん怖クラブ」を率いる、稲垣吾郎さんの、今年もまったく変わらぬその姿、その姿勢、その発声、その文言を観ていると、夏が終われば秋が始まる、新しい季節が始まるんだ、ということを知って、束の間の安らぎを得る。
エピソードが終わるたび、稲垣さんと子供たちのやりとりが挿入されるのは、「怖い話」というものを緩和する役割ももちろんあるけれど、わたしたちが漠然と抱いている「終わり」に対する恐怖心、そういうものをなだらかにしてくれる側面も大きいのではないだろうか。
稲垣さんは「平時」ということばがよく似合うひとだと思う。
彼を見ていると、夏が終わっても大丈夫、そんなふうに感じる。
もうすぐ夏は終わる。
やがて秋がくる。
それでも、わたしたちは生きていくだろう。
世界に「平時」を。
夏の知らせ。
相田★冬ニ
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。
※「Map of Smap」は、8月24日より毎週水曜更新に変更となりました。