『これも学習マンガだ!』のマンガ11ジャンルを各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画、 第6弾は「多様性」ジャンルを取り上げます。広島県福山市にあるアール・ブリュット専門の美術館、鞆の津ミュージアムの学芸員津口在五氏に「多様性」ジャンルの選書作品についての感想や、価値観を揺るがすおすすめマンガの紹介をしていただきました。
「これも学習マンガだ!」の11ジャンル(※)を1ジャンルごとに各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画。第6弾は「多様性」ジャンルを取り上げます。広島県福山市にあるアール・ブリュット専門の美術館、鞆の津ミュージアムの学芸員津口在五氏に「多様性」ジャンルの選書作品についての感想や、価値観を揺るがすおすすめマンガの紹介をしていただきました。
(※)「文学」「生命と世界」「芸術」「社会」「職業」「歴史」「戦争」「生活」「科学・学習」「スポーツ」「多様性」の11ジャンル
山内 まず、鞆の津ミュージアムについて教えてください。
津口広島県福山市鞆の浦にあるミュージアムで、主に「アール・ブリュット」とか「アウトサイダー・アート」などと称されるような創作物を展示する展覧会を行っています。運営は社会福祉法人 創樹会で、日本財団アール・ブリュット支援事業の一環として2012年に開館しました。知的障害や精神障害のある人たちがつくった作品をはじめ、社会の「周縁」にいる人たちが人知れず生活の中で生み出したものなど、一般的にみれば価値がないとされたり、無視されがちな表現を展示することを通じ、世の中に多様性をもたらすことをひとつの理念として、企画・運営をしています。私はそこで学芸員として働いていまして、共同で企画展のコンセプトをつくったり、出展作家や作品を選んだりしてきました。
山内津口さんはミュージアム母体の福祉施設でもお仕事されているんですよね。
津口そうですね。鞆の津ミュージアムと平行して、母体が運営する知的障害のある人たちの入所施設でも働いています。私は生活支援員という形で食事や排泄、着替えや入浴の介助などの支援を行ってきました。
山内鞆の津ミュージアムで学芸員をやるようになったのにはどんな経緯が?東京芸大ご出身ですよね。
津口芸大では美学や美術史を勉強していて、直接はアウトサイダー・アートの研究をしていたわけではないんです。ただ、都築響一さんの『珍日本紀行』とか根本敬さんの『因果鉄道の旅』などを読んだりして、アウトサイダー・アート的なものがずっと好きだったこともあり、趣味でそういった作品を見たり、関連する本を読むという感じでした。卒業後は自分が所属していた研究室の助手をしたり、地元の尾道に帰ってきてからは本屋で働いたりしたんですけど、ある時「現場」に行った方がいいんじゃないかと思って、5年前に障害福祉施設での仕事を始めました。鞆の津ミュージアムには当初、お客さんとして通っていたのですが、開館後1年経った頃、鞆の津ミュージアムを運営している現在の法人に移ってくることになり、そこから学芸員としての仕事をするようになったという感じです。
山内マンガは子どもの頃から読んでいましたか。
津口昔、『テレビマガジン』とか『てれびくん』という雑誌に読者投稿コーナーってありましたよね。幼稚園くらいの時、それにオリジナルのロボットとかの絵を送ったりしていました。投稿して賞をもらえると、切手が送られてくるんですよ。3回くらいもらったかな。
山内(笑) 確かに当時は切手でしたね。
津口その後、小学2年生の時に「週刊少年ジャンプ」を初めて買ってもらって。『ドラゴンボール』が始まった頃ですね。そこから高校3年生くらいまで買い続けました。ちょうど『ドラゴンボール』が始まってから終わるまでかな。
山内大学では根本敬さんなどガロ系に?
津口そうですね。雑誌『宝島』を読んでいた高校の時の友人の影響で、根本敬さんやガロ関係のマンガを読むようになりました。花輪和一や諸星大二郎とか。
山内ジャンプのような王道少年マンガからガロまで幅広く読んでいますね。今回の「多様性」の選書作品はどういう風に受け取りましたか。
津口まず、すごいと思ったのは『ガキのためいき』。これはアスペルガー障害を持つ著者自身の子供時代を描いたエッセイ風の作品ですよね。さすがに当事者が描くものには圧倒的な分かりやすさがあるなと。今、医療や障害福祉の領域に「当事者研究」と言われる方法論があって、それはこの著者の沖田さんのような発達障害のある人や精神疾患をもった人などが主観的に自らの経験を分析したり、他者と対話することで新たな視点から自らの障害と向き合ったり、社会との関係性を変えていこうとする試みなんですが、それのマンガ版だなという感じがしました。非常に面白かったです。選書された作品群を見ると、この『ガキのためいき』と『どんぐりの家』が実録に近いという感じですよね。
山内その『どんぐりの家』はどうでしたか。実在のろう学校がモデルとなっている作品です。
津口実際、障害福祉施設に行ったことが無い人には、もしかしたら「本当にこんなことがあるのかな」と感じるかもしれないですよね。でも、私は子どもの知的障害施設でも働いていたことがあるのですが、実際に結構こういう感じの困難な現実はあるなと。凄くリアルに描かれていると思いました。
山内『ハッピー!』はどうでした?
