2014.9.2更新
SMAPというカラダを考える──DVD『GIFT of SMAP』を観て。
線の中居、バネの草��
明後日から始まりますね、ツアー。9月4日の東京ドームから、1月12日のナゴヤドームまで計22公演。というわけで、今年ブルーレイ化された前回のツアーDVD『GIFT of SMAP CONCERT '2012』を観てみました。
最初にお断りしておきますが、わたしがSMAPのコンサートを観たのは一度だけです。6人時代の名古屋公演。なので、ツアーについてあれこれ語ることはできません。今回はDisc 2についての雑感を述べさせていただきたいと思います。
これは特典映像的な位置づけになるのでしょうか。リハーサルや、各地でのトークの模様、懐かしめの曲を選曲した「Memories’of GIFT」のコーナーなどが収録されています。
とりわけ重要だと思われるのが、「Moment」を歌い踊るSMAPを、5人別々に追いかけたパート。この試みは以前のツアーDVDにもあったと記憶していますが、メンバーそれぞれのパフォーマーとしての資質を冷静に堪能できるので、わたしのように頭が混乱しがちなにんげんには大変ありがたい「装置」ですね。
たぶん「Moment」という曲が、この企画にうまくフィットしているんでしょうね。いろいろと気づかされることが多かったです。
中居正広さん、木村拓哉さん、稲垣吾郎さん、草��剛さん、香取慎吾さんの順番。
トークで、中居さんが、草��さんのことを「隠れ音痴!」と罵倒し、草��さんが「オモテ音痴!」とやり返すくだりがあるのですが、中居さんと草��さんが音痴かどうかはともかく、このふたりには一致する点がありますね。ふたりとも「全身」で表現するひとだと思うんです。カラダというものを駆使しています。ただ、カラダの捉え方は、たぶん違っています。
中居さんは、カラダで線を描き出すんですね。これは、カラダの線を綺麗に見せるという、女性モデル/アーティストなどの方法論とはまったく違っていて、カラダを通して、線を文字通り「描いていく」わけです。曲と共に、線だけの画を描く、というのかな。おそらく、ダンスというものが、彼にとっては、カラダで描く、ということなのでしょう。歌というものを、聴衆は、聴いたり、歌詞を読んだり、一緒に歌ったりするわけですが、中居さんがおこなっていることは、ちょっと一緒にできることじゃないんですね。「踊ってみた」とかいう素人動画がアップされる時代ですが、中居さんのカラダが描き出している線は、模倣が難しいと思います。物真似できないっていうか、あらかじめ「コピー不可」みたいな印象があります。振り付けをなぞっても、意味がない。絵画でも漫画でもそうなんですが、半透明なシートみたいなものを上にのっけてトレースしたところで、仕方がないんですよね。力のある絵画や漫画には、固有の線というものがあって、それを第三者がクリエイトすることはできない。逆に言えば、そのひとだけの線を持っている絵画や漫画は強い。できるもんなら、やってみな。そういう屹立した凄みがあるものです。
「Moment」の中居さんは別に無茶苦茶高速だったり複雑だったりするダンスを披露しているわけではありませんよ。ただ、中居さんにしか描き出せない線がそこにはあります。
草��さんは「風」だと以前お話したような気がしますが、でも、それは決して柔な「風」じゃないんですね。クサナギという音は「草が凪ぐ」という情景をイメージさせますから、なんとなく受動態みたいな印象をお持ちの方も少しはいるかもしれませんが、彼は「風」を受けてるわけでも、「風」と一体化しているわけでもなく、「風」を起こしている存在なわけです。それが、この映像を見るととてもよくわかります。
ぶるんぶるん。大型の扇風機や、プロペラ機を思わせる動きが序盤にあります。回転しながら、「風」を巻き起こしている。見てるとね、カラダのなかのバネみたいなものを感じるんですよね。ああ、バネが「風」を作り出すんだなって。つまり、中居さんの場合はカラダの線、つまり「外側」に意識を向かわせるわけですが、草��さんは「内蔵」されているシステムの存在を感知させます。
草��さんのお顔ってときどきライオンみたく思えるんですが、このライオンはたてがみを「風」にそよがしているのではなく、己のたてがみで「風」を派生させている、そんな気にすらなりますね。ばっさばっさと。
歩行の稲垣、ステップの香取、羽毛の木村
稲垣吾郎さんは「足」、香取慎吾さんは「脚」に目がいきます。残念ながら映像はあまり追いかけてくれてはいないのですが。
