『これも学習マンガだ!』のマンガ11ジャンルを各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画、 第7弾は「戦争」ジャンルを取り上げます。思想史・マンガ研究が専門の京都精華大学マンガ学部教授 吉村和真氏に「戦争」ジャンルの選書作品の感想や、戦争マンガの読まれかたについてお話を伺いました。
「これも学習マンガだ!」の11ジャンル(※)を1ジャンルごとに各ジャンルの専門家が紹介するインタビュー企画。第7弾は「戦争」ジャンルを取り上げます。思想史・マンガ研究が専門の京都精華大学マンガ学部教授 吉村和真氏に「戦争」ジャンルの選書作品の感想や、戦争マンガの読まれかたについてお話を伺いました。
(※)「文学」「生命と世界」「芸術」「社会」「職業」「歴史」「戦争」「生活」「科学・学習」「スポーツ」「多様性」の11ジャンル
山内吉村さんは京都精華大学マンガ学部の教授でいらっしゃいますが、具体的にはどのような授業をされていますか。
吉村「マンガ史概論」「現代マンガ論」などの理論を担当しています。マンガ“史”というと、「日本史」「世界史」のように年代に沿って事実を追いかけていくような授業を想像するかもしれませんが、マンガ史の場合はちょっと違います。まず、マンガ史も歴史を対象とする学問ですが、扱う史料がマンガなので、読み解くのは想像以上に難しい。というのもマンガの場合は設定が未来だったり過去だったりする中で、セリフをそのままその時代のものと安易に判断して読むわけにはいかないし、絵をどう読み解くかという問題も孕んできます。マンガを読み解く力、つまりマンガのリテラシーが無いと難しい訳ですね。僕の場合、そもそも歴史というのは扱う史料によってみえる像が変わってくる生き物みたいなものだという考え方なんです。歴史を学ぶということは、決められた年表にそってものをなぞるというより、自分自身が動態的にその時代の流れや空気に身を寄せていくことだと考えています。
山内マンガのリテラシーというのは興味深いテーマですね。
吉村日本人にとってマンガはとても身近で読むのが簡単なものだと思われていますよね。でもマンガには描くにしても読むにしても、活字以上に多種多様な方法がある。でもそんな複雑なマンガのリテラシーを僕たちはいつの間にか身に付けているんです。例えるならば、母国語を習得するような感じで。で、実は母国語っていうのは人間の思想や価値観をほとんど決定づけるわけですよ。 日本語で育った人と英語で育った人は見える世界が違うんですね。同じように、マンガのリテラシーを自然と身に付けた人とそうでない人できっと見える世界が違うんです。僕の立場からすると、大げさに聞こえるかもしれませんが、マンガを研究しなくて現代日本のことなんかわかるはずないだろって思うんですよ。マンガのことを知らないと様々な本質的なことを見落としてしまうだろうと。
山内確かにそうですね。今回の「戦争」ジャンルの作品もまさに、現代日本を知る手助けになるものだと思います。
吉村そうですね。特に1970年代生まれ以降くらいの人たちにとっての「戦争イメージ」はマンガとアニメが強く影響しているというのが持論なんです。実際にNHKが行った「あなたの戦争イメージは何に影響されましたか?」というアンケート調査で1位が『はだしのゲン』2位が『火垂るの墓』でした。今でも大学で学生に聞いてみると昔と変わらず『はだしのゲン』が読まれていることが分かります。『はだしのゲン』は1973年の作品なので、もう43年経っているにも関わらず。
山内ものすごい影響力ですね。
吉村当たり前ですが、戦争を実体験できる世代は限定されます。けれど、メディア体験という意味ではむしろ戦後生まれの人たちの方が戦争のことをよく知っているとも解釈できます。「戦争体験が風化する」と言ったときに、風化するのは実体験であって、戦争についていろいろ考えたり、物語として享受したりする機会はむしろ増えています。
山内(笑) 戦争マンガがたくさん生み出されるのはなぜでしょうか。
吉村ドラマが作りやすいからというのは大きいと思います。敗戦に向かっていく大きなストーリーが共有されていますからね。その中でも『はだしのゲン』はいろんな意味ですごいマンガですよ。
山内『はだしのゲン』は学校の図書室にありましたよね。あと実は非常にエンターテイメント性が高い作品だと思います。
