2015.3.10更新
SMAPは「町」を歌う──『震災から4年 "明日へ"コンサート』を観て
小さなつぶやき
「震災から4年 "明日へ"コンサート」を観た。SMAPが歌ったのは、計3曲。
オープニングは、「がんばりましょう」だった。この曲は、2013年のこの番組でも歌っている。6人時代のSMAPの代表作。名刺がわりといっていい曲だ。1995年の阪神淡路大震災のときも、多くのひとの心に届いたと思うし、やはりこれはSMAPにしか歌えない曲だとあらためて思う。
この曲が、日本のみならず世界中に数多ある応援歌の類と根本的に違って聴こえるのは、当時のSMAP曲の基礎であるフュージョンサウンドが渓流のように、鳴り響いている点に理由がある。ほとんどの応援歌が、汗臭かったり、押しつけがましかったり、単純に体育会系だったりするのに対して、「がんばりましょう」は、実直なタイトルに反して、とても涼しげで、一切の強制力がはたらかない。そもそも応援歌というものは、勇ましくマーチ調だったり、無闇に肩を組んで密着したり、無理矢理泣かせるようなバラードだったりするものだが、一貫して、つぶやきのペースを乱さない「がんばりましょう」は、ジャズのクールネスとファンクの軽快とが風通しの良い時空を構築しており、声の投げかけに、適度な距離感がある。もっともらしい絶望も、無責任な希望もそこにはない。ただ、「とりあえず がんばりましょう」とSMAPは歌う。「とりあえず」はビールの枕詞でもあるが、そんな「がんばらなさ」によって、わたしたちは、力むより、ほっとするのである。
この夜の歌唱を聴いて感じたのは、SMAPの歌は息を吸い込むことより、息を吐き出すことを大切にしているということだった。それが、強制力のなさにつながっている。「がんばりましょう」は合唱に向かない。だれかに向かって「がんばれ」とは叫ばない。「がんばりましょう」とひとりごちるだけ。我慢しなくていいよ。気楽にいこうぜ。これはそんな、小さなTweetなのだ。だから、たぶん応援歌ではない。
まあるいかたち
SMAPの歌は、「町の歌」だと思う。たとえば、この夜、「北の漁場」と「まつり」を歌った北島三郎の軸足は明らかに、ローカルな風土そのものにある。極太な景色と言い換えてもよい。SMAPが歌うのは、そのような明瞭な情緒ではない。もっと華奢で、とりとめのない、さらに言えば、特定できない、どこかの「町」のすがたが歌われている。とはいえ、SMAPの方向性は決してアーバンでもなければ、シティでもない。つまり「街」ではない。あくまでも「町」である。
「町」はいたるところにある。全国に無数の「町」があるし、生活圏内から一歩足を踏み出せば、そこは隣の「町」だし、おそらく、あなたの胸の奥にも、わたしの頭のなかにも「町」はある。「ふるさと」とは別の「町」がある。この夜のSMAPの落ち着いた歌唱は、そのことを気づかせた。
中盤の「世界に一つだけの花」は、その「町」の「路地」についての歌だろう。そして、エンディングの「ありがとう」は、この「町」がどんなかたちをしているかについての歌だろう。この夜のステージと同じように、「町」は、まるいかたちをしている。つまり、円。つまり、縁。
3曲とも、2011年以前に発表された曲である。SMAPは、ずっと前から、福島について、神戸について、東北について、関西について、日本について、ひとりひとりのなかにある「町」について歌っていたのだと、この夜選ばれた3曲は伝えていた。
そして「町」は、これからもつづいていく。SMAPは、歌いつづける。
相田“Mr.M”冬二※このコラムは、楽天ブックスのオリジナル企画です。