西暦 |
内容 |
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| 1906年 |
2月24日にドイツ移民のカール・レムリー (Carl Laemmle) が39歳でシカゴにホワイト・フロント・シアターをオープン。この映画館がレムリーがオープンした一連のニッケルオデオンの1館目となる。10月1日にレムリー・フィルム・サービスを設立し、映画配給のビジネスを開始。 |
 カール・レムリー |
| 1909年 |
カール・レムリーがインディペンデント・ムービング・ピクチャー・カンパニー(Independent Moving Picture Company of America、略称IMP)を創立。このIMPの創立を機に、レムリーは映画業界の3つステップ(劇場公開・配給・製作)すべてに関与することとなる。
10月25日にIMPはスタジオ作品第1作目の「ハイアワサ の歌」(Hiawatha) をリリース。 監督はWilliam Rancous氏によるもので、ニュージャージー州の Coyotesvilleにおいて撮影。 |
 1909年 「ハイアワサの歌」(Hiawatha) |
| 1911年 |
IMP はハリウッドのサンセット大通りとガウアー通りにあった最初の映画撮影所を買収。 |
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| 1912年 |
4月30日にニューヨークでユニバーサル・フィルム・マニュファクチャリング・カンパニー (the Universal Film Manufacturing Company) を設立。 2か月間での数回にわたる取締役会が開催された後、IMP社(カール・レムリ)はパワーズ・モーション・ピクチャー社(パット・パワーズ)、レックス・モーション・ピクチャー社(ウィリアム・スワンソン)、チャンピオン・フィルム社(マーク・ディンテンファス)、ネスター・フィルム社(ディビッド・ホースリー)およびニューヨーク・モーション・ピクチャー社(チャールズ・バウマンとアダム・ケッセル)との合併により、この新会社 が設立された。 |
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| 1913年 |
ユニバーサル初のニュース映画「The Universal Animated Weekly」が登場。
George Loane Tucker監督による「Traffic in Souls」がユニバーサル初の主要映画。白人奴隷の人身売買というセンセーショナルなストーリーであったこともあり45万ドルの総収益を上げる。 |
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| 1914年 |
カール・レムリの依頼で、Isadore Bernstein氏が230エーカーのテイラー牧場を16万5千ドルで購入。この土地が後のユニバーサル・シティーとなる。
「Damon and Pythias」がユニバーサル・シティーで撮影した最初の主要作品。 |
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| 1915年 |
3月15日にユニバーサル・シティーは正式にオープンし、3日間におよぶイベントとアクティビティーで新しい映画の中心地を披露。15,000人以上の人々がこの催しに参加し、その後、一般の人々が25セントを支払って撮影中の映画セットの見学を許可された。
10月27日にジェネラル・エレクトリックの創業者であるトーマス・エジソンが世界初の電化スタジオの除幕式のためにユニバーサル・シティーを訪問。 |
 1915年ユニバーサル・シティーでのトーマス・エジソン |
| 1916年 |
ハリウッドで最も初期の女性映画制作者の1人であるLois Weber氏による監督・脚本作品「暗中鬼」(Where Are My Children?) がユニバーサルに300万ドル以上の総収益をもたらす。 |
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| 1917年 |
カール・レムリが18歳のアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg)を雇う。この年の終わりには、タルバーグ はユニバーサル・ピクチャーズのアシスタント・マネージャーとなる。 |
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| 1919年 |
シュトロハイム (Erich von Stroheim) がユニバーサルで初映画「Blind Husbands」を監督。 |

シュトロハイム (Erich von Stroheim) 監督 |
| 1920年 |
5月にカール・レムリとロバート H. Cochrane がパトリック・パワーズの所有するユニバーサル所有権を獲得。 |
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| 1924年 |
ジュールズ・スタイン博士(Dr. Jules Stein) とウィリアム・グッドハート(William R. Goodheart Jr.) が、生演奏およびラジオの芸能プロダクションとしてシカゴでミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカ(the Music Corporation of America MCA)を結成。MCAは1962年から1994年までユニバーサルの親会社となる。 |
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| 1925年 |
ユニバーサルの「オペラ座の怪人」(Phantom of the Opera) が公開される。ロン・チェイニー主演。
ユニバーサルの株式がニューヨーク証券取引所に初めて上場。 |

1925年「オペラ座の怪人」(The Phantom of the Opera) |
| 1928年 |
ユニバーサル初のトーキー映画「Melody of Love 」が公開される。
「ウサギのオズワルド」(Oswald the Rabbit) や「ウッディー・ウッドペッカー」「アンディ・パンダ」の製作者であるウォルター・ランスがアニメーターとしてユニバーサルに加わり、のちにフリーのプロデューサーとなる。 |
 ウォルター・ランツ(左)とカール・レムリ(右) |
| 1929年 |
カール・レムリは息子であるカール・レムリ・ジュニアを21歳でユニバーサルの製作責任者の地位を与える。カール・ジュニアはスタジオの方針を大きく変更し、“プログラマー”よりも一連の有名な映画を重視するようになる。 |
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