2014.6.3更新
『スモガン』、いよいよクライマックス。香取慎吾の「顔」を見よ!
人間は「忘れる」生きものである。
わたしはミステリーというものにまったくと言っていいほど興味がありません。ですから、誰が犯人か、あるいは、いかなる動機によって事件は起きているのか、その解明のためにドラマを観ているわけではありません。謎解きも、トリックも、正直なところ、どうでもいいと思っています。
わたしが見つめているのは、そして、これからも見つめていくのは、人間の顔です。このドラマで言えば、香取慎吾さんの顔。彼の顔が、どのような変化を遂げていくのか、それこそを見届けたいと思うのです。
「顔がいちばんのヌード」。そう言ったのは、写真家のアラーキーこと、荒木経惟さんです。つまり「顔は裸だ」と。メイクアップしている女性も含めて、顔はなにかをさらしているし、そのひとの「ほんとう」が見える。そんなようなことを荒木さんはおっしゃってました。
この作品での香取さんは、3年前、自分の恋人が殺され、その前後12時間が記憶喪失になったという設定の男を演じています。つまり、ここには「記憶喪失の男の顔」があるわけですが、その「記憶喪失」がわずか半日間分だけなのだ、ということが重要なポイントです。
人生何年生きるかわかりませんし、ひとによって記憶力の程度は明らかに違うと思いますが、それでも、自分が体験したすべての事柄を記憶しているということはありえません。結局「憶えなかったこと」はほとんどの場合、スルーして、なんとか「憶えていること」だけキープしようとする、でも、記憶も経年劣化し、いい感じに褪色し、それによって美化しやすくなったり、あるいはビタースイートなものとして、こころのハードディスクに保存できるようになる。そんなものだと思います。そして、それは別に責めるべきことでもないでしょう。人間は、その程度のものです。考えてみてください。人生全体のうちの半日なんて、全然たいした時間ではありません。半日の何倍も何倍もの月日を、わたしたちは忘却の彼方へと追いやっています。まず、香取さんは、この人間としての当たり前の「忘れる」という能力(だと思うんですよね。頭がパンクするのを防ぐための防衛装置です)のありようを、ごくごく普通に体現していると思います。それが、顔にあらわれているんですね。日常生活を送るなかで、忘れることはある。それは一種、呼吸のようなものなのですが、その生活者としての部分が、ある種のマイペースさと共に、顔に貼り付いているのです。
根源的な「後ろめたさ」の行方。
ここまでなら、普通の役者さんにもできると思います。つまり、どういうことかと言えば、普段は平穏に暮らしている。しかし、記憶喪失をめぐる出来事に直面したときだけ「思い出せない! なぜだ! なぜなんだ!」というような「突発的な記憶喪失者」に変身する。これは、わかりやすいし、演じやすいわけです。しかし、香取さんはそのような顔の芝居をしてはいませんね。恋人を回想するということは、彼にとって、「そのひとはもういない」、つまり、恋人の死に直面することです。同時に、自分が半日だけ記憶がないという現実にふれることでもある。この、大切なことを思い出そうすることによって、自身の欠落に直面するときの顔が、絶妙なんですね。香取さんは「突発的な記憶喪失者」に変身したりはしない。ある「後ろめたさ」と共に、地続きのまま、半日だけの喪失を「出迎える」、そんなニュアンスを、自身の顔に施すのです。言うまでもなく、この「後ろめたさ」は、恋人のことを思い出したから生まれたものではないんですね。彼が日常を送っているときにも、ずっとつきまとっている、根源的な「後ろめたさ」なわけです。
これは、単に彼が、恋人の死に責任を感じ、その罪の意識から逃れられずにいる、というようなドラマティックなわかりやすさを意味しません。もう一度繰り返しますが、香取さんは、そんな単純な顔をここにさらしているわけではない。
では、根源的な「後ろめたさ」とは何か。それが、最初に申し上げた「人間は忘れる生きものだ」という現実です。この、わたしたちなら、見過ごしたり、あるいは、仕方なく受け入れてもいる現実が、「後ろめたさ」にしかならなくなってしまった人物を、香取さんは、その顔のありようだけで感じさせてくれるんです。
つまり、この主人公が、忘れているのは、恋人の死の前後の12時間だけではない。その他、多くのことも忘れている。恋人のことも、すべて記憶しているわけではない。そして、いまも、日々生きていくなかで、多くのことを忘れていってしまっている。そのすべてが「後ろめたい」。ぼくには、香取さんの顔が、そんなふうに、映ります。
物語は、いよいよ核心に近づいてきました。第八回のオムライスを食べるくだりに顕著でしたが、香取さんの顔つきが、どこか変化しているように思います。それがどのように変化しているのか、ことばにはできないのですが、それこそが、この作品のミステリーだと思います。しかも、なぜ変化しているのか、というより、どのように変化していくのか、そのことこそが、見どころだと感じています。
彼は、この根源的な「後ろめたさ」を手放すのか。あるいは、さらに深刻化させるのか。はたまた「後ろめたさ」が、別な何かに「脱皮」するのか。香取慎吾さんの顔のメタモルフォーゼこそを、追いかけていこうと思います。
文:相田★冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。