津口このお話は中途失明者の苦悩が描かれたものですけど、例えば先天的に失明している人が主人公だとしたら、全く違うマンガになったんじゃないかなと思います。伊藤亜紗さんの『目の見えない人は世界をどう見ているのか』という本があってとても面白いのですが、そこでは、視覚障害を単純に五感の内のひとつのモダリティが欠損していることだととらえるんじゃなくて、視覚以外の感覚を使って「健常者」とは違うやり方で世界を構築している人っていうとらえ方もできるんじゃないかと言われていまして。そういう障害のある人の中にある様々な方法での世界のとらえ方にふれることを通じて、「健常」とか「普通」であるとはどういうことなのかを考えるきっかけになればいいですよね。
山内新しい視点に気づくきっかけを提供するということはまさしく「これも学習マンガだ!」のひとつの目的でもあります。実際に学習参考書的な意味ではなく、学ぶきっかけになるものを意識して選書をしました。例えば「歴史」ジャンルであれば、まずマンガで歴史上の人物に興味を持って、絵でビジュアルイメージを持ったら、歴史小説がぐっと読みやすくなるとか。学びの導入部としてマンガの果たす役割は大きいと思います。
山内『ファンタジウム』は比較的最近の作品です。
津口読字障害の少年が主人公ですよね。なかなか目に見えにくい障害だと思うので、これを読んで、なるほどこういう障害があるのだなと知るのにとても良い作品だと思いました。
山内親世代がよく読んでおくのも良いですよね。
津口それはありますよね。あと、もちろん子どもにも読んで欲しい。鞆の津ミュージアムでは、いわゆる一般的には「おかしい」「変」「無意味」「無駄」と思われるかもしれないような表現を展示しているんですが、その展示空間に子どもたちが入ってくると「見てはいけないものを見た」みたいな反応をして、ギャーって言いながら館内をぐるぐる回り出したりするんです。でもそのような「おかしい」「無意味」と思われるかもしれないけれど、現実に存在している多様な表現を子どもの頃に大量に浴びておくと、生きていくうえで心が広くなるんじゃないかと思っていまして。「この世にはいろんな人がいて、いろんな生き方があるんだな」みたいな感じで。鞆の津ミュージアムの展示にはそういう学校では教えてもらえないような混沌とした現実のあり様を伝えるという教育的な意味があるといいな思っています。逆に価値観の幅が広がりすぎて、混乱しちゃう可能性もあるかなとも思いますが。
山内そこは難しいところですね。
津口はい。でも、子どもの頃からいわゆる「きれいなもの」ばかり与えられていると価値観がカチッとはまっちゃって、そのせいで生きにくくなってしまうことがあるかもしれないと。そういう意味で、マンガという切り口で多様性を見せてくれる「これも学習マンガだ!」は、いいやり方だなって思います。
山内興味の違いは人それぞれにあると思うけれど、1作でもビビッとくるものがあったら嬉しいですよね。例えば『聲の形』にはほとんど耳の聞こえないヒロインが出てきますが、障害者が出てくるマンガというよりは一般の少年マンガとして話題になった人気作品。絵も今風です。
津口『放浪息子』も今風の絵柄ですよね。物語として凄く上手く出来ていると思いました。「服を着る」ということと「性を取り換える」ということが同じレイヤーで語られている感じ。僕らが身に付けているジェンダーも不変ではなくて、実際には服を着るみたいなものなんじゃないかと。着替えることができるということを忘れているだけで。そう気づかせてくれる素晴らしい作品です。価値の底が抜けている世界観が僕は好きなので。
山内価値の底が抜けるというのは?