稲垣さんは、歩行のひとだと思います。どんなふうに歩くか。そこに留意していると考えられます。たとえば、舞台のお芝居なども、歩行に非常に心をくだいていらっしゃるのではないでしょうか。「Moment」も、歩行のニュアンスが多彩で、とても楽しい。単に優雅に歩いてみせる、ということではなく、ときにユーモラスな動きも交えながら、歩行の「愉しみ」を体現している、というのが正確かもしれません。
わたしなどは、あるときは、彼が水面の上を気持ちよさそうに歩いてように見えましたし、またあるときは、氷上をそっと慎重に踏みしめているようにも見えました。そんなふうに緩急をつけながら、目には見えないタイトロープをかたちづくっていきます。その姿は、仙人にも、ペンギンにも見えます。
つまり、歩くという行為を通して、場の床面みたいなものを浮上させます。
香取さんは、ステップのひとですね。ステップと歩行の違いをうまく表現することはできませんが、歩行がどちらかと言えば、足の裏=面を感じさせるのに対して、ステップは棒状の脚の先=点を意識させるとは言えるかもしれません。線ではなく、点から点に移動していく。それがステップです。
いままで、あまり意識したことがなかったのですが、香取さんはSMAPのなかで、最も正統派のパフォーマーかもしれません。かつて、森且行さんが担っていたポジションを、まったく違ったかたちで魅せているのが、香取さんという気もします。とにかく、ステージというフィクションに自覚的です。
ご存知のように香取さんはタッパがあります。なので、一見、肉体派に見られることもなくはないと思うんですが、アクションが非常にスマートなんですね。スマートというのがどういうことかと言えば、自己を主張しないということです。「主張しない」というのは意志です。「抑制する」という意識です。こうした意志や意識が宿っているからこそ、ステップがステップとして成立しています。
これが、案外、総体としてのSMAPの重要な点だと思いますね。
以前、わたしは、SMAPの歌の要は、稲垣さんと中居さんだということを話したと思いますが、SMAPというカラダの全体像は、香取さんによって統制されているのではないでしょうか。
SMAPには、ごった煮みたいな感じがないんですよ。バラバラな個性を闇鍋的に楽しんじゃえ、というようなワイルドさ、アウトドア感覚が、実はほとんどない。SMAPが何か、ということは一言では全然言えませんが、彼らは集合体として、決して混沌としているわけでもなければ、雑多な肌触りというわけでもない。このあたりの秘密は、どうも香取さんにあるような気がしますね。香取さんが、ある種SMAPの「ルール」になっているのかもしれない。たったいま、思いついただけなんですが。
さて、木村拓哉さんですが、彼だけが上半身、とりわけ「手」が印象に残るんですね。あくまでも「Moment」でのパフォーマンス、という限定付きですけど。
軽さがあるんです。宙に浮いてる、っていうのかな。中居さん、草��さんは、重めです。中居さんの線は太いですし、草��さんにはエンジン的な重量もある。あと、稲垣さんが水の上を歩いていると仮定すれば、香取さんは水のなかで抜き足差し足しているようでもあります。ところが、木村さんの動きには、水すら感じさせない軽さがある。
飛んでる、というのとはちょっと違うんですね。スピードではなく、静止を感じます。物体として止まっているというより、時間が止まっちゃってるみたいな感じを受けますね。
ちょっと、誤解を呼ぶ表現かもしれませんが、浮遊している、というのが、わたしのなかではとてもしっくりきます。映像や編集のせいかもしれませんが。
鳥の羽根、ではなく、羽毛が、舞いながら、下りていく。そういう感じ。
おろしたてのトリュフとかチーズとかも想起させますね。じゃあ、強引かもしれませんが、SMAPのカラダをパスタ料理の構成要素にたとえてみましょうか。
木村さんが、いま言ったようにトッピングだとすれば、麺はやっぱり中居さんかな。がっつりアルデンテですね。で、しっかりしたオリーヴオイルが、草��さん。稲垣さんはソースでしょう。コクのある味わいで、麺にもオイルにも絡んでいきます。香取さんはプレートであり、フォークであり、テーブルであり、クロスであり。すべてを、司っています。
まさに絶妙な適材適所だと思いませんか。
文:相田☆冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。