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スペシャル特集vol.03ジャンル別インタビューシリーズ「芸術」能楽師 川口晃平氏

ジャンル別インタビュー「芸術」

『これも学習マンガだ!』の11ジャンル(※)を1ジャンルごとに各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画。第2弾は「芸術」ジャンルを取り上げます。能楽師であり、漫画家のかわぐちかいじ氏を父親にもつ川口晃平氏に「芸術」選書作品についての感想や、マンガの力について伺いました。
(※)「文学」「生命と世界」「芸術」「社会」「職業」「歴史」「戦争」「生活」「科学・学習」「スポーツ」「多様性」の11ジャンル

  • 川口晃平
    川口晃平(Kohei Kawaguchi) 能楽師
    シテ方観世流能楽師、梅若会所属。昭和五十一年、漫画家かわぐちかいじの長男と生まれるも、慶應義塾大学在学中に能に魅せられ、能の道を志す。大学卒業後の平成十三 年、五十六世梅若六郎玄祥に入門。その年復曲能「降魔」にて初舞台。平成十九年独 立の後、今までに能「翁」の千歳、能「石橋」「猩々乱」「道成寺」を披く。舞台に立つ傍ら、能楽普及のレクチャーを各地で行う。
  • 山内康裕
    聞き手
    山内康裕(Yasuhiro Yamauchi)『これも学習マンガだ!』選書委員
    1979年生。法政大学イノベーションマネジメント研究科修了。2009年、マンガを介したコミュニケーションを生み出すユニット「マンガナイト」を結成し代表を務める。
    イベント・ワークショップ・デザイン・執筆・選書(「このマンガがすごい!」等)を手がける。また、2010年にはマンガ関連の企画会社「レインボーバード合同会社」を設立し、マンガに関連した施設・展示・販促・商品等のコンテンツプロデュース・キュレーション・プランニング業務等を提供している。主な実績は「立川まんがぱーく」「東京ワンピースタワー」「池袋シネマチ祭」など。「DOTPLACE」にて『マンガは拡張する』シリーズを連載中。「NPO法人グリーンズ」監事、税理士なども務める。

ひとつの事に本気で取り組む人生を追体験

山内 今回選出された「芸術」ジャンルの作品を読んでみていかがでしたか?

川口なにかひとつの道を愛している人を主人公にした作品が多かったと思います。自分がこういう仕事(=能楽)をしているので身につまされました(笑)。平凡な人の中に、実はすごい素質が眠っていて、それが呼び覚まされることで平凡な人から非凡な人に変わっていったり、普段の生活ではなかなか出会わないジャンルのもの(将棋、能、落語など)に出会って、自分の生き方を見つけていくというような作品が多かったと思います。

山内 特に印象に残った作品は何ですか?

川口どれも面白かったのですが、『昭和元禄落語心中 』は芸事の話で、住み込みの内弟子も出てくるので、能の世界に近いと感じて、ぐっとくるシーンが多かったです。師匠と弟子の関係や、業界の決まりごとについても描かれていますよね。伝統芸能はとかく旧弊な世界だと思われがちです。 現代人からすると縁遠いし、自分がそこに入っていくという発想はなかなかないですよね。古臭い決まりごとに絶対従わなければいけない窮屈なところ、嫌なところ、と思われてもいるでしょう。でも、伝統芸能には現代社会にはない素晴らしさが必ずあります。私はこの道に入ってそれを日々ひしひしと感じていて、『昭和元禄落語心中 』を読んでいると、そういう気持ちが呼び覚まされました。

山内ヒカルの碁 』はどうでしたか?少年マンガの王道で読みやすいですよね。

川口絵が巧みできれいですよね。キャラクターも役割がしっかりしているから、見ていて安心できる。一方で、扱っている題材が碁というのが思い切っていますね。週刊少年ジャンプ(以下、ジャンプ)でよくやったな、と思います。

山内私は大学生の頃、『ヒカルの碁 』がきっかけでジャンプを再び買うようになったんです。『ヒカルの碁 』の魅力の一つは作品の中の時間と自分の生きている世界の時間がほぼ一緒に進むところだと思います。現実世界で1ヵ月たったら、ヒカルの世界も1ヵ月たっているんです。であるならば、ジャンプを毎週タイムリーに読まなきゃだめだ、と思って購読するようになりました。同じ時間を進んでいるからこそ、強い共感を呼びますよね。実際、当時ヒカルと同じ年代の碁を始めた子供は多かったと思います。

川口神童』もとても良かったです。父の言葉ですが、「映画にひとつだけマンガがかなわないことがある。それは、音楽が使えないことだ」と。たしかにそうだな、と私も思っていて。ところが、『神童』を読むと音楽の表現がとても優れているんですよね。特に音楽を魚が泳ぐ姿で表現しているところはすごい。ああ、この人は音楽を描ける人なんだな、と思いました。父の言うことはたしかにそうなんだけれど、読み手のイマジネーションによってマンガにも音楽が補完できるのかな、と思いました。

山内ちはやふる』はどうでしたか?

