2014.10.28更新
香取慎吾は風呂敷である──『おじゃマップ』を観て思ったこと。
場を「居心地良くする」ということ
『おじゃマップ』を初めて観ました。
以前、香取慎吾さんにインタビューしたとき、ある流れから、この番組におけるザキヤマさんこと山崎弘也さんとのコンビネーションについて、熱く語っていらっしゃいました。2012年1月から始まったこの番組は、いまもなお、香取さんにとって、いい意味で発展途上にあり、それゆえにエキサイティングであり、また新鮮な気持ちのまま、とても大切にされていることが伝わってきました。
『27時間テレビ』でのザキヤマさんの活躍を踏まえて、『おじゃマップ』に接すると、香取さんにとってザキヤマさんとの出逢いがとても重要なことだったことがわかります。もちろん、回によって、番組のテイストもおそらく変化するのでしょうが、わたしが観た逸ノ城関登場の回では、香取さんは極力前に出ることなく、基本的にはザキヤマさんの仕切りに、番組を委ねているように感じました。
このときは、逸ノ城関がお世話になっている地元、川口のみなさんに感謝を伝えるという企画でした。つまり、一種の人情ロケーションバラエティですね。
ザキヤマさんは芸人さんですが、この番組は笑いに特化した番組ではありません。ザキヤマさんの、あの独特の騒々しい芸風を活かしたまま、この番組に、この番組ならではの風を吹かせるにはどうしたらいいか。画面のなかの香取さんは、そこに留意し、ザキヤマさんがのびのびと個性を発揮できるような環境づくりを、出演者としておこなっているように思いました。
香取さんは、メインゲストである逸ノ城関をセンターに据えつつ、番組の進行係、つまりMCをザキヤマさんに託し、それらすべての距離が、居心地のいいものになるように「設計している」ように思いました。
ザキヤマさんの騒々しさに拍車をかけるのではなく、自分が発言するときはザキヤマさんとはベクトルの異なるニュアンスで、香取さんは何かを言います。そのことで、番組全体が、まったり、和むのです。いわゆるボケとツッコミのような役割分担を、ザキヤマさんとしているわけではありません。もっと遠くからザキヤマさんを見守っている。この、なんとも大らかな「場」の作り方に、香取さんの明確なコーディネートを感じました。
ものごとを「包む」ということ
香取さんは、さり気なく、ボケてもいます。しかし、それは必ずしも、画面のなかで回収されなくてもいい、ツッコんでもらわなくても一向に構わない、といったふうで、細かくは書きませんが、実際、自らスルーしていくような風情が何度か漂いました。で、それが、すごくいいんです。くつろげる、というのかな。靴を脱いで、掘りごたつのお店に入ったときみたいな感じで。で、この感じが、後半効いてくるんですよね。
先ほどお話しましたように、この番組は人情ものですから、ほっこりしたほうがいいわけです。とはいえ、大仰に泣かせるようなドラマ性もおそらくは無粋で、もっと、何となく終わっていくのが望ましい。最終盤は、香取さんが〆ます。このときは、逸ノ城関の人柄を、地域の人たちとのつながりを讃えながら、この「マップ」を完成させていったのですが、わたしには、その様が、空になった重箱を、風呂敷で包んでいるような仕草に見えました。閉じる、というのでしょうか。そこには、日本人らしい礼儀が感じられて、とてもすがすがしかったのです。逆に言えば、風呂敷を包んでいる香取さんの姿から、もうそこにはない、重箱の中身を想像することもできました。
これは比喩の比喩ともいうべきことですが、わたしには、その重箱には「ばらちらし」が入っていたような気がするのです。海鮮が、そのままのった「ちらし寿司」ではなく、江戸前の仕事がしっかり施された、愛らしくも深い「ばらちらし」。小鰭、蛤、蛸、ゲソ、車海老のおぼろ、椎茸、胡瓜……職人の手仕事がきらりと光る、色彩感覚豊かな「ばらちらし」の様が浮かび上がってきました。このときは西内まりやさんが女性ゲストで、予告では来週は観月ありささんでした。香取さんは西内さんとはドラマで共演していますし、観月さんとは旧い間柄です。こうした女性陣との、程よく親密な関係性も、「ばらちらし」をイメージさせたのかもしれません。序盤ではおとなしかった西内さんが、番組が終わる頃には笑顔の花を咲かせていたことも、記憶に残っています。
香取慎吾さんは、鮮やかな色彩とデザインでありながら、しっかり和の精神に根ざした風呂敷のように、『おじゃマップ』に存在していました。
相田“Mr.M”冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。