2013.9.17更新
「ぶん:チョコザイ」による『シャボンだまのきせき』を体験する
CDを聴いて、絵本を読んで、そして
チョコザイくんへ
おげんきですか。いかがおすごしでしょうか。こっちはさしてもんだいもなく、みんなげんきでやってます。
チョコザイくんが「ぶん」をかいた『シャボンだまのきせき』がとどいたよ。ありがとう。
さいしょに、よみきかせCDをききました。つぎに、えほんをよみました。さいごに、CDをききながら、えほんをよみました。ぜんぶ、みっつとも、ちがうことのようだとおもいました。きょうは、ぼくが、そのとき、かんじたことを、じゅんばんにかいてみるね。
まず、いいなあ、とおもったのは、だいめいの「シャボンだまのきせき」と、そのしたの「ぶん:チョコザイ え:こう」というのを、チョコザイくんがよんでいることでした。チョコザイくんがかき、チョコザイくんがよんでいる。そのことが、なんだかとてもうれしいなあ、とおもったのです。そのあと、すぐに「ねえ ねえ あめが ふってるね。こんな ときは だいすきな ひとのことを おもいうかべるね」というチョコザイくんのこえがきこえてきました。
チョコザイくんのひとりごと、みたいなきもしたし、だれかにはなしかけているようにも、きこえました。「ねえ ねえ」という、よくしっているチョコザイくんのこえが、いつもとちがうかんじもありました。ちかくにいるのに、とおくにいる。そんなきもちになったのです。
びっくりしたのは、ほりきたまきさんが、ひとり3やくもやっていたことでした。チョコザイくんは、チョコザイくんのこえだけ。しんこうやくは、ほりきたさんだし、おんなのこのこえも、いぬのこえも、ほりきたさんです。つまり、だいぶぶんは、ほりきたさん。チョコザイくんは、じぶんでかいたえほんだから、ちょっとてれくさかったのかなあ、とおもいました。
目なのか、耳なのか、こころなのか
えほんだけをよんだとき、いろいろなことに、きづきました。おんなのこは、あかいかさをさしていて、あかいはなにはなしかけていたのですね。そして、ずっととおくにいるとおもっていたチョコザイくんは、じつはちかくにいて、おんなのこのそばにいたんですね。あめはずっとふっていて、チョコザイくんはフードをかぶって、ぬれていた。チョコザイくんが、かぜをひかなかったか、ちょっとしんぱいでした。
みみできいてイメージすることと、めでみてかんじることは、ぜんぜんちがうなあと、おもうとどうじに、なんだか、ちょっぴり、さみしいようなきがしました。こえだけでしっているひとに、やっとあえたら、なんだか、おもっていたのとは、すこしちがうひとにかんじられた、そんなふうなことをおもいました。えほんをさきによんでいたら、どうだったんだろう? そんなことも、おもいましたが、ぼくは、まずCDをきいた。だから、もう、いまさらやりなおしても、おそいのです。そもそも、ぼくのみみは、まえからチョコザイくんのこえをおぼえているし、それは、ここにかかれている「ぶん」や「え」よりも、ずっとずっと、チョコザイくんをかんじさせるもの。ぼくは、どうやら、めよりは、みみで、チョコザイくんのことを、きおくしていたのだなあ、とおもいました。
シャボンだまのように、虹のように
CDをききながら、えほんをよむと、そうか、そういうことだったのか、とやっといろんなことが、わかったようなきがしました。えをながめながら、チョコザイくんのこえをきいたり、チョコザイくんのいってることを、じでかくにんしながらきいたりしていました。どっちでもいいんだな、とおもいました。えをみててもいいし、じをよんでいてもいい。ふしぎなことに、そうすることで、おなじはずのチョコザイくんのこえが、それぞれ、ちがったようにきこえてくるのです。
チョコザイくんはふしぎなはなしかたをするけれど、それはあめがふるようすにちょっとにているとおもいました。「ぼく チョコザイ」というときの、ちょっとしたにさがるようなこえは、あめがじめんではねあがるすがたをおもいださせてくれます。そして「ねえ ねえ」というチョコザイくんのこえは、シャボンだまがふくらんだときに、そのいろにうつっている、ぼくたちがいつかみたはずのにじみたいに、やわらかい。そうかんじることができました。
「いつでも あえるよ。いつも きみの となりに いるよ」。いまは、とにかく、チョコザイくんのこのことばをしんじることにします。チョコザイくんは、とてもとおくにいるようなきがするけれど、でも、すぐちかくにいるのだなあとおもいます。それだけかいて、ペンをおきます。
それじゃまた。
とうじ
ついしん。チョコザイくんの「あれれれれ」がすきです。
文:相田冬二
※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。