川口こういう「競技かるた」のような日本の伝統的なものにスポットライトを当ててくれるのはありがたいですよね。和歌の世界は能の世界にもつながります。この作品を子どもが読んで、自分の進む道の選択肢として競技かるたや和歌の世界が入ってくるととても良いですね。
ちはやふる』だけでなく、「芸術」ジャンルの各作品に登場する、何か1つのことに本気で取り組んでいるキャラクターを見て、自分の生き方に喝が入った気がします。自分が受け持ったもの、好きなものに対して、本気でその仕事や持ち場を愛して、本気で取り組む人がひとりでも増えたら、この国はもっとまともになっていけるんじゃないかと思います。「本気な人」の人生をマンガで追体験するというのは実はすごく教育上いいことなんじゃないかなと思うと同時に、マンガの力を再確認しました。

「芸術」って言葉は嫌いなんです

山内 「芸術」ジャンルは、選書時に実は裏テーマがあって。選書作品を全部読めば日本の芸術の大枠がある程度みえるという視点で選んだところがあります。なので、かるたや碁など、伝統的なものを題材にしている作品が多く選ばれていますね。

川口 私、実は「芸術」という言葉が嫌いで。「芸術」という言葉は明治維新後に西洋の列強に追いつかなければいけない日本が、実際には西洋に追いつけないけれど、近づきたいと思ったときに、それならば「アート」をしなきゃいけない、となって、「芸術」という言葉を編み出したんだと思うんです。「芸術」という言葉には、呪いのように、西洋にはかなわないという気持ちが含まれているんですよね。 かくいう私も実は子どもの頃は芸術好きで、芸術家になるんだと大口をたたいていました。
父が漫画家をやっているのに、思春期のころはマンガを軽視していて、「あれは芸術じゃない」と思っていました。 そんな時に、能面を見る機会があって、とてもショックを受けました。日本は、「芸術」という言葉を作る前のほうがはるかに豊かな表現をしていたんだな、と気づきました。それまで、美というもの、表現というものは日常にあったのに、「芸術」という言葉を作ってしまったがために、それらを崇高なものにしてしまった。美や表現が自分の身から離れてしまったと感じました。この能面との出会いがきっかけで私は美大に行くのをやめ、能楽師になったんです。

山内 日本の伝統的な表現と「芸術」の表現の違いってなんだと思いますか?

川口「芸術」って、自分の人間性を発現して、個人を表現するものだと思うんですが、能は個人表現じゃなくて、集団表現なんです。個人表現は自分で完結してアウトプットしていくのが王道ですが、能は個人表現をしつつ集団になっていく。言い換えると、それぞれが個人表現したものが和になってひとつの表現になるということです。浮世絵もそうですよね。下絵を描く人、版を彫る人がいて、摺師がいて、といった具合で。ひとりの思いではなくて、それぞれの持ち場で力を発揮していく人たちがひとつになることによって、ひとつの表現になっていくんですね。
そう考えるとマンガもまさにそう。原作者がいて、絵を描く人がいて、編集者やアシスタントがいる。まさに、集団の中から生み出されていくものです。現代日本で「芸術」の弊害を免れているものがマンガなんですよ。私の考えでは、日本の「芸術」はとっくの昔に行き詰りを迎えています。でも、集団表現たるマンガはまだまだみずみずしく生きているな、と思っています。日本はまだまだ捨てたもんじゃないなと思いますね。

余白の豊かさ ~能とマンガの共通点~

山内 マンガ制作にかかわる人の人数もポイントですよね。映画やアニメのように、関わる人が多すぎると場合によっては個人の強い想いが薄まってしまうことがあると思います。 マンガの具体的な表現についてはどうお考えですか?

川口 省略がとてもうまいですよね。子供の頃、父の職場にヨーロッパやアジアの若手マンガ家が作品を見せにくることがあって、その時に私も見せてもらっていたのですが、その作品がどうにもこうにも退屈なんですよ。なぜ退屈か?と考えてみると、このコマに描ききらなかったから次のコマに移る、という絵コンテのようなコマ運びがどうやら退屈の原因のようなんですね。日本のマンガは「飛ぶ」んです。例えば決戦シーンで、空の絵のコマがあって、次のコマでは次の日になっているとか、一気に「飛ぶ」。この「飛んだ」コマ間で起きたことは、読み手が頭の中で構築するわけです。

山内 たしかに、全体のストーリーをみせるための日本のマンガのコマ構成は洗練されていますよね。

川口 無意味のように思えるコマが、実はすごく効果を生むことがあります。それってどういうことかというと、省略するのがうまいからなんですよ。余白使いがうまいとも言えると思います。余白の正体はイマジネーションを呼び込む隙なんです。 マンガを読む行為って実は非常に知的な行為なんですよね。コマをつなげるイマジネーション、セリフをつなげるイマジネーションを働かさないと読めない。アニメだっだら全部動いてくれるところを、マンガはすべて頭の中で再構築して読むわけです。
余白を作るのは日本人の得意なところで、例えば、俳句は短歌の五・七・五・七・七の七・七すら取ってしまうことによって、七・七があるときよりも豊かな表現があるんじゃないかという考え方ですよね。
能もまさにそうで、例えば、悲しみを表すシーンでは涙を抑える形だけで、見ている人が、あの人は今悲しみの中にあるんだと理解して共感するんです。わからなくなるぎりぎりのところまで表現をそぎ落とします。