吉村そうなんです。単純にまずマンガが学校の図書館にあるというだけで、子供たちは読みたくなるんですよ。で、おっしゃるように面白いんです。ありがたいことに、お亡くなりになる少し前に作者の中沢先生にインタビューをさせてもらう機会がありまして。先生は元々「週刊少年ジャンプ」で『はだしのゲン』を連載開始したというところにこだわりをお持ちでした。晩年、コンビニマンガ版『はだしのゲン』が出たんですが、それを先生はとても喜ばれていましたね。本来届けたい大衆的なメディアに載ったっていう事で。
山内『はだしのゲン』といえば、吉村さんは福間良明さんと共編著で『「はだしのゲン」がいた風景――マンガ・戦争・記憶』という本を出されていますね。
吉村はい。この本で『はだしのゲン』に出てくる「黒い目の被爆者たち」について考察しています。黒い目の被爆者たちの凄さは、マンガの登場人物の目を黒く塗りつぶすとどれだけ怖いかっていうその凄さなんです。戦後のマンガが登場人物の目に表情を込めていったことを踏まえると、生き生きとした象徴であるはずの目が黒く塗りつぶされることって、ものすごい恐怖感をもたらたすんですよ。僕は黒い目の被爆者がこの作品の中に何人、どういう風に出てくるか全部数えたんです。論文の締め切り前に研究室で徹夜で。それが怖くて怖くて(笑)
山内それは怖い(笑)
吉村数えたら1800体位出てくるんですよ。ある島に運ばれていく被爆者たちがいて、その船に乗った人たちだけでも100人以上いるんですけれども、その一つ一つにこの黒い目が描かれているんです。中沢先生の意図として、政治的な背景や人道的な問題などはとりあえず置いておいて、読者である子供たちに生理的に気持ち悪いと思わせたいというのがあったと。
山内たしかに読者にとって強烈な恐怖体験になりますよね。
吉村2013年に松江市で『はだしのゲン』を学校図書館で閲覧制限する話が出た時も、こんなのを見せていいのかという議論があったんですけれども、逆なんですよ。見たくないって気持ちにさせたいマンガなんです。議論が引っくり返るような話ではあるんですけれども。
山内他の作品もお聞きしましょう。『虹色のトロツキー』はどう読まれますか。
吉村フィクションの設定が面白いですよね。いわゆる僕らが知っている知識に準じるような学習マンガではなくてまさしくその入り口として、素材として、人物や事件を扱いながら全然違う解釈、「でもあったかもしれない」リアリズムに連れて行ってくれる、そういう歴史マンガですよね。事実に基づいたノンフィクションよりも「正しくてもフィクション」のほうが、歴史の世界に強烈に導いてくれることもあるということを示しているような作品だとも思います。
山内『総員玉砕せよ!』。こちらは水木先生自身の実体験を元に描かれた作品です。
吉村よく言われますが、カケアミと点描が本当に細かいですよね。水木先生が実際に現地に入って体験したんだっていうのがよく分かりますよね。南国の熱や湿度が伝わってくる。これを読むと、まず戦地での生活ってそれだけで大変なんだろうと思うわけです。戦争に行くということはまずそういう場所に連れて行かれることなんだなっていうのが分かります。そして、そこに入っていく人間はまともに判断できるような思考は出来ないんだろうなとも想像がつきます。そういう中でも水木先生は希望を見出だしていく。人間ってしぶといなと思うわけですよ。でもこの作品は終わり方が辛い。結局みんな誰にも看取られること無く、みたいな。そしてそれが戦地での現実だったんだと思います。
山内体験者にしか描けない世界ですよね。
吉村従軍したかどうかは決定的に作品に表れると思います。でも従軍していないから、もしくは戦争を体験していないから戦争マンガは描いちゃだめということにはならない。特に戦後の次の世代、60年代末以降生まれのマンガ家たちは実体験を元にした戦争マンガを解釈しながら、これに代わる作品づくりに精力的に挑戦しています。世代はもう少し上ですが『凍りの掌 シベリア抑留記』のおざわ ゆきさん、『夕凪の街 桜の国』のこうの史代さんや、『いちご戦争』の今日マチ子さんなどです。
山内その3作品について吉村さんの感想をお聞きしたいです。まずは『凍りの掌 シベリア抑留記』。
吉村あるにはあるんですが、これまでシベリアそのものがあまり描かれてこなかったんですよね。戦争が終わっているにもかかわらず、違う政治的力学でシベリアに閉じ込められて、死に向かってひたすら労働させられる。戦争モノはドラマが作りやすいはずなんですが、それは敗戦に向かって進んでいく大きなストーリーが共有されるからなんです。敗戦後に残った戦争状態を描くと言うのは本当に辛いんですよね。そこを掘り下げたというか、辛いのをそのまま淡々と描いたというのがこの作品の凄いところだと思います。
山内『夕凪の街 桜の国』はどうですか。