津口この世界には変えることのできない決まりごとなどはない、という感じでしょうか。私たちはある既存の価値観にもとづいて、ものごとの善し悪しなどを判断しながら生きているわけですが、実はその価値観も絶対的なものではありえないという考え方です。性別についてもそう。絶対的な「これ」というものなんてないんですよね。交換可能だったり、脱いだり、重ね着したりできるようなものなんじゃないかと。
山内たしかに。「多様性」の作品を見渡してみるとどの作品も固定観念を一度考え直すきっかけになりそうですよね。『すみれファンファーレ』はどうでしたか。
津口家族をどうやって作っていくかという話だと思いました。主人公の両親は離婚して母子家庭ですけど、友達のお父さんや家庭教師のお兄さんが出てきたりして、事実上の父や兄に近い存在として描かれている。そういうゆるく繋がっているものを家族と称することにすると、もっと生きやすい部分があるんじゃないかと思ったりして。例えば、私が今働いている施設などでもそうですが、そこで生活している人たちはお金を払って施設を利用するかたちで福祉的サービスを受けているので、ある種の「お客様」という面があるんですよね。そういうこともあるので、支援上、ある程度の「距離」を保つべきだと一般的に言われるのもわかります。でも、生活している皆さんにとっては施設が家でもある。だから職員ともいわば疑似家族みたいになっていくところもあるんじゃないかと。そういう場合の適切な距離感とか関係性をどうやってつくっていくのかということや、血縁じゃない家族の在り方について非常に興味がありますね。
山内『光とともに…〜自閉症児を抱えて〜』は自閉症児とその家族の物語です。
津口『どんぐりの家』にも出てきましたが、この作品でも描かれているように、障害のある子どもが親亡き後にどうやって暮らしていくかというのは大きな問題です。実際、どこも入所施設の受け入れ先は不足していると言われますし、障害とともに日常の生活を送ることにはやはり様々な困難があるわけですよね。そこをわずかでも良いものにするのがまずは最も大事なことなので、鞆の津ミュージアムのような文化施設の重要性が相対的に小さくなるのは、一般的に言っても確かにあるだろうなと。でも、文化的なものを通してしか人の心のあり方を変えられないってことも絶対にあると思っているので、そういう意味でも美術館やマンガの存在は必要なんだと思います。
山内お持ちいただいたおすすめマンガについて教えてもらえますか。
津口 まずは『天才バカボン』。めちゃくちゃな話なんですよね、これ。現実世界であれば「おかしな」「狂った」人だとされてしまうような人たちが本当にたくさん出てくる。バカボンのパパがまず、そうですよね。この人はさっきの話で言うと価値観の底がぽっかり空いちゃっている人。論理性も何もない。昨日の俺は俺じゃないみたいな話をする人なので、この人とは約束もできないし、規範という規範を全部すっ飛ばしちゃっている。読者が信じているものをどんどんこの人がぶっ壊していくと。そして今とは別の形をした現実があるんだよって示しているわけです。この世の混沌が凝縮されているって感じの作品ですよね。
山内確かに掃除をひたすらしているレレレのおじさんとか、実際いたら変人扱いされますよね。バカボンは天才じゃないのに、タイトルが『天才バカボン』なのもおかしい。
津口 そうそう。はじめちゃんのほうが天才なのに(笑)。あとよく言われるのが、後半になっていくとどんどんメタフィクションみたいになって、コマ自体を外から眺めたりするような表現になっていくんです。このマンガ自体がマンガの枠組みを壊して外に逸脱していく感じで。
山内ですよね。特に後半は赤塚先生の思考実験に近い感じがしますよね。
津口ほぼマンガの体をしているだけっていう感じになっていますよね。赤塚不二夫本人はアンディ・ウォーホルになぞらえられたりすることもあるようですが、『天才バカボン』を現代美術的な枠組みでとらえるのもありなんだろうなとも思います。とにかく笑いのためには、私たちがもっている枠組みを揺らす必要がある。でも、それをやり続けると自分の世界が混乱するわけじゃないですか。だからギャグマンガって一般に連載が長く続かないのかもしれませんね。
山内諸星大二郎の『夢の木の下で』もおすすめマンガとして持ってきていただきました。
津口 哲学者の永井均さんは『マンガは哲学する』という本で、藤子・F・不二雄のSF作品の中に、現実をメタな視点から見つめて疑い、相対化する力を読み取っていますが、この『夢の木の下で』も、まさしくそういう世界を描いています。巨大な岩壁に囲まれている場所で暮らす人々の話なのですが、その壁は個人や文化を断絶するものの比喩として描かれていて、その内に住んでいる人は壁を壁だとも認識していない。だけどある時、壁の向こうから一人の男がやってくる。やがてこの男と壁の中にいた女が一緒になって壁の外へ出ていこうとするんです。そこで見えたものは、自分たちがいた世界を「世界A」とすると、その他に「世界B」、「世界C」…というような感じで異なる無数の世界が並列に存在しているような光景だったと。たまたま自分たちがいるのはこの世界だったけど、可能性としてはこの世界とは違うあり方をしている他の世界に生まれることもありえたよねっていう神の視点の話なんです。
山内たしかに「世界A」では評価されないものでも「世界B」では評価されるということはあるかもしれない。こんな風にSFマンガを世界の多様性マンガとして読んでみたら、また新鮮な気づきがありそうですよね。
構成・編集 岩崎 由美