山内 なるほど、全てを表現しきらず、余白を作っておくんですね。

川口 そうです。今日、能面を持ってきたのですが、能面もまさに余白使いを活かした表現です。

左、江戸初期の「孫次郎」という面。作者は出目洞白。右、江戸初期の「般若」の面。こちらも作者は出目洞白。状態は良くないが味がある。

左、江戸初期の「孫次郎」という面。作者は出目洞白。右、江戸初期の「般若」の面。
こちらも作者は出目洞白。状態は良くないが味がある。

能面ってよく無表情って言われますけど、「無」なんじゃなくて、中間的表情なんですよね。
悲しくも見えるし、嬉しくも見えるし、うつむくと少し悲しげで、仰向けると思いが晴れたような表情にもみえるように計算して作られているんです。これもやっぱり余白だと思います。笑っている顔、怒っている顔のそれぞれの面で1時間の演劇ってできないですよね。ずっと怒ってるわけにはいかないし。こういう中間表情の能面であれば同じ面で1時間もちます。ひとつの面でいろんな感情、シーンを表現できるというわけです。

山内そういわれて能面をみると、いろんな表情に見えてきますね。想像力が働きます。

川口これは師匠の受け売りですけど、10割の表現のうち、3割カットして7割で表現すると、その3割分に対して、それを見ている人がイマジネーションを働かせることになる。演者が10割の表現を見せるよりも、その受け手のイマジネーションによって3割が補完された10割のほうが豊かである、ということなんです。受け手のイマジネーションによって、受け手が100人いたら100通りの能の舞台が展開する。その方が豊かですよね。
同じような働きがマンガにもあると思っています。余白づくりがうまいのは、おそらく読み手のイマジネーションを信頼しているからです。なぜ信頼できるか?というと、日本が平和で、ずっと同じ土地に住んでいたということが大きいと思います。もちろん、何度も争乱はあったけれど、根こそぎ土地から民族がいなくなるようなことはなかったですよね。そこに2000年間以上生きてきた日本人にはイマジネーションを共有できているという安心感があって、その中で余白使いが洗練されていったのではないかと思うんです。

山内大変興味深いですね。マンガを読むと、余白へのイマジネーションの働かせ方が自然に身に着くかもしれないですね。

川口日本人はマンガを読むことでこどもの頃から訓練されているんですよ。余白ありきの表現を楽しむ方法を身につけているんだと思います。そういった意味で、日本のマンガは本当に洗練されているなあと改めて思います。

父、かわぐちかいじの作品について語る

山内川口さんは、漫画家のかわぐちかいじ先生の息子さんでもいらっしゃいます。かわぐち先生の『沈黙の艦隊』は「これも学習マンガだ!」の「社会」ジャンルで選出させていただいています。お父様の作品は普段から読んでいますか?

川口肉親の描くマンガってどこか気恥ずかしいんですよ。実は読みにくいんですが(笑)
でも手前味噌ながら、『ジパング 深蒼海流』は面白いです。平家物語が題材になっているんですが、平家物語って、よく能で演目の下敷きになる話なんですよね。 私も今年巴御前を舞いました。父が『ジパング 深蒼海流』を描き始めたときに、何故描くのかと聞いたら、「源平時代の日本人に会いたいだろ?俺は会いたいから会いに行く」と(笑)。
つまり、父はマンガを描くことによって、自分がその世界を旅しているんですよね。だから好奇心が色あせないんだな、と。世界で遊ぶためのツールが父にとってマンガなんだと思います。
だから、現場で、当事者として今回は源平合戦を自分で見てみたいと思ったんだと思います。今、父は60代後半ですが『ジパング 深蒼海流』の絵がすごく若々しいので、今まさに源平合戦を目撃していて、本人がすごく楽しんでいるんだと思います。
あと、私、取材旅行に同行したんですよ。瀬戸内海をずっと船で行って壇ノ浦まで。そのツアーは私にとってもとても勉強になりました。日本という国は、陸路よりも水路でできた国なのだということがよく分かりました。陸路だったら、「津々浦々」っていう必要ないじゃないですか。海から日本を見たときに、それを非常に感じて。父は尾道という港町で育って、家業がタンカーに燃料を売る仕事だったので、子どもの頃から船に乗って育っているんですよ。その感覚があるので、マンガに絶対船がでてくる。あと、タイトルにいちいち海をつけたがる(笑)。
源平合戦は瀬戸内海を舞台にしているので、瀬戸内海が自分と源平合戦をつないだと思っているかもしれませんね。

山内「マンガが世界で遊ぶためのツール」という作家の視点は目からうろこでした。こういうエピソードを聞いてからまた作品を読むといっそう味わい深いマンガ体験になりそうですね。本日は、大変興味深いお話をたくさん聞けて嬉しかったです。ありがとうございました。

構成・編集 岩崎 由美

対談中に紹介されたマンガ一覧

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