吉村端的に言えば、マンガリテラシーを最も試されるマンガの一つです。『はだしのゲン』の黒い目の被爆者の話からすると、こうのさんはその対極にある人形のような被爆者を描いています。その被爆者の姿が持っている恐ろしさは、僕らが『はだしのゲン』を読んでいるからこそ響くんです。あと、全部手描きなので、例えば何で一度だけ出てくる原爆ドームがこのような短い線を重ねるように描かれたかというのも重要なんです。一つ一つの線や描かれ方に意味がある。つまり、機能としてマンガができる事を最大限に使いながら、原爆なり戦争なりに向き合った結果だと思うんですよね。ものすごい実験精神にあふれている作品だと思います。
山内何度も読みたくなりますね。
吉村そうですね。僕はこれを毎年一回、学生の前で音読しながら解説しているんです。そのたびに新しい発見があります。戦争を実体験はしていないけれども、メディア体験をしたその世代の、しかもマンガという表現の一番深いポテンシャルを引き出そうとして描かれた作品だと思います。そのエッセンスがギュッと縮まっているのがこの作品。『はだしのゲン』とはまた違う意味で、あるいは両方がセットで古びない作品になっていくと思いますね。
山内今日マチ子さんの『いちご戦争』は他とは系統が違いますね。
吉村今日さん流の詩集みたいな作品ですよね。甘いお菓子に包まれた恐ろしい戦争の物語。甘いお菓子と戦争は対極のもの。つまり『いちご戦争』というタイトルは一番反対にあるものをくっつけているわけです。日常において一番可愛かったり美味しかったり女の子らしかったり、という部分と戦争をくっつけるという試み。『COCOON』もそうですよね。戦争中でもそうでなくても、女の子はみんなそうした甘くてかわいいものが大好きで、それを大切にしたい。でもそうさせてくれない戦争についてのいろいろな表現がスタイリッシュにまとまっています。
山内マンガリテラシーが試される作品からスタイリッシュな詩集のような作品まで、「戦争」マンガを俯瞰するとマンガと戦争の両方が見えてきますね。
吉村本当にそうなんですよ。戦争というジャンルは広がりがあるんです。戦争は重いし暗いし、みんなが避けたいというものであるわけですが、ドラマを作りやすいということと、戦争をエンターテイメントとすることに対する、禁欲しているものをちゃんと解放してくれるものがマンガだったりするわけです。戦争は教条的な意味ではなく、むしろエンターテイメントとして消費されてくる部分が物凄くある。マンガはそもそも娯楽なので、娯楽として戦争を求める人たちにどう応えるかが重要なんです。だからこそ一方では悲劇を描くし、一方ではかっこよさや相手を打ち負かす快感も描いたりするわけで、その辺全体をひっくるめたメディア体験として僕らは戦争マンガから影響を受けている。そのことがよく分かる例としてコンビニマンガというメディアに今一番注目しています。これはおよそ1990年代後半に登場してきたメディアで、書店よりもコンビニエンスストアを中心に流通していて、単行本なのにカバーがなくて紙質があまりよくないけれど、そのぶん低価格であるのが特徴です。今日はコンビニマンガの戦争ものということで、『実録 神風特別攻撃隊 完全版』という一冊を持ってきました。あえて言えば、これは特攻の物語に感動して泣くためのマンガです。
山内これはどのくらい読まれているんですか。
吉村累計で10万部を超えています。いわゆるお決まりの物語なんですが、関連の研究書や資料に基づいているのと、隊員たちの遺書を引用するというのが特徴です。これはライターが全部脚本を書いて、絵を描ける人に作画をお願いするという方式で作られています。こうしてコンビニエンスストアに並べるマンガが大量生産されているわけです。コンビ二の棚のその横には「本当にあった○○な話」やゴシップ系のマンガなんかがある。そうした配置が重要なんですよ。戦争をエンターテイメントとして消費するということを一番分かりやすく体現しているのがコンビニマンガなんだと思います。コンビニマンガはゆるい動機で買われたり捨てられたりしますが、研究対象として軽んじるわけにはいきません。マンガ自体の影響力を考えるうえでは、むしろ消費の仕方が軽いからこそ、いつの間にか受けてしまうという意味で重く見る必要があると言えるでしょう。コンビニにおいてある戦争マンガには、マンガというメディア体験による戦争イメージの問題がぎゅっと詰まっていると思います。
山内コンビニマンガをメディアと捉える視点、大変興味深いです。今日は長時間にわたって、熱いトークをありがとうございました。
構成・編集 岩崎 由美